第一章

第1話 おとぎ話は森の中

 その木は、のたくるようななりでした。木は見あげるほどに大きく、根は地表に露出して、少女がもたれていました。


 少女の身を覆う衣は、薄ぎぬの肌着ただひとつでした。ほころび、泥土どろつちと血でけがれ、華奢きゃしゃな手足は幾多のなま傷とともにさらされていました。


 少女のあどけない顔は、疲労困憊こんぱいにうなだれてました。しかしそのまなざしは、自身の腕の中の赤子を、しっかりと捉えていました。力なく抱えられた小さな命は、母子ははこの証によって、少女の股ぐらへとつながっていました。


 深い木々を霧が包む、わびしき森の奥。人の立ち入りをいとう魔境のふちで、少女を見とめたのは、二匹の亜人でした。招かれざる客を、野蛮なる饗応きょうおうに処する、無慈悲なる者たち。


 亜人たちは、布切れをそのまま巻きつけたような衣をまとっていました。衣から素足と素手をむき出して、その手にひとりは槍を持ち、ひとりは斧をかついでいました。二匹ともずきんをかぶり、そこからのぞく顔は、人のそれとは違っていました。


 深い眼窩がんかにもおさまりきらぬ大きなギョロ目。丸くて平たいケモノ鼻。むき出しの大きな歯。全てが誇張された顔には巻き角までついて――やおら亜人の手が、自身の顔をはぎ取りました。


 そのはぎ取られた顔――もといを手に、槍の亜人は無言で少女を見つめました。

 相棒のそんな様子に、斧の亜人も仮面をはずし、声をかけました。


「オベロンよぉ、なんでとっととっちまわねぇのさ?」


 オベロンと呼ばれた槍の亜人は答えました。


「なあ、アーチン。里長の命令は、外界人ストレンジャーの始末だよな」


 オベロンは、少女の抱く赤子を見ながら続けました。


「長くとがった耳、上向きの鼻。土色の肌に、草色の髪。僕らの同族だよ、殺す必要はない」


 アーチンと呼ばれた斧の亜人は、疑心ふんぷんに不満顔でした。


 細身でくせっ毛短髪のオベロンと、ぽっちゃりでさらり長髪のアーチン。彼らは、そのブタ鼻を除けば端正な顔だちでしたが、赤子は様子が違っていました。


 赤子は眼窩がんか上部が厚く、落ちくぼんだギョロ目が奇妙でした。しかしそれは、新生児特有のサル顔がゆえんとも見え、アーチンの疑心のもとではありませんでした。


 アーチンは、赤子へ手を伸ばしながら言いました。


「おまけに角まであるけどな」


 赤子の顔には、左こめかみ辺りに角がありました。それは肌の隆起りゅうきなどではなく、皮膚を破って突きでた、まぎれもない角でした。


 迫るアーチンの手に、少女は身を縮こめました。満身創痍そういを絵に描いたような少女は、それでも赤子をかばい、決然と亜人たちを見つめかえしました。


 アーチンは、改めて少女を見ました。下向きの鼻に、丸い耳。長い黒髪が張りついたやわ肌は、けがれども純白をのぞかせていました。


 アーチンは、あきれて言いました。


「そもそも母親は、まるきり外界人ストレンジャーだぜ?」


 オベロンは、冗談めかして言いました。


「アーチンお前、子育て得意だったっけ?」


 ――母親を殺し、赤子だけ連れかえるのか、と。


 アーチンは、うんざりと返しました。


「わかった、わかった! どうせこのなりじゃ、ほっぽっときゃ早晩、のたれ死にだぜ!」


 オベロンは、改めて少女を見ました。少女は、オベロンの目にさえ奇妙に映る赤子を、必死で守ろうとしていました。その姿は、どれほどに身をけがされようと、内面の純真はゆるぎのないようで――オベロンは、たまらなくいとおしさを覚えました。


「アーチン、借りるぜ」


 オベロンはアーチンの斧をひったくり、自分の槍とともに少女の足もとへ置きました。しばらく周囲の草むらをガサゴソ漁ると、斧と槍の上にを置きました。


 それを見たアーチンは、片手で頭を抱えて言いました。


「おいおい、マジかよ……」


 白い雛菊デイジー桃色の桜草プリムローズ紫の菖蒲アイリス青い釣鐘水仙ブルーベル、それから黄色い蒲公英タンポポも。


 凶器に、色とりどりの花々がそえられた様は珍妙でした。しかし少女の目を丸くさせたのは、その向こうにあるオベロンの姿でした。片膝かたひざだちで片手を胸に、深くこうべを垂れる姿は、まるで姫君に忠誠を誓い、身命をささげる騎士でした。


 オベロンのこっけいな様子に、張りつめていた緊迫の糸を断たれた少女は、気を失ってくずおれました。


 ***


 オベロンとアーチン――彼らは森にひそみ住む、長命の種族です。森の外の者たちを『外界人ストレンジャー』と呼び、彼らとは異なる時の流れを生きます。


 外界人ストレンジャーは彼らのことを、その物珍しさから時に『妖精エルフ』と呼び忌避きひし、時に『餓鬼ゴブリン』と呼び唾棄だきしました。それは略奪や隷属れいぞく、あるいは戯れの暴力の対象にされることを意味しました。


 森の開拓が進むにつれ対立は激化し、外界人ストレンジャー狩りがひとつの生業なりわいとなりました。両者がむつみあうわけもなく、赤子を抱える少女は、その犠牲者でした。

 少女と赤子は、そんなオベロンたち種族の隠れ里で、暮らすことになりました。

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