第26話

 走る、走る。

 馬車が飛ぶように走っている。しかしフェリスには、急流のように流れていく帝都の街並みさえもどかしく感じた。

 馬車を走らせながらも、ナハトの傷を圧迫して止血はしてある。それでも刻一刻と顔から血の気が引いていくナハトを見ると、心が挫けそうになる。


(応急処置はした──後は時間と気力の勝負)


 今のフェリスにはもう何もできない──歯が砕けるかと思う程、フェリスはグッと奥歯を噛みしめる。

 ──やきもきしている間に治療院についた。

 フェリスはすぐに飛び出していって、治療院の人間に話をつける。幸いフェリスがそこそこ名の知れた貴族だったので、すぐに話は通った。

 フェリスは馬車からナハトを抱え出す。


「着いたぞナハト、治療院だ! 気をしっかり持て‼ 死ぬことは許さない! 絶対にだ‼」

「さあこちらへ」


 フェリスはナハトを抱えて治療院の奥へ向かう。ナハトの細い体は思った以上に軽く、今にも消えてしまいそうで、フェリスは胸が張り裂けそうな思いだった。

 魔法陣の描かれた診察台にナハトを横たえると、張り裂けそうな胸を押さえながら、治療院の魔術師に後を託した。


「任せたぞ」


 うなずき治癒魔術をかけ始める魔術師たちを背に、フェリスは治療室から出た。そこで急に膝から崩れ落ちる。

 張り詰めていた緊張の糸が切れ、身体に力が入らなくなったのだ。フェリスは壁伝いに何とか立ち上がり、すぐ近くに設置されたベンチにどうにか腰を下す。

 泥の中に沈み込むような疲労感に襲われ、しばらくの間フェリスはベンチに腰掛けたまま俯き、ジッと床を眺めていた。


 どれくらい経っただろうか、かなり長い時間の気もするし、それほど経っていないようにも思える。いつの間にか近くに人の気配を感じて、フェリスは顔を上げた。


「よう──お疲れさん」

「バルダック……」


 金髪の軽薄な男が、珍しく優しげな顔で立っていた。


「大体の事情は聞いたぜ、大変だったな」


 バルダックはいつもの軽い調子でドカッとフェリスの隣に腰掛ける。その変わらない調子が、今は少しだけ安心する。


「私など大したことはない。ナハトのお陰だ──ナハトがいたから暗殺を防げた」

「やべぇ戦闘だったんだろ? ナハトの奴がぶっ倒れちまうくらい。聞いた話によると、戦況を動かす切っ掛けを作ったのはフェリスちゃんらしいじゃねぇか。上出来なんじゃねぇの」

「…………」

「疲れているなら事後処理は代わるぜ? 俺は平隊士だから委任状が必要だけど」


 バルダックの申し出にフェリスは力なく笑う。


「そなた……思ったよりも優しいのだな」


 バルダックは一瞬目を見開いてから、照れくさそうにおどけてみせた。


「女好きなだけだって──報酬はそうだな、ほっぺにチューでどうだい?」


 いつもと変わらぬ品のない軽口──それが頼もしく感じるなど、フェリスは考えもしなかった。

 小さく笑い、フェリスはゆっくりと立ち上がる。


「それは嫌なので、疲れた体に鞭打つとしよう」

「あ~あ、またフラれちまった」


 チャンスだと思ったんだけどな──と悔しがるバルダックに背を向けて、フェリスは感謝の言葉を口にする。


「ありがとうバルダック」

「礼を言われるようなことなんて何もしてねぇよ、俺はただ年下の女上司にセクハラしてただけだしな」

「それもそうだ」


 軽口の叩き合いが今は心地よい。二人は静かに笑う。

 と不意にバルダックは話題を変えた。


「しかしあのナハトが斬られるなんてよ、一体相手はどんな魔法を使ったんだ?」

「それは──」 


 フェリスは言い淀む。 

 今の今までナハトの怪我のことで頭がいっぱいだったが、冷静になると途端に疑問が溢れてくる。


(アレは何だったのだろうか……?)


 フェリスも全てを見ていた訳ではないが、ナハトが倒れる瞬間はしっかりと見ていた。その瞬間をフェリスは懸命に思い出す。


(突然過激派の首領が真っ二つになり、ナハトも切り裂かれた──まるで見えない剣で斬りつけたかのように──)


 一体だれがどうやってナハトを斬ったのだろう。 


(『一体相手はどんな魔法を使ったんだ』)


 脳裏によぎるバルダックの声。


(──もしや魔術か?)


 魔術であれば説明はつく。しかしあの場に、魔術師がもう一人いたのだろうか?

 もしそんな魔術を使えるのであれば、最初からその魔術で皇太子たちを襲えばよかったはずだ。どうにも不可解に思える。 

 フェリスが考え込んでいると、


「──ヴァンダルム様」


 治療院の侍女が声をかけた。


「どうした?」

「副隊長殿の意識が戻りました」

「本当か⁉」


 目を見開いて聞き返すフェリスに、侍女はうなずく。


「はい──未だ衰弱しておりますが、峠は越えたかと」

「良かった……」


 フェリスはホッと胸をなで下ろす──少しだけ肩の荷が降りた気分だった。侍女はさらに続ける。


「それでヴァンダルム様を呼べと、しきりに呻いていまして」

「ナハトが私を?」

「治療室へ来ていただけますか」

「──分かった、すぐに向かう」


 一体何だろうか。

 バルダックと顔を見合わせてからフェリスは、速やかに治療室に向かった。

 治療室ではまだ治療の終わっていないナハトが、苦しそうに呻いている。峠を越えたと言われても悲痛な姿であることに変わりなく、フェリスはまた胸を痛める。

 気を取り直してフェリスはナハトのそばに寄り声をかける。


「どうしたナハト」

「……フェリス……急いでくれ……い──が」


 うわ言のようにつぶやくナハト。上手く聞き取れず、フェリスは耳をナハトの口元に近付けた。


「ナハト、どうしたんだ。何を伝えたい?」

「家に……向かってくれ……」

「家? ナハトの家か?」

「子供たちが……危ない……」

「⁉ それは──」


 思いもしない言葉に驚いてフェリスは顔を上げると、


「……」


 ナハトはそれ以上何も言わなかった。


「おいナハト‼」

「気を失っただけです。ボロボロの身体で、最後の気力を振り絞っての言葉だったのでしょう、大した精神力です。回復すればまた目を覚ますはずです」


 治療魔術師がフェリスにそう声をかけると、フェリスは治療室を後にした。

 治療室を出たフェリスはナハトの言葉を反芻し、今にも駆け出しそうな勢いで治療院の廊下をズンズン進む。

 何が何やら分からず、バルダックは首を捻った。


「おいフェリスちゃんどうしたんだよ⁉」

「今すぐナハトの家に向かう! ──何があるのかは分からない。だが絶対何かある‼」

「……!」


 フェリスの語気の強さにバルダックは何かを察し、そして肩をすくめてフェリスの背に向かって叫ぶ。


「了解。後の始末は俺がやっとくから行ってきな! この際報酬はなくてもいい」

「感謝する! ──馬を持て! 大至急だ‼」


 フェリスは馬に跨り、治療院を飛び出した。

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