第4話
フェリスが攻め立てるも決めきれない──そんな決闘の様相を見て、団長は眉間にしわを寄せている。
それを視界の端に捉えて、ナハトは、
(面倒なことになった)
と思った。
(さすがに団長にはバレたな、こりゃ)
ナハトはわざと負けるつもりだったのだ。
ナハトが決闘が始まったときからずっと考えていたのは、どうやって勝つかではない。どうやって上手く負けるかという事だったのである。
しかし露骨に手を抜いて負ければそれはそれで角が立つし、真面目で誇り高いフェリスが逆上しかねない。
だが普通に一撃を喰らえば骨を砕かれる。
だからフェリスの太刀筋を見極め、最もダメージの少ない瞬間を狙ってわざと一撃を貰う──しかも追い込まれて手も足も出ないまま負けたように見えるよう自然に負ける──それがナハトの狙いだったのである。
そんなナハトの狙いを察して団長は嘆息する。
(困った奴だ──だがここで負けてもらっては困る)
「はぁ……仕方ない」
こめかみを抑えたあと、団長は意を決して声を張り上げた。
「──ナハト!」
練武場に団長の声が響き、フェリスも動きを止め、他の隊士たちも黙り込む。
静まり返った練武場でナハトは間延びした声で返事を返す。
「なんでしょう」
「この勝負、勝てば臨時給与を出す!」
団長の宣言を聞いたその瞬間、今までほとんど無表情だったナハトがニヤリと笑う。
「──毎度あり」
(何だ? 急に雰囲気が変わった……?)
剣士として重ねた修練の成果か。フェリスの勘が警戒音を鳴らしていた。
さっきまでとは違う──目の前の男は危険だ、と。
──その勘は正しかった。
フェリスに油断はなかった。十分に警戒しナハトを注視していた──にも関わらず、一瞬ナハトの姿が消えたように見えた。
「シッ」
「くっ⁉」
短い呼気と共に、今度はナハトが攻めに転じた。
フェリスほどの威力はないにしろ、その打ち込みの速さはフェリスの比ではない。恐ろしいほどの鋭さだ。
勘で危険を察知していたおかげか、フェリスは何とか鍔元で受ける。本能で危機を察知していなければ、今の一撃で負けていただろう。
(なっ⁉ 先程とは比べ物にならない鋭い打ち込み──まさか……⁉)
鍔ぜり合ったまま、フェリスは愕然と目を見開いた。
「貴様、さっきまで手を抜いていたのか⁉」
思えば違和感はずっとしていた。
ただ臆病風に吹かれて逃げ惑う者が、フェリスの本気の打ち込みから逃げ続けることなど出来るわけがない。
それが指し示す事実は一つ──ナハトの剣腕が並外れていることに他ならない。
「いやぁどうにも、金の儲からない勝負には本気になれない質でしてね」
特に気負うでも誇るでもなく、相手を見下すでもなく、淡々とナハトは告げる。その口調から分かる──彼の言っていることは本当だ。
「しかし総隊長が臨時給与を出すと言われたので、俄然やる気が出てきたところです。というわけで──悪いがあなたには負けてもらおうか」
ナハトはフェリスを舐めているわけではない。本当に、ただ純粋に金にならないからさっきまで本気を出さず、金がもらえると分かったから本気を出しているのだ。
その事実がフェリスの怒髪天を衝く。
「ふざけるな!」
フェリスは鍔ぜり合った状態から、強引にナハトを押し飛ばす。
「金のために剣を執るだと? それがどれだけ己の──騎士の名誉を傷付ける事か分かっているか!」
「分かりません。俺は名誉だの栄誉だのには、全く興味がありません。興味があるのは、銭をくれるのかだけですよ」
「貴様! やはり騎士の風上にも置けん‼」
騎士としての在り方に拘りがあるのだろう、フェリスは決闘が始まった時よりもさらに怒り心頭といった風だった。
「騎士とは国を守り、民を守るために在る者。貴様のような奴は、私が今ここで引導を渡してくれようか!」
「国に民ですか──俺には大きすぎてよく分からないですね」
対するナハトは柳に風と飄々とした態度を崩さない。それがなおさらフェリスを苛立たせる。
「ならばその物分かりの悪い頭蓋を砕く……!」
フェリスは決闘開始時と同じ構えを取った──右肩に木剣を担ぐようにする八双の構え。さらに先ほどよりやや身体を捻り、身体に溜めを作っている。
腕力、疾風のごとき踏み込みによる重心移動、そして身体の溜め。三つの力を込めたフェリスの一撃の重さは、想像するに有り余る威力だ。
フェリスは己の最強最速の一撃で勝負を決めるつもりらしい。その威容たるや、まるで獅子が今まさに飛び掛かろうとしているかのようだった。
「ふぅ──」
しかしそんな威容を前にしても、ナハトは何も変わらない。臆した様子もなければ、逸る様子もない。
さながら湖面に浮かぶ月影のように泰然としている。
──と、不意にナハトが構えを解いた。
剣先をだらりと下げて、上段がガラ空きになる──その刹那をフェリスは見逃さなかった。
「ハアァァァァーーーーー!」
つがえられた矢が弓から放たれるように、ダッと地を蹴って瞬きのうちに間合いを詰める。フェリスの全身全霊を込めた木剣が、ナハトの脳天に向かって振り下ろされる。
(もらった!)
フェリスは勝利を確信する。
しかしその刹那──
「剣も心も、あなたは真っ直ぐすぎる」
(なっ⁉)
カッ──と硬質な音がした。
「──紅葉落とし」
気付けばナハトはフェリスの鼻先に木剣の先を突きつけており、フェリスは木剣を取り落としていた。
「なっ……⁉」
「い、今何をやったんだ……?」
「ナハトがやられると思ったのに、いつの間にかフェリスの方が木剣を打ち落とされて──」
「──相変わらず芸達者だな」
見ていた隊士たちは何があったのか分からず、団長だけが満足げにうなずく。刹那のうちに繰り出されたナハトの妙技を、団長とフェリスだけが理解していた。
今まさにフェリスの木剣がナハトの頭蓋を打ち砕く──その瞬間にナハトは紙一重の見切りと最小限の体捌きのみで、完全にフェリスの攻撃を無効化してみせたのだ。
しかもフェリスの木剣が袖を掠める刹那に小さく振りかぶり、フェリスの打ち下ろしのさらに上から打ち込んだのである。
ようはフェリスの打ち込みを、ナハトがさらに加速させたのだ。
結果ただでさえ強いフェリスの打ち込みはさらに強くなり、勢いを増した木剣は彼女の手からこぼれ落ちてしまったという訳である。
フェリスは冷や汗がつぅっと頬を流れるのを感じる。
それは明らかに自分よりも優れた剣技を見せつけられた、剣士としての戦慄だった。
今の技は攻撃の見切り、体捌きのタイミング、打ち込みの速さ──その全てが高い水準に達していることを証明するものだったからである。
「……くっ」
フェリスは悔しさをこらえて歯嚙みするしかない。
本気になってからわずか二つの打ち込みだけで、ナハトはフェリスに完勝して見せたのだ──それも剣士としての技量の差を見せつける形で。
団長が高らかに宣言した。
「それまで! 勝負あり──勝者ナハト」
「そんな……まさか……」
ナハトが木剣を引くと、フェリスは呆然と膝から崩れ落ちた。
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