第6話

(何をしているんだろうな私は……)


 夕方、フェリスは建物の陰に隠れながらそう思った。チラリと視線を送る先にはナハトがいる。

 ここは帝都北西部の大きな市場で、様々な店が立ち並んでいる。

 その市場の片隅で、フェリスはこそこそと隠れながらナハトを尾行し観察していた。仕事を終えて帰路につくナハトを屯所で見かけたフェリスは、ついつい後を追いかけてしまったのだ。


(何も後ろめたいことをしている訳ではないのだから、隠れなくてもいいのだが……)


 それでも決闘に敗れた悔しさか、妙に顔を合わせづらい。

 視線の先ではナハトが肉屋の前で真剣に悩んでいる。フェリスを負かして手に入れた臨時給与で塩漬け肉を買うか、それとも他のものにするか考えているのだろう。

 塩漬け肉は決して高価ではない──そんなものでも購入を真剣に悩む人間がいるのだと、フェリスは初めて知った。


(思えば市井のことを私はよく知らないのだな……)


 貴族社会で生きてきたフェリスは、一人で市場に来たこともなかった。

 民を守るのだなどと高邁な理想を掲げておりながら、自分は守るべき民がどんな生活を送っているのかすら知らなかったのだと思い知らされる。

 フェリスがつい道行く人々や街並みに思いを馳せ、視線を彷徨わせている間に


「……俺に何の用ですか」

「う……」


 気づけばフェリスの目の前にナハトが立っていた。

 フェリスは言葉に詰まる。


「気付いてたのか」

「気配がしたので何となく」

(気配がした? ──この雑踏で?)


 市場はおおいに賑わっており、人ひとりの気配など紛れてしまいそうなものだが……


「そなたはかなり勘が鋭いな」

「勝負事に負けると俺を闇討ちしようと企む輩がいるので、普段から用心しているだけですよ。特に貴族と勝負事をすると、メンツがどうの名誉がどうのと、負けるより勝つ方が面倒が多い」


 苦虫を噛み潰したような顔で答えるナハト──口調に実感がこもっている。過去、本当にそういったトラブルがあったのだろう。


「……それが私との決闘で、手を抜いた理由か」

「ええ。団長が臨時給与を出すと言ってくれたんで、面倒事を被ってでも銭を取りに行きましたが」

「そなたは本当に徹頭して銭勘定で動いているのだな」


 感心とも呆れるともつかない苦笑をフェリスは漏らす。

 その態度にナハトはおや? と態度を軟化させる。フェリスの口調から敵愾心がないことを感じ取ったのだ。

 だからこそ疑問に思い、ナハトはもう一度問いかける。 


「闇討ちではないのなら、俺に何の用ですか」


 ナハトにはフェリスが自分を尾行してきた理由が分からない。フェリスは少し躊躇いながらも、思い切って口を開く。


「そなたに興味がある」

「へ?」


 予想だにしないフェリスの言葉にナハトは間の抜けた声を出し、ポカンと口を開ける。


「俺に……?」

「団長から色々とそなたの事情は聞いている、しかしあくまでも伝聞にすぎない。自分の補佐にあたる人物のことを、ちゃんと知りたいと思った。他人の目ではなく、自分の目でしかと見極めたいと」

「それで俺を尾行したんですか?」


 気まずそうにフェリスは視線を逸らす。


「それは……今思うと軽率だったな。申し訳ない」


 決闘の時とは打って変わったいじらしい態度に、思わずナハトは笑ってしまう。


「はっはっはっ! 貴方は面白い人ですね。本当にどこまでも真っ直ぐだ」

「褒めているのか貶されているのか分からんな……」

「もちろん褒めてます」


 少し恥ずかしそうにジトッとした目でこちらを睨みつけるフェリスが、ナハトにはとても新鮮だった。


(貴族と思って俺も色眼鏡で見ていたな……フェリスさんは俺が今まで見てきた、威張り腐った貴族とは違うようだ)


 今日会ったばかりではあるが、フェリスは少々頑固な面があるものの、基本的には善良な人間のように思う。


(というか……思い返せば俺にも落ち度はあったしな……)


 貴族や騎士の立ち振る舞いについてちゃんと知っている訳ではない自分は、知らず知らずのうちに礼を失していたのだろう──とナハトは己の行動や言動を省みる。


「貴方は悪い人ではなさそうだ……俺のことが知りたいというのであれば、何なりとお話ししますよ。俺の家で一緒に飯でもどうです?」

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