第四章

第9話 森の隠者

「――それでねぇ、その女の背中は朽ちた木のように、うろが開いていたんだってぇ」


 プーカは、両手の木の実をシャリシャリほおばりながら言いました。

 パックも、片手の木の実をかじって答えました。


「なんだ、そりゃ。化け物だな……」

「それからねぇ、人面シカがうろついてたって、ワッピティが聞いたってぇ」

「あいつテキトーだからなぁ。まぁ、この森にはヘンなのがいるけど」


 パックはそう言って、頭上高きに止まるドクロ模様の鳥を見あげました。


「ののしりごとを唱える首は、悪魔に刈られて死告鳥ティットトットにされちゃうんだよぉ……」


 わざとらしく声を低めるにプーカに、ドクロ模様の鳥――『死告鳥ティットトット』が音もなく舞いおり、頭をワシづかみにしました。

 枯れ枝をブンブンふり回し、鳥を追いはらうプーカを横目に、パックが言いました。


「知ってら、そんな迷信」


 プーカはひと息ついて、話を続けました。


「あとねぇ、不思議な獣に乗る男を追いかけるとぉ、突然なんじゃもんじゃ様が現れて、行く手をふさぐんだってぇ」

「それは――」


 ピュゥゥゥゥゥィ………………


 それはかすかに響く、彼方のゆびぶえの音でした。


 大耳の木霊兎グリーンヘアたちは、優れた聴力を持っており、遥か遠方の意思疎通をも行っていました――しおれ耳のプーカを除いてですが。


 ピピュウウウウゥゥゥゥゥゥイィィィ…………………


 パックの返信からしばらく――樹上じゅじょうを枝から枝へ軽々跳び、緑髪の娘がやって来ました。


 緑髪の娘の跳ねるにつられ、彼女の左右に結った草色の長髪も跳ねていました。はだけたボタンどめのパーカーは大きくふくらみ、内のキャミソールとショートパンツもはためいて、全身に風をまとって飛ぶようでした。


 ふたつ結いの緑髪の娘は、枝上しじょうに足を止めました。ぶかぶかのパーカーのポケットに手をつっこみ、ひとつ息を吐くと眼下のふたりに呼びかけました。


「おーい、チビどもー!」


 木霊兎グリーンヘアは、外界人ストレンジャーにくらべて小柄な種族でしたが、なかでもパックとプーカは特別小柄でした。


 プーカは、見あげる枝上しじょう木霊兎グリーンヘアを見て言いました。


「あ、ワッピティだ」


 ワッピティと呼ばれたふたつ結いの木霊兎グリーンヘアは、樹下じゅかへと降りたちました。


 木霊兎グリーンヘアのなかでもいたって中背のワッピティは、ふたりを見おろし、勢いこんで言いました。


「里長が呼んでるよ! ボガートがられて、フェノゼリーが重症! あんたの出番だよ、パック!」


 ***


 パックとプーカには見なれた家の扉を開けると、なじみの光景がありました――ぽっちゃりでさらり長髪なアーチンの難しい顔。それから、細身でくせっ毛短髪なオベロンの、エプロン姿が。


 パックの樹の力は有用にして強大で、ましてや森に暮らす木霊兎グリーンヘアにとっては、畏敬いけいをいだかせるものでした。そんなパックをもたらした立役者オベロンは、その慧眼けいがんを買われ里長の役を、アーチンはその補佐を任されていました。


「少し待ってくれ。ブバホッドを、使いに出している」


 オベロンはそう言いながら、お茶を注いで皆にふる舞いました。クロスを敷いたテーブルの上には、お茶のほか、ケーキ、パイ、マフィン、クッキー、サンドイッチ、トースト、タルト、ジャム、バター、クリーム等々、菓子やら軽食やら彼の手料理がわんさとひしめいていました。


 プーカが、トーストにジャムをべっとり塗りつけていると、戸が叩かれ来訪者がありました。


「オベロン様、アーチン様、お待たせいたしました」


 そう言って入って来たのは、ミディアムの緑巻き毛を、七三になでつけた青年でした。シャツの二の腕にアームバンドを巻いて、そろいのベストとハーフパンツを着て――ネッカチーフまで飾った彼は、装いのみならず物腰にも慇懃いんぎんさをかもしていました。


 緑巻き毛の青年に続きもうひとり、老爺ろうやが現れました。

 

 老爺ろうやの腰は深く折れまがり、杖でやっとささえているようでした。やつれて縮んだ老体を、ダボダボのシャツがきわだたせていました。長ズボンはすそがほころんで、裸足はだしが引きずっていました。


 老爺ろうやひたいは脳天まで続いていました。しかし、ふちに残った白髪は豊かで、後ろで束ねられ背中で揺れていました。ひっつめられた白髪のかかる丸い耳は、彼が木霊兎グリーンヘアでないことを証明していました。


 オベロンは、緑巻き毛の青年に向かって言いました。


「うん。ありがとう、ブバホッド」


 ブバホッドと呼ばれた緑巻き毛の青年の陰から、老爺ろうやが気難しげに言いました。


「フンッ、僕に関係のあることなんだろうね!」


 オベロンは、老爺ろうやに向かって穏やかに返しました。


「君の話を聞こうと思ってね、オシアン」


 誰の美しき相貌そうぼうも、老醜ろうしゅうのひだに隠されてしまうほどの、そんな年月としつき。長命の種族であるオベロンとアーチンは、かつての様子を残しながらも、壮年のおもだちとなっていました。草色の髪は少し黄色がかって、人生の紅葉を迎えようとしていました。


 そして丸耳のオシアンは、年月としつきに準じた年輪を刻んでいました。オベロンに拾われたあのころの、憂いのしなをまとった金髪の若人よ、いずこ――今や老醜ろうしゅうのひだの下でした。


 ティタニアとは違い、里になじめず離れて住まい、一部の変わり者が外界人ストレンジャー語を学びに来るばかりでした。多くの者は、いずれなんじゃもんじゃに踏みつぶされるだろうと思っていましたが、今日こんにちまで森の隠者いんじゃを続けていました。

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