第3話


 涼が死んでいる。天井から吊るされた縄を、綺麗に首へ食い込ませ。真白い肌が怖いくらいに血の気を無くしている。

 首吊り死体は、とても醜いと聞いたことがある。死ぬと全身が弛緩し、体内のありとあらゆるものが外へ排出されるそうな。

 俺は現場を見たことがないから、ひとづてに聞いた話だ。

 けれど、その手のプロが言うのだから間違いないだろう。

 涼の死体はどうだ? 彼の死体は、ため息が出るほど美しかった。これが芸術品だと言われても納得するほどの。

 俺は時を忘れたように見つめ、やがてそこらへんに転がっている椅子を立て直し、その上に乗った。冷たく、そして硬い涼の体を抱いたまま、首にかかった縄を解く。彼の体は驚くほど軽かった。抱えたまま椅子から降り、床に座り込む。

 涼の体は、だらりとしていた。そこに彼の意識はなく、ただの抜け殻である。

 その事実に、寂しさと悲しみが一気に押し寄せてきた。ただの器と化した体を抱きしめる。どれだけ強く抱きしめても、彼は何も言わない。

 白い首筋が、目に入った。「薄くて、噛みちぎりやすそうだから」。彼の艶やかな声が鼓膜に張り付いている。涼は意識していないだろうが、彼の声音やトーンはとても心地よいものだ。若干舌足らずなところも相まって、嫌味を感じさせない。

 皮膚に、歯を埋め込ませる。顎に力を加え、肉を噛みちぎった。当たり前だが涼は反応しない。首の表面は綺麗に剥げ、中の繊維が見えた。

 口の中にある「彼」を咀嚼してみる。変な食感と、なんとも言い難い味が広がった。

 どちらかといえば美味くないそれを嚥下し、俺はさめざめと泣いた。



「顔色が悪いね、静海くん」


 お前のせいだ。俺はその言葉を飲み込み、寝不足なんだと返す。机に頬杖をつき、前の席の椅子に腰をかけている涼を見つめた。

 夢で良かった。目覚めた時、そう思った。ドキドキと高鳴る心臓の音が、ジワリと耳の奥でこだまし枕に顔を埋めた。涼が死んでしまった悲しみがぶり返し、現実味を帯びて雨のように降り注ぐ。ベッドの奥にまで染み込み、俺を包み込んだ。


「昨日は、ごめん」


 騒がしい教室内で、彼の声だけが鮮明に聞こえる。透き通ったその声は、魔力を持った呪文のようだ。

 彼はあの後、大した説明もしなかった。縄を撤収し、転がった椅子を立て直した。俺に向かい「今日はもう帰っていいよ」とだけ告げる。まるで都合の良い女の如く扱われた俺は、なにがなんだか分からぬまま、自転車にまたがり家へ帰宅した。

 自転車を漕いでいる間も、先ほどまで目の前で繰り広げられた映画のような演劇のような、そんな光景が再放送する。俺は悪い夢でも見ていたんじゃないかと思い、けれどあのリアルさは現実であったと納得し、そして涼の奇妙な行動に吐き気を覚えるのだ。


「次は、上手くやるから」


 形のいい唇が動く。顔の造形がやけに美しく、不気味さを覚えた。いつか見た、出来すぎたCG映像みたいだ。ため息が出るほど美しい女性が、画面内でにこやかに微笑む。みんなは綺麗だと言っていたが、俺はそうは思わなかった。

 出来すぎているものは、気味が悪い。

 涼はそんな顔だちをして、俺を見据えていた。

 教室に先生が入ってきた。巣をつつかれた蟲のように生徒たちが一斉に散る。涼も腰を上げ、自分の席へ帰った。

 次は、上手くやるから。言葉がぐるぐると頭を回る。次は、上手くやるから。次は、上手くやるから。次なんて、なくて良いのに。彼は次があると宣言した。

 先生の、のぶとい声が教室内に響く。俺は眩暈のする目を擦り二回ほど深呼吸をした。

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