第19話 死との再会

 深き森に惑えるなま首は、やがて念願の邂逅かいこうを果たしました。


 その男はイチジクの葉をつまみ、いとおしむように弄んでいました。穏やかなおもざしに浮かぶ愛惜あいせきの瞳は、かすかに光を揺らせども、一心に葉へと注がれていました。


 悪運か、宿命か――瀕死のアトロゥにおいては天恵にほかならず、二のてつは踏むまいと間髪ありませんでした。


 アトロゥは短剣を横手に噛みしめ、全霊で飛びはねました。刃は男の首すじに触れ、潜り、進み、――滑るように跳ねだしました。


 この時のアトロゥには、男が自身の長い金髪を胸へと流し、シャツをはだけ首すじをさらすようにしていたことに、意味を見いだすゆとりはありませんでした。ましてや、この男が腰かけている樹が、馬のなりをしていることなど、とるに足らないことでした。


 男の頭は、音もなくはずれ、転がり落ちました。男の金髪がはらはらと散って、宙に金色こんじきの軌跡を描きました。


 アトロゥは男の切りかぶ、あるいは紅の泉へ――自身の木ぎれを突きたてました。

 なま首アトロゥの切り口から伸びる枝は、紙のように薄く、ムチのようにしなやかで、針のように鋭く――幾十幾百の木ぎれがなだれ込み、不釣りあいな頭と胴を、力づくにむつみあわせました。


 アトロゥのはげ頭をふちどっていた、枯れ草色のわずかな髪が、ばらばらと落ちました。はげ頭を残しながらも、抜けおちた箇所かしょにつややかな緑毛が生えました。


 アトロゥは、自身のものとなった肉体を見おろしました。若々しく張りがあって、頑健がんけんとは言いがたいが、しなやかで――アトロゥが破顔しかけた、その時でした。


 アトロゥは姿勢を崩し、落下しました。


 アトロゥが腰を下ろしていた奇妙ななりの樹は、跡形もなくなっていました。ありふれた立ち木が、もとよりそこにあったように植わっていました。


 アトロゥは、張りつけられたかのように大地に伏しました。体は重く、息は切れ、骨がきしみ、指が震え――満身は疲労と鈍痛どんつうにむしばまれました。


 アトロゥが精一杯に体を起こすと、つる草の絡む、枯れ木が目に映りました――やせ細り、骨ばって血管が浮く、自身の手でした。


 アトロゥは、シャツをむしるように半身をあらわにしました。そこにあったものは、骨に皮をかぶせたようにダブついた、やせぎすの老身でした。


 アトロゥは地面に両手をつきました。体をささえることにさえ息を切らし、肩が突きあがるほどに深くうなだれました。


 そんな老いたるむくろのなり損ないを、娘がかたわらにたたずんで見おろしていました。


 娘は、一糸まとわぬ裸身をさらしていました。豊かな金髪を大地に敷き、毛さきにはイチジクの葉をたたえていました。

 娘の金髪は、背部でふた股に分かたれていました。背中は内から破裂したようで、ふちをさかだてる大穴が金髪をかき分けていました。

 背後からのぞむ娘は、頭から尻までをうがたれる薄壁のがらんどうでした。がらんどうは、影にぼんやりと木肌きはだをかすませる、うろでした。


 それは樹でした。金髪の娘のなりをした、朽ちかけの老木ろうぼくでした。


 それから、かたわらにもうひとり――ざんばらの白髪と数多あまたしわにうずもれ、疲れきったようにまぶたを伏せる、老爺ろうやのなま首がありました。

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