間章6 とある魔将の誤算②

 それから儂と儂の部下たちは、勇者たちをもてなした。


 それはもう本気で、心を尽くしてもてなした。


 儂たちの正体に確証を持たれた瞬間、儂たちは終わる。

 それは儂たちの間の共通見解であり、文字通り命がけでもてなした。


 勇者の表情は読めなかった。


 一見しただけでは、何にも気付いていない阿呆面そのものだったが……もう騙されるものか。

 全てお見通しで、儂たちの必死な様を内心で嘲笑っていたとしても何ら不思議ではないのだ。


 そうして、緊張感に満ちた宴を終え……勇者とアンシア姫は今、寝床として提供した小屋で眠っている……はず。


 宴で出した飲み物食べ物には、たっぷりと睡眠薬を仕込んだ。

 その場で気付かれることを怖れ、直接害を成す毒は避けたが……果たして、睡眠薬には気付かれなかったのかどうか。


 気付かれず効いているのであれば、翌朝まで泥のように眠るはずだ。

 しかし……勇者の奴は何も考えずバカスカ飲んで食っているようにも見えたが、確実に何かしらの対策は打っていると考えるべきだろう。


 今、儂たちは全員で勇者たちが眠っている(かもしれない)小屋を囲んでいる。

 このまま、一気に襲撃すべきか……。


 ……いや、まずは中の様子を伺ってみることにしよう。

 ここまで仕掛けてこなかったのだ、村長のフリを続ければいきなり殺られるようなことはないだろう。


 もし勇者が本当に寝ているようだったら、それを確認してから襲撃しても遅くはない。


 まぁ、そんな可能性は万に一つもないと思うが……。


「勇者様、失礼致しますぞ……」


 掠れる程の小声で一応断ってから、儂は音もなく扉を開けた。


 中から聞こえるのは、規則正しい寝息が二つ。


 ……まさか、本当に眠っているのか?


 チャンスなのか……罠なのか……クソ、どちらだ!?


【ようこそ、おいでやすぅ】


「ひぃ!?」


 部屋の中から聞こえてきた声に、思わず声を上げてしまった。


【くふふ。まぁ、そうビビりなや。ご主人はんもお姫ちゃんも、ホンマに寝とるで? 二人は……ね】


 アンシア姫とも異なる、女の声。


 どこから……?


 声が聞こえてきた方にいるのは……いや。


 あるのは……剣?


【そや、ウチやウチ】


 勇者が眠っているベッドの傍らに立て掛けられた剣に目を向けると、剣はまるで笑うようにカタカタとひとりでに揺れた。


【自分らの相手は、ウチが勤めさせてもらいますぅ。ご主人はんは、ウチにこの場を任せてくれはったみたいやからね。直接そう言われたわけやないけど、ぐっすり眠ってはるっちゅうんはそういうことやろう。無言の信頼っちゅうんは、心地えぇもんやねぇ】


 恍惚とした調子の、背筋を震わせるような声。


 ……って、馬鹿か儂は!

 ボーッとしている場合ではない!


「な、何のお話ですかな……? 私は勇者様たちがゆっくりお休みになられているか、ご様子を伺いに……」


【あんさぁ】


 一転、声が底冷えするような恐ろしい調子に変わった。


【ウチを……いやまぁ、ウチのことはえぇわ】


 勝手に身体が震えだすのを、止めることが出来ない。


【ウチのご主人はんを、馬鹿にしとるんか?】


 感じる、生物としての根源的な恐怖。


 間近に、すぐ傍に、死の気配がある。


【お姫ちゃんは素ぅで気付いとらんようやったけど……こないに魔族臭い香りプンプンさせといて、ウチが、ウチのご主人はんが気付かんとでも思たん? うん?】


 問いかけに、答えることが出来ない。


 身じろぎ一つでもした瞬間、儂の命はそこで終わる。

 そんな奇妙な確信があった。


【まぁ確かにご主人はんの演技はホンマ見事なもんで、ウチでさえご主人はんの実力を知らんかったら何にも気付いとらんアホに見えたかもしれへんね。普通に考えて、ここまで自分らを泳がせとく意味もようわからへんし】


 クスクス笑う声と共にプレッシャーが少し弱まり、ホッと息を吐く。


【とはいえ】


 かと思えば今度は先程以上に圧が強くなり、呼吸すらも出来なくなった。


【ここを任せてくれたっちゅうことは、あとはウチの好きにしてえぇいうことやんな?】


 まるで遊んでいるかのように、一秒以下の間隔でプレッシャーの強弱が変化する。


 いや、事実遊んでいるのだ。

 獲物を甚振る、猫の如く。


【っちゅうわけで、いっちょ殺り合うてみよか?】


 剣が、フワリとひとりでに浮き上がった。


 そう思った次の瞬間、虚空から柄を握る手が現れる。

 手を起点に、腕、肩、胴、と次々出現していき、程なくしてそれは全身を現した。


 人間の女だ。

 少なくとも、見た目上は。


 魔族の儂でさえも息を呑むほど、一糸まとわぬその姿は神秘的で美しい。


 肩口で切り揃えられた髪は、闇夜の中にあって尚色濃く浮かび上がって見える程の漆黒。

 その整った顔立ちは、見る者に与える印象を目まぐるしく変化させる。


 時に慈愛の女神のように優しげで、時に悪魔の王のように恐ろしい。


 その中にあって唯一変わらないのは、金色の瞳が放つ月のような静かな光だけだ。


「あれぇ? もう諦めてもうたん? おもんないなぁ」


 そう見えるか?


 なるほど、ならばそうなのだろう。

 どうあってもここを無事に切り抜ける手段はないと、既に本能が悟ってしまっている。


 儂はもう、一切抵抗の意思を失っていた。

 生きようと足掻く心を無くしていた。


 それほどまでに、目の前にいるのは圧倒的な存在だった。


 ……と、その時。


「うーん……くそ……勝てない……勝てないぞぉ……」


 勇者がそんな声を発し、女の意識がそちらに向いた。


「なぁに、ご主人はん。夢の中でも戦ってはんの?」


 クスリと笑って、女が勇者の額に手を置く。


「この……」


 その手を、勇者が掴んだ。


「あらぁ? もしかして今夜は、お姫ちゃんやのうてウチをご所望ぉ?」


 蠱惑的な笑みを浮かべ、女はペロリと唇を舐める。


 その姿に、魅了……されかけて。


 もしかすると、これはチャンスなのではないか? と気付いた。


「スライムめぇ……」


「ご主人はん、スライムが好きやねぇ……駈け出しの頃の夢でも見てはるん?」


 女の意識は、今や完全に勇者の方に向いている、

 いつの間にか、この身を縛るプレッシャーもほとんど消え失せていた。


 今なら……逃げられる……?


「今の俺には……この聖剣がぁ……」


「ふふ、ウチも登場させてくれてはるんや?」


 焦れる気持ちを抑えつけ、ジリジリと体勢を整える。


「魔力……流す……」


「ふふふ……ふ? あれ……? ちょっと、ご主人はん……? なんかこれ、ホンマに魔力流れてきてない……?」


 何やら女は焦り始めている様子……今が好機か!?


「ちょ、寝ションベンとちゃうねんで!? 寝ぼけて魔力流すとか、そんなんある!?」


 儂は、素早く身を翻し駆け出した。


 ……駆け出そうとした。


「アカンアカンアカン! これホンマにアカンやつやって!」


 振り向きざまの、儂の視界の端。


 透き通るような真っ白い肌を紅潮させた女が、白目を剥いて。


「んほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!? 壊れちゃうのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 それが、儂の見た最後の光景となった。

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