第27話

 帝都から少し外れたところにある荒野を、ロランスは歩いていた。


「奴が悪いのだ……あんな奴が存在するから……」


 ブツブツと呪詛のようにナハトへの怨嗟をつぶやき続けている。誰が見ても正気の様子ではなかった。

 呪いの言葉をまき散らしながらロランスは歩み続け、ついに目的の場所を視界に捉える。

 伐り倒した丸太を組み合わせた家──否、家とも呼べない粗末なねぐらだ。

 壊したところで獣の巣を打ち壊すのと何が違うというのか。中にいるのだって獣と変わらぬ下賤な者どもでしかない。


 ロランスはスルリと腰の剣──手のひらから冷たい魔力が伝わるそれを抜き放つ。剣が禍々しい魔力を纏い、今か今かと殺戮を待ち望んでいた。

 嗜虐的な興奮を含んだ酷薄な笑みをロランスは浮かべる


「全て消し去る、奴の物全てを──」

「待てぇ!」


 まるで風鈴のような凛々しい声が、荒野に轟いた。続いて蹄音がして、一騎が疾風のような速度で駆けてくる。

 馬に乗っていた騎士はフェリス・ヴァンダルムであった。

 ロランスは興が削がれたようにボソリと一人ごちる。


「おや……人目につかぬよう徒歩で来たのが仇となったか、まさか追いつかれるとは」

「何をしているのですかエスメラルダ様、その剣は一体──」


 フェリスはロランスの持つ剣の尋常でない雰囲気にすぐ気が付いた。険しい目つきでロランスを睨みつける。


「──まさか無辜の民を斬るつもりではないでしょうな」

「そのまさか──と言ったらどうする? フェリス嬢」


 下卑た笑みのまま、冗談めかして答えるロランス。しかしその目は本気だった──この男は本気であの家の住人である子供たちを斬るつもりだ。

 それを察したフェリスは、馬上から降りて剣を抜く。


「その時は我が剣でお止めします──必要であれば斬ってでも!」

「フハッ、フハハハハハーーッ!」


 眼前に立ち塞がるフェリスに、ロランスは狂ったように哄笑した。ロランスの異様さと剣を抜いたフェリスに不穏な気配を感じたのだろう、フェリスを下した馬はすぐに逃げ出してしまう。

 フェリスもまた本気だった。もしロランスが襲い来るならば斬る──その覚悟で立っていた。正眼に構えた剣からは、寄らば斬るという気迫が溢れている。

 しかしフェリスの気迫を前にしても、ロランスの余裕は崩れない。 


「何とも勇ましい限りだ。その威勢、いつまで持つか見ものですな」


 それどころかクックックと不気味な笑みを浮かべていた。

 純粋な剣の技量で考えれば、フェリスの方が上手である──にも関わらずこの余裕。


(何かあるのか……?)


 フェリスは警戒を強めた。


「本当はあなたを手に入れるつもりだったが気が変わった。ここで楽しんだのちにボロ切れのように捨ててやろう」

「何? どういう事だ」

「こういう事だ」


 ロランスは手にした剣を掲げた。フェリスとロランスの距離はおおよそ5~6メートル程、そんな所で剣を掲げたところでフェリスに届くはずもない。

 不意にフェリスはロランスの掲げた剣の禍々しい雰囲気が、増したように感じた──そして、


「──はぁっ!」


 ロランスが気合と共に剣を一閃すると、三十メートル程離れた地点に立っていた木が真っ二つに両断された。

 フェリスは唖然として目を疑う。


(あの大木を一撃で……何といういう威力! いやそれよりも──斬撃を飛ばした⁉)

「その剣まさか──」


 ニヤリとロランスは顔を歪め、得意絶頂で答える。


「そう──だよ」


 魔剣という響きに、フェリスは目眩のする思いがした。


(父様に聞いたことがある。魔力を帯びた武具、剣や槍が存在しそれらは魔剣・魔槍と呼ばれ、術者の力量に関係なく絶大な魔法を行使できる、と)


 魔剣についての知識を記憶の中から呼び覚まし、流れ出る冷や汗をフェリスは止められなかった。

 今しがた魔術師と戦ったばかりのフェリスは、術者の力量に関係なく絶大な魔法を使えるという事実が、一体どれほど恐ろしいものなのか骨身に染みて理解できる。


「わがエスメラルダ家に伝わる秘宝、『魔剣・風纏う翠玉の牙アイオロスエスメラルダ』だ──風の魔力を帯びていてね。斬撃を飛ばす事ができるんだ。剣を振らずに斬撃を飛ばすのは少々難しいのだが、動きに合わせて飛ばすならこの程度は容易いものさ」

「風による見えない斬撃を飛ばす──」


 その言葉尻をフェリスは聞き逃さなかった。大通りで血を流して倒れる瞬間のナハトがフラッシュバックする。


「──ナハトを斬ったのは貴様か⁉ ロランス・エスメラルダ!」

「如何にも」


 悪びれもせず、ロランスは首肯した。


「本当はダブリスごと両断してやるつもりだったのだが、斬撃の瞬間に体を捌いて致命傷を避けた──まるで野犬のような勘の良さと生き汚なさだ」


 心底ナハトを下に見たロランスの態度に、フェリスの堪忍袋の緒が切れる。

 自分の大切な存在を、この男は軽率に殺しかけたのだ──断じて許せるものではなかった。

 血が沸騰し、剣を握る手に力が籠る。


「貴様ァァァ!」


 脱兎の如き素早さでフェリスはロランスに駆け寄り、ロランスの脳天めがけて力任せに剣を振り下ろす。


「おっと」


 ロランスは慌てる風でもなく、携えた剣を上段へ跳ね上げる。生半可な受けでは押し切ってしまいそうなフェリスの剛剣を、ロランスは苦も無く受け止めた──否、受けていない。

 ロランスは何の抵抗もなく、剣を大上段に振り上げる。


(私の剣が──⁉)


 耳馴染みのない音がして、フェリスの剣が両断される。斬り落とされた刀身の半分はクルクルと宙を舞い、遠くの草地に力なく突き刺さった。


「言い忘れていたが、この魔力による斬撃はとても強力でね。鎧も剣も容易く両断できるのだよ」

「くっ……!」


 フェリスは飛びさがって距離を取った。

 半分になった自分の剣を見ながら、己の迂闊さを悔いる。ロランスの魔剣の威力は木立を切り裂いた時に見ていたはずなのに、怒りに我を忘れて斬りかかってしまった。

 フェリスは必死に考えを巡らし、どうにか勝ち口を見つけ出そうと奮起する。


(あの斬撃の前には一切の防御は無意味、攻撃されたら回避するしかない。しかし斬撃を飛ばすことも出来る、距離を取ったところで安全圏ではない。実質的に間合いは三十メートル以上──!)


 防御できない広範囲の斬撃を避けながら、ロランスに致命の一撃を与えねばならない。それがどれだけ困難なことか──魔術師と対峙していた時以上にフェリスは濃密な死の気配を感じて、ゴクリと息を吞む。

 その時だった。


「何やら騒がしいわね……ってフェリスさん?」

「ああっ! フェリスお姉ちゃんだ──」


 外の騒ぎを聞きつけたのか、家からリーナと子供たちが顔を出す。


「──来るなぁ!」


 あらん限りの声でフェリスは叫ぶ。


「不逞の輩がいる! リーナ、子供たちを家から出すな‼ 隠れていろ!」


 フェリスの鬼気迫る様子にただならぬ気配を感じたのか、リーナは言い返すこともなく子供たちを連れて家に引っ込んだ。

 家の前の荒野で、フェリスは一人で魔剣を持つロランスと対峙する。先ほどの子供たちの声を聴いて、フェリスの覚悟が決まった。


 あそこには大切な人の大切な人たちがいる。

 自分にとっても大切な場所がある。

 何よりナハトに頼むと託されてしまったのだ。

 それを守る為に、戦わずして何が騎士か──無言でフェリスは闘志を昂らせる。


「我が命に代えても、この先には行かせない」


 その不退転の構えが、ロランスには気に食わなかったのだろう。


「なおも立ち塞がるというなら是非もない。その美しき騎士道の華、ここで散らしてみせよう」


 底意地の悪い笑みを浮かべ、ロランスは再度魔剣を振るう──そこから先は一方的だった。

 フェリスの気合一つでは戦況を覆せない。

 ロランスが放つ風の斬撃を前に、フェリスは右へ左へ逃げ回ることしかできない。たった数メートルの距離が、絶望的なほど遠かった。


 勝負になってすらいなかった。

 まるで巨象に小さな子犬が挑みかかるような、絶望的な力の差──それが今起きている事象の全て。

 数分としないうちにフェリスの息は上がり、遂には動けなくなってしまう。

 膝を付き、息を切らし、眼光だけで敵を呪い殺しそうなほど強くロランスを睨むフェリス。

 それを滑稽だと言わんばかりに、ロランスはせせら笑う。


「どうした? もうさっきまでの威勢がなくなってしまったね」

「この──」


 立ち上がろうとするフェリスのそばで、ヒュンと小さく風が通り過ぎた。

 服の袖が切り刻まれている。


「はっはっはっ! そらそらどうした!」


 どうやらロランスは徹底的にフェリスを辱めるつもりらしい。小さな斬撃を無数に発生させ、フェリスの衣服のみを切り刻み始めたのだ。

 迂闊に動けば身体も八つ裂きにされる──それが分かるだけに、フェリスも動けない。瞬く間にフェリスの衣服はズタズタに切り裂かれ、肌が露出しあられもない姿にされてしまう。

 羞恥と悔しさでフェリスは顔を真っ赤に染めた。


「くぅ……!」

「どうだい嬲りものにされる気分は?」

「……」


 フェリスは何も言わない。

 ただ無言で目尻に涙を溜めながらも、なおロランスに対して屈していないと目だけで必死に訴えている。


「いいねぇ、その震えながらも気丈に振舞う姿──それが絶望に歪むところが今から楽しみだよ」


 まるで自分の悪戯を自慢する悪童のように、ロランスはペラペラとまくし立てる。


「ついでだから教えてあげよう。今回の計画は全て私が立てたものだ。帝国に不満を持つ勢力は多い、それを煽ってやったら面白いように事が運んだ」

「今回の暗殺未遂も貴様が……?」

「そうだとも。本当は皇太子が斬られた所で皇女様を助けて、それをきっかけにして皇女と縁を結び、そのまま次代の皇帝になろうと考えていたのだが──あの男のせいで全てが台無しになってしまった。本当に腹立たしくて仕方がない。あんな虫けらが私の覇道を邪魔するのが我慢できない」


 だから──と言ってロランスはナハトの家に目を向ける。


「奴の持っている物を今から全て台無しにしてやる」

「この外道……!」


 罵る言葉がフェリスの口を突いて出た。


「貴様に貴族としての誇りはないのか! 私利私欲を貪り、無辜の民を犠牲にして、他国の騎士を手駒にし、あまつさえ守るべき皇族にまで弓を引いた──貴様それでも騎士か‼」

「何を甘い事を。貴族とは! 騎士とは‼ 何よりも財と力を持つ者を指す言葉! そして力ある者の行いは肯定され、力なき者がその前にひれ伏すのは自然の摂理──今まさにそうであろう、力なき剣の姫よ」


 フェリスの半裸に剥かれた肢体を舐めまわすように視線を這わせるロランス──まるで蛇のような冷たく無機質な瞳が、フェリスには恐ろしかった。

 ここまで人間は人間に対して無感動でいられるのか。他者の人としての価値、存在を認めず、自分の為に利用できる資源としてのみ見ている。

 貴族社会の膿が集結してできた化物が、ロランスなのだろう。

 ロランスはおもむろに魔剣を振りかぶった。


「はあああぁぁぁぁ……」


 肩に担ぐようにして、力を溜めている。それが大技を発する時の溜めなのだと、魔術に詳しくないフェリスにも分かった。


「まさか……」


 ロランスが見据える先──十数メートル前方にナハトの家が建っている。子供たちは全員そこに引きこもっているはずだ。

 フェリスはサッと血の気が引いた。


(ダメだ‼ それだけはダメだ──!)

「やめろおおおおおおおおおおおおおおぉぉーーーっ!」 

「──はあぁっ‼」


 フェリスの絶叫とロランスが魔剣を振り下ろしたのはほぼ同時。

 魔力で編まれた不可視の斬撃は、過たずにナハトの家を真っ二つに両断し、さらにその余波で暴風が吹き荒れ、切り刻まれた柱や壁諸共に吹き飛ばす。


 悲鳴も血しぶきも上がらない。

 あまりにも呆気なく、あまりにもあっさりと、ナハトの家は木っ端微塵になり消えてしまった。

 後にはただ家が立っていた痕跡、焼けた地面のあとだけが残されている。


「あ、ああ……ああああああああああああっ‼」

「フハハハハハ、ハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ‼」


 フェリスは絶望に顔を歪め、ロランスは可笑しくて仕方がないというように哄笑する。


(そんな……)


 もう無理だ──フェリスの視界がぼやける。懸命に堪えていた涙が溢れ出し、頬をつたって地面を濡らす。

 フェリスには何もできなかった。私利私欲を貪り、他者を食い物にして恥じることのない外道を前にして、一矢報いることさえできない。フェリスもまたここで嬲られ、口封じに殺されるだろう。

 自分の無力、失われた物の重み、果たせなかった約束を想い、フェリスは涙ながらに詫びる。


「すまないナハト……私は──私は何も守れなかった……」

「──そうでもないさ」

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