第21話 天に仇なす樹

 深き森に隠された、おい茂る木々の峡谷。男たちはティタニアの案内で、道なきに道を見いだし進みました。


 崩れかけた古い砦に巨樹きょじゅが突きささり、宙へと掲げていました。大小様々の枝が、砦をがんじがらめにして、締めるように、砕くように――補強しているとも、破壊しているとも見えました。


 太枝ふとえだの階段をい、細枝ほそえだのはしごをよじ登って、砦へと侵入しました。途中の見張りらしき餓鬼ゴブリンたちは、むき出しの太鼓腹たいこばらに酒びんを抱えて、大いびきをかいていました。


 崩れかけの回廊かいろうを抜けると、幾人かの女がいました。


 女たちは、ティタニアのような薄ぎぬの肌着一枚きりの、あられもない姿でした。子を宿して腹を大きくした者たちもいて、賊の根城ねじろには似つかわしくないようでしたが、オシアンにはどうでもよいことでした――たったひとりを除いては。


「ニアヴ!」


 オシアンは叫び、駆けだしました。


 その声に、女たちの中でひときわ目だつ、亜麻色あまいろの長い金髪が揺れました。金髪の娘の青白いほおは、にわかに赤みを取りもどしました。しかし、喜びと安堵あんどの表情は、つかの間に消えさりました。


「……オシアン……私……」


 彼女の消えいる言葉を、彼女とともに受けとめ、オシアンは優しく語りかけました。


「……ニアヴ、いつかの物語の続きを、聞かせておくれ。君が許してくれるなら、どんなに遠い旅路だって、必ず追いかけていくよ。離ればなれになぞ、なるものか。君のそばにいること、君とともにあることが、僕の何よりも尊いんだ」


 彼女は、オシアンの胸に顔を預けました。すべての想いと言葉をまぶたで噛みつぶし、一条の涙に変えました。


「あの……あなた方は、アトロゥを亡き者としてくださるのでしょうか?」


 再会を喜びあう者たちのかたわら、とらわれの女のひとりが、おずおずと口を開きました。


「アトロゥは、悪魔の樹の化身です。みずからの樹とその分け身によって、欲望のままに、奪い、壊す……あの者が世にあって、安寧あんねいなどありはしない……! やがて大地のすべてを蹂躙じゅうりんするでしょう!」


 女は自身の身ごもった腹に、爪を立てました。体と声を震わせ、ティタニアを見ながら続けました。


「いやしき奴隷どれいの身に、御手おんてをさしのべられたティタニア様の慈母じぼ御心みこころ……その返礼が、このような悪逆きわまる蛮行とは……断じて許されるものでは……天がお許しになろうはずがありません!!」


 ティタニアは、女の言葉をうつむいて聞いていました。そして頭を上げると、あどけない顔をしかめて、冷徹に言いました。


「あの者にも弱みはあります」


 ティタニアは、アトロゥから特別気に入られていました。来たるべき日のため、酒に酔ったアトロゥから、いろいろと聞きだしていました。


 ティタニアは激情を押しころし、言葉を続けました。


「アトロゥは、その活動に陽光を必要とします。夜の間は、みずからの樹の中で死んだように眠り、周りを配下の賊徒ぞくとに守らせるのです。明日になればすべてが露見し、どうなるものかもしれません。今宵を逃せば、遠く時機じきは訪れないでしょう」


 ***


 オシアンたちは、死に物狂いで賊をかいくぐり進みました。やがてたどりついたころには、夜明けが迫っていました。


 数知れず木々立ちならぶ森の中、その巨樹きょじゅはひときわ異様でした。


 巨樹きょじゅは、しだれたカサブタを幾重いくえにもまとうような樹皮でした。幹が、大径小径とりどりに数多あまたよじれて、人らしきなりをしていました。根もとがぼってりとして子をはらむ母のようであり、長い首に二本角の生えた小さな頭はシカのようでもありました。


 シカ頭の二本角は、千々ちぢに枝わかれ、ねじれ、絡み、遥か中空を突きあげていました。葉はさかだち、満々として、あおぎ見れば天を焼きはらうがごとしでした。


 シカ頭の巨樹きょじゅは、おの枝葉えだはがしても、天にあだなすかに見えました。しかしその火柱ひばしらは、間近で目をこらせば、極小、微細な葉の密生でした。葉がウロコのように枝さきを覆っている、『イトスギの枝葉えだは』でした。


 オシアンの携える斧は、そこまでの戦いでずいぶんくたびれていました。それでもアトロゥの樹へふりかぶり、力の限り叩きつけました。


 二度、三度――幾度となく刃を叩きつけると、斧の木柄もくえに亀裂が入りました。それでも叩きつけると、斧はちぎれてはがねの刃を幹に残し、その役目を終えました。


 木ぎれを手にうろたえるオシアンの背後へ、大ナタをかざした餓鬼ゴブリンが跳びかかりました。オシアンは破れかぶれで、ふり向きざま腰の短剣を逆手さかてに抜きはなちました。


 ギョロ目にひさしをかける、厚い眼窩がんかを持つ首がひとつ――大ナタを持つ、しなびてすじ張った右下腕かわんが一本――ふしくれだつ、左手の指が数本――血煙ちけむりを上げ、ひと太刀のもとに飛びました。


 オシアンは、短剣を見つめました。


 短剣は木製で、飾り物のようでした。ぎのない一木いちぼくから削りだされ、つかから諸刃もろはの刀身にいたり、精緻せいちな彫刻があしらわれていました。女神を中心に配し、様式化された様々な木々が、後光であるかのように取りまく意匠いしょうでした。


 オシアンはこの木片に、命運を託しました。


 木の刃は、突きたち、滑り、溝をつくりました。斬りつけ、また斬りつけ、分厚ぶあつからをはぎ取っていきました。


 斬りつけ、斬りつけ、斬りつけ、また斬りつけ――ぜるっぱに身を裂かれながら、それでも斬りつけ、また斬りつけ――ついに卵は割れ、中の暗闇をがうがちました。


 太陽がつむじをのぞかせ、彼は誰かわたれの青が、辺りを塗りかえました。

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