第十一章

第25話 アトロゥの最後

 娘は、うつろな瞳でほほえんでいました。一糸まとわぬ白肌をさらして、森にたたずんでいました。


 森にたたずむ娘は、つややかな金髪をしていました。金髪は、大地にまで豊かにあふれ、天使が絡まっていました。


 天使の背中に生えた羽は、枝葉えだはでした。イチジクの葉っぱが豊かに茂って、羽ばたいていました。


 天使は、金髪に埋もれていた天使たちを、引っぱり出しました。手に手をとり、足をとり、お尻をとり――天使たちは遊びたわむれました。


 天使たちの羽は、三角形のポプラの葉、ちくちくのクヌギの葉、もっさりのモミの葉、厚いカシの葉、扇形のイチョウの葉、細っこいイチイの葉、ハート形のカツラの葉、波たつ卵形のブナの葉、ぎざぎざのカバの葉――まだまだたくさん、多種多様に羽を伸ばしていました。


 天使たちは、その身に金髪を絡め、娘を取りまきました。地に遊び、宙に戯れ、輪をなして、娘にさし照らす後光となりました。


 娘の耳もとへ、天使がささやくようなそぶりを見せました。娘の微笑はさらに広がって、屈託のない満面の笑みで歩みを始めました。その足どりは水辺に遊ぶようで、ゆったりと軽やかでした。


 アトロゥはうつぶせに、草むらへほおをよせ、薄目のまま眠っているかのようでした。ふたたび枯れ草色となった髪が、まばらに抜けおちて、地面に枯れ草をまいていました。しなびた体は身じろぎもせず、枯れた倒木が服を着ているようでした。

 老体を満たす痛苦と倦怠けんたいは、鈍重なまどろみへと変遷へんせんしました。思考は静止へと向かい、減速を続けました。


 アトロゥは絶望のふちで、それでも手を伸ばしました。枯れ枝のような手が、無造作に突きたつ木彫りの短剣を、力なく目ざしました。


 腕をもたげるアトロゥへと、天使たちが舞いおりました。天使は気遣わしげに、なでたり、ふざけてつついたり、アトロゥを可愛くもてあそびました。


 アトロゥは天へと召されるわけでもなく、天使たちはすぐさま興味をなくし、木彫りの短剣を引きぬいて遊びはじめました。


 アトロゥの手が虚空をつかむと、彼のうわ向く横顔に影がさしました。影は濃度を増し、白肌のなま足が、側頭部に触れました。足はとどまることなく、頭へ沈み、めり込みました。


 アトロゥのかぼそい呻きは、一瞬にとぎれました。朽ち木の砕けるような、貧相な圧潰あっかいの響きがとってかわりました。


 割れた頭蓋ずがいが粘液を吹いて、しぼんだ目玉が線維せんいを引いて、砕けたあごが歯をばらまいて、舌が裂け、鼻がちぎれ、耳が潰れ――肉片とも、木片とも知れない塊が散って、娘の足跡そくせきむくろを残しました。


 凄愴せいそうな命の痕跡こんせきへ、それをとむらうように天使が幼木ようぼくを植えました。


 やがて金髪の娘は、歩みを止めました。足もとには、長い白髪にうずもれる、老爺ろうやのなま首がありました。


 娘はひざを抱えうずくまると、老爺ろうやへ両腕を伸ばしました。まぶたに、鼻に、くちびるに、幾多刻まれたほおしわに――慈しむように、嘆くように、ひとなで指をわせました。


 娘は、立ちあがりました。老爺ろうやを両手に掲げ、面前に向かいあいました。娘はわずかに顔をかしげ、瞳を閉じました。

 くちびるは緩み、くちびるへと――静かに、深く、むさぼるように重ねられました。


 にわかに老爺ろうやの白髪が抜けおちました。不毛の大地は草原へと変わり、はげ上がった頭頂までも、長い金髪に生えかわりました。

 老齢のひだは、花びらが散るようにほどけ、はがれ落ちました。季節が一巡し春が来るように、その内に隠されていた、青年の美しき相貌そうぼうをあらわにしました。

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