はじめてお留守番する娘と夜更かしどもの午前二時②

「……」

 俺は、手のひらに突き立てていた上顎の力を和らげた。

「いい子ね。さっすが、私の――ねえ、そこのアンタ! まだヤル気でいるの? 見上げた根性だけど、アンタの気が済むまでここで遊んでくには、時間が足りないと思うわよ。おまわりさんも交えて遊びたいなら、止めないけど……へへん、逃げたわね。やれやれだわ」

 俺への言葉を切り上げて、ミフネが口にした挑発に、不審な男はレベッカよりも自分の方が可愛くなったらしい。踵を返した気配が、慌ただしく階段をくだっていく。

 勝手口を開いた金属の軋み音と同時に、とおばかりの見た目からは想像しがたい、万力のような強靭つよさでレベッカの身体を拘束していた腕が緩む。

 俺は、無理やり掛けさせられていたミフネの膝の上から立ち上がると、彼女を振り返った。

 礼なんか言ってやらない。この子だって、十分“怪しい奴”だ。

「どうやって入った」

 施錠に見落としはなかったはずだ。

「どうって、あそこから」

 厳しい口調で問い質す俺に向かって、あっけらかんと答えながら、彼女が仰いだのは、衣装箪笥……ではなくて、その向こうにあるはずの高窓のようだった。

 そういや、あったな、明かり取り。

 椅子に登っても手が届かなくて、この家で唯一、俺が鍵を閉められなかった窓の存在を思い出した。

 確かに、あのサッシからなら、外からこの家に入ることは可能だろうけれど、答えにはなっていない。

 だって、あれは、この身体だって腹がつっかえてしまいそうな、本当に細長い寸法しかないのだ。

 レベッカでも無理そうなのに、ミフネの体格で通れる道理など立つはずがない。彼女が魔法使いでもない限り。

 ――てぇことは、よその家の魔法使いか。

 二、三はすぐに候補が浮かぶ。《二つ身デュプレックス》にしろ、そうでないにしろ、ミフネを何かしらの変身魔法の使い手とみなした俺は、問答無用で彼女に「あなまほ」を向けた。

 EAPの反応は予想通り早かったが、結果は俺の予想と全然違った。

 何だコレ、Unable to分析で analyzeきないって……。

 そんな表示があることすら、初めて知ったリザルト画面に、俺は唖然とするしかない。

「キミさあ、デリカシーって言葉を知らないの?」

 言葉と共に、硬質ガラスの下から白い光を零しているEAPの画面へ、じかに手が置かれた。画面から僅かにはみ出す、ひんやりした指先が、俺の掌にも触れる。

 バックライトのおかげで、少しだけよくなった視界がまた翳った暗がりの中、ミフネは言った。

「ケータイが大好きな礼儀知らずのキミに、ひとつだけ教えてあげる。私の名前は、ふた文字で『余り物の音』って書くの。漢字で正しく書けたら、もっと色々教えてあげるよ」

「ポーリャちゃん、無事!? いるんなら返事して!」

 ピシャンと開かれた玄関の方から、ゆき母さんの声。階下に首だけで振り向いて、レベッカに似せた舌足らずな口調でだいじょぶ!と返す。

 再び目をやると、ミフネの姿は、煙のように消えていた。

 えええ、マジか。一瞬しかなかったぞ、俺が目を離したのは。

 彼女がいたはずの場所に、EAPを向けたが、どういうわけか、「あなまほ」は魔法の痕跡を何一つ拾ってくれなかった。

 まさか、幽霊?

 いやいや、そんなバカなことがあってたまるか。

 彼女の手が、指先まで全部冷たかったせいで、頭に思い浮かんだ言葉を、俺はぶんぶか首を振って追い出した。


「また君か、山の上の魔女のところの」

「やだなあ。またとか言わないでくださいよ。師匠んちの一大事って聞いて、慌てて飛んできただけなんだから」

 女性警官とともに階段を上がってきた母さんに手を引かれ、玄関の引戸をくぐったポーリャの耳に届いたのは、慣れた口ぶりで、俺達を引き連れたのとは別な警察官とやりとりしている先生ししょーの声だった。

 深夜徘徊する上に、警察とも顔なじみ。

 嫌な中学生だと思うが、この時代までの宮代家の収入源は、「読む」ことをストレートに活かした仕事がほとんどだったと習ったことがあったせいで、驚きはあまりない。

「……そっちの二人は? いつもは見ない顔だけど」

「又従姉のゆきと、師匠の家で預かってる子です。ゆきは、湖のそばの森屋先生のところの下のお孫さん。かなご子どもクリニックの良児先生の娘さんの方がわかりやすいですかね。こっちの子は、まあ、ボクの弟子みたいな?」

 母さんの素性を明かしたのに続いて、ポーリャに関しては言葉を濁した少年の声に、二人の警察官は、「読み」なしでも分かるくらい揃って面倒くさそうな顔をした。

 元医務官で文筆家の祖父に、開業医の父を持つ娘と、魔女の家の世話になっているらしい、外国人の女の子。

 どちらの方がより面倒そうと思われたのかは、さすがに分からなかったが、とにもかくにも、俺達が解放されるのは早かった。

 その秘訣は、登録魔法使いトマホークであることを意味する菫青石アイオライトの真新しいチャームにあった。

 青いきらきらした宮代家の守り石で作られた小さな飾りを掲げて、魔女の家に規制線を引かせるのを断固として拒絶した先生に、魔法使いだろうとなんであろうと、中学生の深夜徘徊は補導対象だから次はないのだと、せめてもの虚勢を張った警官二人が引き下がったのは、今からだいたい三十分前で、俺は現在、しゃべってはいけない試験の席に着かされている。

 眼前にある、いつもの大きな掘り炬燵式テーブルの上には、小さな女の子のために注がれた三杯目の林檎ジュース。

 俺の心を形にしたのかと疑いたくなるくらい汗をかいているグラスの向こうには、好奇心しか棲息してなさそうなキラキラの目で、“警察の代わりの事情聴取☆”と称して、ポーリャのことを根掘り葉掘り聞きたがっている宮代ゆきの姿があった。

 ――ことの次第を知らされていない実の母親に、何を白状しろってんだ。

 俺は未来から来たアンタの息子で、魔法を失敗して、女の子に取り憑いているとでも言えばいいのか。まさか!

 腹が膨れれば、口を開くとでも思ってどんどんジュースばっかり勧めてきやがって。

 先生はと言えば、俺のことを短く、「ボクの新弟子。仲良くしてやって」とだけ紹介してくれたきり、スマホで読書に勤しんでいるようだけど、多分、フリなんだろうな。

 俺とおんなじで、金曜日まで言い訳を考えるのを後回しにしていたにぜってーに違いない。

 頼りにならない先生のことは諦めて、レベッカを菓子で懐柔しようとした俺そっくりの思考回路を持ち合わせている少女と、目を合わせないように気をつけつつ、彼女の顔の造りを、コップのふちを唇で銜えたまま、俺は上目遣いでそっと伺った。

 眉上でパツンと切りそろえた前髪に、濡れ羽色のスーパーストレート(俺とそっくり!)セミロングヘア。長い睫毛と二重瞼に縁取られた、やたらと雄弁そうなデカい黒目がこちらを見てくる。

 いけね、見つかった。

 そのあとは、彼女の黒瞳が俺の一挙一動を追いかけてくるのをひしひしと感じながら、すでにガボカボになっている胃袋に、ちびりちびりと林檎の果汁を流し込むしかない。

 参ったな。もう飲めないんだけど、うまい切り出し方が見当たらねえや。

 あー、もう。しかたない。これでいこう。

 俺は、エイプリルフールの日の午前中に、良児じいちゃんに付いてきていた母さんが口にしていた一言を会話の糸口にすることに決めた。

「お兄ちゃまと同じで、ゆきお姉ちゃまも知恵せんせーの弟子?」

「お兄ちゃま? 笙真のこと?」

「うん!」

 ガタン。座卓が揺れた。

 俺たちと一緒の席について、スマホを眺めていたはずの先生に目を向けると、彼は膝を天板にしたたかに打ち付けたらしい。

 痛そうにふるふるしている少年に、おいおい何やってるんだよと心の中で告げつつ、俺は全く違う言葉を口に出した。

「だいじょうぶ? ショウ兄ちゃま」

「大丈夫だよ。ちょっとおかわりしてくるね」

 デジャ・ヴュみたいに、空の器を手に席を立とうとする先生に、母さんが声をかける。

「あたしがやろうか?」

 腰を浮かせかけた親戚の少女を、軽く手で制し、先生は今度こそ俺の後ろを通り過ぎた。

「いいよ、座ってて。ゆきはまたミルク入りでいい?」

「いらないよ。まだ半分も飲めてないし」

「そう?」

「うん。――えーっと、何の話だっけ」

 ほんの僅かな時間、虚空を見つめてから、少女はポーリャとの会話に戻ってきた。

「違うの。あたしは笙真と違って、ちゃんとの弟子じゃないの。セミエンなんだ、あたし。だから週イチで魔力制御のやり方だけ習ってる。具合を悪くしないようにって」

 日本人では一番多い、読みの魔力を持ってはいるのに、魔法として正しく発顕させることができないセミ魔法使いエン(チャントレス)

 俺が知っているこの時代の母さんの魔法使いとしてのプロフィールと、目の前の少女の言葉、それから俺の持っている最新版の「あなまほ」の結果表示の間に矛盾はなかった。

 ……「読み」については、だけど。

 その疑問を《光学迷彩カモフラージュ》中のスマホ経由でぶつけると、台所に立つ先生からLINEですぐさま返事があった。

 ふむふむ。なるほど、まだ黙っていろとね。

 「あなまほ」のリザルト画面に、ばっちり表示されていた母さんの「顕し」に関して、口止めを要求してくる短い文面に、俺は脳内で直接「了解ラジャ」とだけ打ち込んで返信した。

 本当は、「顕し」に関することは、喉から手が出るくらい、今すぐになんでも知りたかったけれど、先生の意にそぐわない発言をして、その機会が失われては元も子もない。

 だから俺は、宮代家が宮代家たる所以でもある、知りたがりの気持ちほんのうにどうにか蓋をして、ポーリャの魔法使いとしての素質の方に話をスライドさせた。

「そうなんだ、ポーリャは、ふるえんのばいなりなんだって。だからお兄ちゃまの弟子にしてもらったの」

「バイナリ? そりゃあすごいね。あのさ、ポーリャちゃんって、家はどこなの? 宮代じゃないよね」

「ゆきー。ソレ、今から話そうと思ってたから、ちょい待ちー」

「分かったー。ねえ、やっぱりおかわりもらっていーい?」

「いいよー」

 キッチンから快諾の声。マグカップを手にした母さんが立ち上がる。

 家名みょうじかあ。そのままペトロワってわけにはいかないよなあ。

 どうしよう。うーん。 

 考え始めた俺の頭を、台所から流れてきた母さんの鼻歌がくすぐった。

 その声に誘われるように、探し物をしている途中から、レベッカが何度も繰り返しまくっていた旋律がよぎる。

 あとからリフレインを開始した曲のタイトルを、俺はポーリャの響きのあとに繋げてみた。

 意外に上手く嵌った気がして、二つの歌からさらに連想した人名を、くだんのアプリの呼出符牒コールネームとして付けてやる。

 キーワードは、どちらも「ふるさと」だ。

 元の暮らしを取り戻したい俺とレベッカのための願掛けにしては、この命名は悪くない。

 少なくとも、「あなまほ」の正式名称よりはずっといい。

 そう自画自賛して、俺は二人が席に戻るのをおとなしく待つことにした。

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