第三章

第7話 沐浴のニンフ

 パックとプーカとはずいぶん離れた、しかし森の中。豊かな渓流が、幾条もの滝をなして、広い水たまりへと注いでいました。深い樹影じゅえい、柔らかなかすみ、水と光の乱反射が、水場を森の幻想へと彩りました。


 裸身の女がひとり、水と戯れていました。とがった耳、そり返った鼻、土色の肌。豊かな緑髪が豊満な乳房ちぶさを包み、彼女の舞うにつられて桃色の秘部をのぞかせました。

 まとったしずくは、木漏こもを照りかえし裸身にぎょくを散りばめ、女を天女へと仕たてました。


 ビイイィィィィィィィィィィィィプッ ビイイイィィィィィ……


 無邪気にはしゃいでいた乙女の微笑が、にわかに曇りました。恐怖と恥じらいの表情で身を縮こめ、森を見つめました。

 乙女の視線の先――草木はびこるその向こうに、三人の男がいました。


 男のひとりは細身の長身で、肩と胸を守る簡素な鎧を身に着けていました。黒髪がさかだって、さらに長身をのばすその男――のっぽの外界人ストレンジャーは、不敵に言いました。


「おい、見ろよ、妖精エルフだぜ。売りとばしゃあ、いい金になる」


 男のひとりはずんぐりとして、帽子型の兜についた角を勘定に入れても、小男であることに変わりはありませんでした。服は胸もとが編みあげられ、黒くて濃ゆい体毛がのぞいているその小男――ずんぐりの外界人ストレンジャーは、目をぎらつかせて言いました。


「いいや、妖婦ニンフさ。男を誘ってやがるだろ?」


 のっぽにしろ、ずんぐりにしろ、屈強と表せる体躯たいくで筋肉を見せつけていました。しかしもうひとりの男は、赤い山折れずきんと、長いマントで全身をくるんでいました。


「なんだっていいだろうが……ともかく楽しもうぜ……」


 赤いずきんの男はそう言うと、舌舐めずりをしながら一歩踏みだしました。マントがわずかにはだけ、のぞいた中身はふんどし一枚の半裸でした。ヒョロヒョロの体を、ガニ股に屈めていました。


 三人の男は、『妖婦ニンフ』と呼ばれた裸身の乙女へ、夢中でにじりよりました。


 ビイイイイィィィィィィィィィィィィィィプッ ビイィィィ……


 けたたましいさえずりが、三人の男の耳を占領しました。男たちに頭上の枝のきしむ音は届かず、ヒラリ舞い直下する死神にも、気づく者はありませんでした――が鳴るまでは。


 背後に鳴るその音に、男たちは戦りつしました――堅牢けんろう頭蓋ずがい脳髄のうずいを吹いて、一撃のもとに圧潰あっかいする音。


 ずんぐりとずきんはふり向き、凄惨せいさんな光景に硬直しました。


 そこには頭をハンバーグにして、無事な胴と四肢ししをけいれんさせるのっぽの外界人ストレンジャーがいました。それからさらにもうひとり、それを見おろす男がいました。


 男は妖婦ニンフと同様、とがった耳、そり返った鼻、草色の髪、土色の肌をしていました。

 ただし男は裸ではなく、筋肉で隆起する薄地のカーディガンを、はだけさせ着ていました。さらされた腹も胸も、贅肉のひとかけらとて見せず、美しい彫りを見せつけていました。七分丈しちぶたけのズボンから突きでる素足も、ふくらはぎが破裂せんばかりでした。


 緑髪の男は、地面をへこませる岩塊がんかいのようなこん棒を、片手でふり上げ肩にかつぎました。

 緑髪の男は前傾になって、ジロリと視線を上げました。眉間に深くしわをよせ、口の端を引きあげると、刈りこんだ緑髪がさかだちました。犬歯を見せつけるその様は、血を求める暴力の権化でした。


「……鬼神オーガだ……」


 ずんぐりの外界人ストレンジャーは、驚愕きょうがくのままやっとひと言つぶやいて、ようやく後ずさりをしました。


 やおら、ずんぐりの冷や汗まみれの顔を、細く長い指が優しくなで――と同時に、首の前部がのどぶえまで裂け、鮮血が噴射しました。

 ずんぐりの外界人ストレンジャーは、生気を失くしくずおれました。背後では、濡れ肌の妖婦ニンフ妖艶ようえんな笑みをたたえ、たたずんでいました。

 妖婦ニンフは水をしたたらせ、逆手さかてに持った大ぶりのナイフは、刀身を血に濡らしていました。


 前門の『鬼神オーガ』に、後門の妖婦ニンフ


 赤いずきんの男は、滝へといたる渓谷の小道で、逃げ道を求め急峻きゅうしゅんな大地に少しくあがきました。徒労に終わりふり返ると、こん棒が顔面に向け襲来していました。


 ずきんの男は、腕を掲げ顔をかばいました。しかし叩きしめられた木片は岩の強度をほこり、左腕を潰してずきんの男をはじき飛ばしました。


 立ち木の根もとへ、したたか打ちつけられたずきんの男は、即死を免れながらも息を詰まらせました。しかし男には寸暇すんかも与えられず、風を切る刃が車輪となって飛来しました。


「あっ」


 ずきんの男が気づいたときには、その胸に妖婦ニンフの大ぶりナイフが突きたっていました。


「くっ……クソがあああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………」


 突きたつナイフの柄頭つかがしらを、鬼神オーガと呼ばれた男が踏みつけました。

 ナイフはズブズブと沈んでいき、ずきんの男の断末魔はやがて鳴りやみました。

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