第九章

第20話 若き日のオシアン

 ……思索の森を行く彼女の足どりは、あてどもなく軽やかだった。彼女の夢みる瞳はロマンスにうるみ、波乱の冒険旅行を映しだしていた……


 ……それは、ありきたりな出会いだった。風が彼女の帽子をさらって、ふたりの物語は幕を上げた。彼はその幸運に爪さきだちで手をのばし、尻もちをついて受けとめた……


 ……歩みよるふたりの瞳は、恥じらいながら絡み、ほどけ、結びあい――ふたりの間に、帽子が橋をかけた。厳かに奉還ほうかんされた帽子は、王家の血統証明であるかのように、気高く、慎みぶかく、彼女の金髪へといただかれた……


 ……それからのち、日々をともに歩むふたりは、幾度ものささやかな偶然に想いを重ねた。それが運命であると、ひそやかに願いをかけながら……


 ……喜びも、憂いも、心はひとつであるようにと――のぞむ景色に、たがいが見つけられるようにと――ともにあるこの時が、永遠であるようにと――……


 ***


 うっそうとした大森林を背景に、田畑が目だつ小さな、しかしにぎやかな田舎の街。そこはかつて、オシアンの故郷であった場所でした。


 ある日、街に奇妙な木が生えていました。街路に根を張るその木は、人のようななりで、脚も、尻も、腹も、腕も、でっぷりと肥えていました。しかし首にあるべきものはなく、木の様相を取りもどして枝葉えだはを茂らせていました。


 その木は、傷つけると血を流すとか、朝ぼらけに森から歩いてきたとか、不気味にうわさされていました。さらには日に日に、大小様々で数を増しているようでした。


 そして街は、樹に蹂躙じゅうりんされました。動きだした木偶でくたちは、根を、幹を、枝々えだえだを、数限りなくのばしました。道にのたうち、家々を突きやぶり、街を破壊しました。


 時を同じくして、餓鬼ゴブリン群賊ぐんぞくが来襲。略奪、狼藉ろうぜきの末、男は殺され、女はさらわれました。


 しかし、逃れた者たちもいました。オシアンもそのひとりでしたが、彼の想い人はその限りではありませんでした。


 そんなオシアンのもとへ、彼の望む死地への水先人をになうため、ひとりの少女が来訪しました。


 少女の長い黒髪は乱れ、白肌にまといついていました。薄ぎぬの肌着が子種にふくれた腹を包めども、華奢きゃしゃな手足は無防備にさらされていました。


 その少女――ティタニアは、オシアンらの知るものではありませんでした。賊の頭目とうもくアトロゥの子どもを産まされるために、ほかの女たちととらわれていたのを、逃げだしたのでした。


「子どもを産む?」


 オシアンが不審に尋ねると、ティタニアは答えました。


「アトロゥの血肉を継いだ子は、樹の呪いをこうむるのです。産まれた子の首を刈って、あの者の枝を接ぐことで、意のままに操られる樹の傀儡くぐつと化すのです」


 街を襲った奇妙な樹は、死して傀儡くぐつと化した、アトロゥの子どもたちでした。

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