星の形をしたしるし
「ねえ、スヴァルくん。いまのお歌はなんてゆってたの? うさぎがおいしい蚊がの山って、どんなお山?」
メロディラインのあとを追って、俺が唱歌を
「かが? もしかして、
「うん。かが」
英語で聞いてみたら、きちんと
一晩のうちに作り上げたくだんのアプリに反映されているのは、俺自身の日本語話者としての能力そのものなので、俺が子供の頃にしていた覚え間違いもばっちり残っていたらしい。
それを正しい言い方に矯正しつつ、歌詞の現代語訳も教えてやる。
「かが、じゃなくて、蚊、な。かの山ってのは、蚊とは関係なくって、
「じゃあ、かのかわは、あの川?」
「そ。うさぎを追いかけたあの山、小さいフナを釣ったあの川って、ずっと昔の日本の風景を歌ってるんだよ。練習のお部屋に昔の人の写真があったはずだから、下に見に行こっか?」
「うん」
トントン、タタタ、と軽い足音を立てて、ブラウスとチェック柄のスカートを翻しながらレベッカと俺は、階段を駆け下りる。
「これだな、百年くらい昔にいた知恵さんのご先祖様だよ、たぶん」
もしかしたら、俺とも血の繋がりがあるかもしれない、モノクロ写真の中で硬い表情をしている三人を指差した。
まあ、名前を聞かれても、知らないから答えられないけれど。そういや、
彼女の自由になっている視界に、俺がぐるんと振り回されたなと思った次の瞬間には、かちゃかちゃ音をさせて、鞘から引き抜かれそうな刀が目の前にあった。
一瞬、指でも切ったらどうしようという思いが浮かぶが、現れたのは、鈍く光る模造刀。
俺は、本物の日本刀でなかったことにほっとして、彼女から手の自由を取り上げるのは止めにしたが、それでも振り回したら碌なことにならないからと、レベッカにもとへ戻すように呼びかける。
「あのね、ポーリャは鋏の魔法、とくいなんだよ」
けれども、刀への興味を露わにしたチビっ子には、俺の注意はどこ吹く風みたいだ。
鯉口から少しだけ露わになった刀身を、鞘ごと体全体で抱えるように支えた
「おしゃべりもできないうちから、五ちょう全部、出せる子なんて見たことないって、いつもほめられてたの」
「へえ、そうなんだ。すごいね。ポーリャちゃんは」
だからさ、さっさとしまえって。
喧嘩になりかけたっていえば、あの妙なミフネって子と先生がいっしょに、何でまたあんな遅い時間に? これも気になるよな……。
そんなことを次々思い浮かべたせいで、五歳児でもわかるくらい、おざなりになった褒め言葉に、レベッカが頰を膨らませる。
「ベッカの魔法があんまりすごくないっておもってるんなら、ちがうんだから! みてるといいわ!」
軽んじられたことによる興奮のあまり、ポーリャと名乗る約束を見事に忘れている女の子は、鞘に戻した模造刀を半ば放り投げるように足元へ置いた。
「ほんとにベッカは、とくべつだって、パパもママも、ペギーたちもみんなゆってたんだよ。だって、ベッカは――やだ、うそ、なんで……っ!?」
とげのある口調で言い募りながら、ブラウスのポケットに指を丸めた左手を差し入れた瞬間、レベッカの動きがはたと、止まる。
同時に、その声音に不安そうな色がサッと刷かれた。
――どうした?
彼女の尋常でない狼狽え様に、俺はそのほかの考え事はすべて取りやめにして、尋ねるしかない。
俺の言葉はかろうじて届いていたらしい。呆然とした様子で、レベッカが俺に助けを求めるように呟いた。
「このお洋服にあったはずなのに、ないの。ベッカがとくべつな、しるし。どうしよう……ッ!」
ベッカちゃん、泣いちゃだめだ。言葉でもいいし、絵に描いてもいいから、しるしって奴が、どんなものだったか、俺に教えて。いっしょに、探そう。
へたり込みそうになっていた彼女の身体を、無断ではあったけれど、代わりに支えてあげながら、俺は、浮かんだばかりの彼女の涙を右手の甲で拭った。
心の中で、ほら、大丈夫だから、と呼びかけながら、声に出した言葉でも問いかける。
「この、ブラウス……ッ、最初、の日に、着て、いたのと、同じ、やつ、だよな?」
こくんと、しゃくりあげている首が頷いた。肯定らしい。
「だったら、俺が、着て、いたのは、そう長い、時間、じゃない。順番に、見て、いけば、きっと、すぐに、見つかる、はずだよ」
喉から出るのは、ひっく、ひっくと泣いている声のままだったが、なるべく明るくて、落ち着いた口調になるよう努めつつ言ってやる。
「うん……」
左手が動いて、涙が再び拭われた。レベッカがいくらか落ち着きを取り戻したみたいだった。
「ベッカのしるしは、おほしさまのかたちをしてるの」
星? それなら、思い当たるものがあった。俺が醤油差しだと思ったやつに違いない。あれは、確か……。
この部屋で、またポケットに戻して、それからは触れた憶えはないから、洗濯されたか、まだ庭にあるか、どちらかしかない。
「二階から順番に見ていこう? そのあとは、洗濯機も。外は……、まあ見つからなければ、にしようか?」
俺がレベッカの姿になったことに、初めて気付いた時に覗いた窓。そこに掛かっているカーテンをめくると、日没までは、まだ時間がありそうだった。
「うん、よるになって、おおかみになったら、いけないからだよね?」
心配そうにしているレベッカが、また泣き出したりしないよう、まずは彼女の懸念があたらないことを述べてやる。
「違うよ。最初の夜は、変身してなかっただろ? アレ、
「そうゆえば、ちゃんとにんげんのままだった。《明かし》の魔法でできてる『えいあい』って、そうゆうこともできるの?」
「えいあいじゃなくて、AI。
さっき降りてきたばかりの階段の手すりに手をかけ、彼女を促した。
結論から言うと、上った先の先生の部屋には、レベッカの探し物はなく、洗濯機の中やその周辺も同じだった。
「いいか。夜になって、狼になる時のざわざわが来たら、ベッカちゃんが変身してもしなくても、俺の言う事を聞いて、絶対すぐに家に入ること。約束できる?」
「できる」
予想通り外へ出ることを言い出したレベッカに、そう約束させた俺は、彼女と一緒に靴を履いて、庭先に出る。
EAPの現在時刻、それから昨日と一昨日の変身したタイミングを元に出したおおよそのタイムリミットを頭に置きつつ、先生に向こう脛を蹴られた辺りの芝生に手を突っ込んだ俺達は、レベッカの「しるし」探しを開始した。
「読み」が使えるんなら、指先を一度弾くだけで見つかることを思うと、気が重くて仕方がない。
けれども、無い物ねだりをしたって、事態が好転するわけがないのだ。
せめて早く見つけられますように。
レベッカと一緒にそう念じながら、鴉たちが騒いでいる夕暮れ間近の気配がする空の下で、俺達は黙って手を動かすしかなかった。
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