間章4 とある姫君の歓喜③

 焚き火の炎が枯れ木を弾いてパチパチと音を立てる様を、わたくしは何とはなしに眺めます。


 テントの組み立てが終わる頃には日もだいぶ落ちてきて、あとはゲッカ様が作ってくださっているスープの完成を待つだけ。

 ゲッカ様の《アボイド》のおかげで周囲に魔物の気配もなく、わたくしたちの間には静かな時間が流れておりました。


 それにしても夕日に照らされて二人きりだなんて、なんだかロマンチックですわぁ……。


「ありゃ。姫様、眠くなってきちゃいましたか?」


 鍋をかき混ぜていたゲッカ様が、ふとこちらを見てそんなことをおっしゃいます。


「い、いえ! 大丈夫! 全くこれっぽっちも眠くなどありませんわ!」


 いけない、少し目がトロンとしてしまっていたかしら。


「そうですか? 無理はしないでくださいね、姫様が頼りなんですから」


 そう言って微笑んで、ゲッカ様はまた鍋の方に目を落とされました。


 わたくしなど足手まといでしかないことなんて、誰にでもわかることですのに……こうして度々お気遣いのお言葉を寄越してくださるゲッカ様のお優しさに感激です!

 わたくし、それに応えられるよう頑張りますわよ!


 ……と、そんな風に気合いを入れたのが悪かったのでしょうか。


 ――キュゥゥゥゥ……。


 わたくしのお腹が、盛大にそんな音を鳴らしてしまいました。


 バカバカ!

 よりにもよって、ゲッカ様の前で……!


「はは、もう出来るんでちょっとだけ待っててくださいね」


 幸い、ゲッカ様はおかしそうに笑ってくださりましたけれど……はしたない女だと思われませんでしたかしら?


「ほい、これで完成です」


 わたくしのお腹の音に合わせたわけではないでしょうけれど(ないと信じたいですわ)、ゲッカ様はお塩をを鍋の中に振り掛けて軽くかき混ぜてからそうおっしゃいました。


「どうぞ、姫様」


 鍋をかき混ぜていたおたまでそのまま中身を掬い、《ゲート》から取り出した木製の器によそって手渡してくださります。


「ありがとうございます」


 お礼と共に、わたくしはそれを受け取りました。


「いい香りですわ……」


 とっても食欲が刺激されて……ハッ!? いけません!

 このままでは、またお腹が鳴ってしまいそうですわ!


 チラリと横目で見ると、ゲッカ様もご自分の分を器に入れ終わったところでした。


 ゲッカ様に合わせて、わたくしも顔の前で両手を合わせます。


『いただきます』


 これは、お食事の前に行うゲッカ様の世界での挨拶と聞いております。

 ゲッカ様は、食材に感謝を込めてこう言うのだと教えてくださりました。


 素晴らしい慣習だと思い、わたくしも真似させていただいております。


 今ではだいぶそうするご家庭も少なくなってきたそうですけれど、昔は家族揃って食事の前に「いただきます」をするのが普通だったとか。


 うふふ……こうしていると、ゲッカ様とわたくしも家族みたいかしら。


 つまり、夫婦?

 なんて!


 自分の考えに自分で照れながら、スプーンを口に運びます。

 正直なところ、半ば以上食事以外のところに気が割かれていたのですけれど。


「んんっ!? とっても美味しいですわ!」


 スープを口に入れた瞬間、一気に意識を持って行かれました。


 白いスープは、ミルクベースでしょうか。

 その中にお肉と、ゴロッとしたお野菜が入っています。


 お肉もお野菜も乾燥させたものではなく、生のものをそのまま使用しているため素材の旨味がとっても生きていますね。

 この辺りは、《ゲート》の恩恵なのでしょうけれど……どうにも、それだけでは説明が付かないくらいに深いコクがあるように思いました。


 それに、それほど長い時間煮込んでいたわけでもないはずなのに、お肉もお野菜も口の中で溶けるほどホロホロに煮えているのです。


「ならよかったです、王族の方のお口には合わないんじゃないかと心配でしたけど」


 ホッとした様子で、ゲッカ様は微笑まれました。


「とんでもないですわ! というか……このスープ、どのように作られたんですの? とても、材料をただ煮込んだだけとは思えないのですけれど」


「えぇまぁ、《スチーム》で加圧してますんで。あと、別個でチキンブイヨンも作って味付けはそれをベースにしてます」


「はぁ、そうなんですの……?」


 正直なところ、ゲッカ様が何をおっしゃっているのかはあまりわかりませんでした。

 《スチーム》は蒸気を操る水系統の魔法ですが、それがどうお料理に関係するのかしら……?


 けれど、一つだけ確かなのは。


「ともかくわたくし、こんなに美味しいスープは初めてですわ!」


 ということですわね!


「はは、それは大げさですよ」


 もう、本当ですのに。

 ゲッカ様は、わたくしの言葉を冗談と取ってしまわれたようです。


 どうもゲッカ様は王族というものに過剰な期待というか、幻想を抱いていらっしゃる節があるように思います。


 この世界にいらっしゃった当初なんて、わたくしやお父様がゲッカ様を人間扱いすることに驚いた、なんておっしゃっていたくらいですもの。

 なんでも、王族は平民のことを愚鈍な豚か虫ケラくらいにしか考えてないと思ってらっしゃったんですって。


 そんなことは、まったくありませんのにね。


 王族といえど、普通の人間と変わらない……王族だからこそ、その意識は常に持っておかねばならぬ。

 お父様の口癖ですわ。


 そう、わたくしも普通の人間で……恋だってする、普通の女の子ですのよ?

 誰かさんは、そんなことちっとも気付いてくれないみたいですけれど。


「? 姫様、なにか?」


「あ、い、いえ!」


 少しだけ恨めしげな目を向けたところでちょうどゲッカ様と目が合ってしまい、わたくし慌ててしまいました。


「その、ゲッカ様はお料理もお上手なのですね!」


 咄嗟に出たにしては、不自然でない話題だったのではないでしょうか。


「料理も、っていうかまぁ料理は人並みには……それなりに昔から、チビたちのご飯を用意してたんで」


 チビたち。

 ゲッカ様に元の世界のお話をねだると、よく出てくるお言葉です。


 ゲッカ様には、下に二人のご兄弟がいらっしゃるのだとか。

 ソーカ様という妹君と、ギンカ様という弟君。


 ご両親は共に夜遅くまで働かれているので、ゲッカ様がお二人の面倒を見ていらっしゃったのだそうです。

 今にして思えば、幼い頃のわたくしの扱いも手慣れたものというという感じでしたわね。


 ……未だに、なんだか妹のような扱いを受けているような気がするのは大変不満ですけども。


「ソーカ様とギンカ様……一度お会いしてみたいものですわ。きっと、とてもお可愛らしいのでしょうね」


「いやいや、俺に似て平々凡々な顔立ちですよ」


「そんな、平々凡々だなんて……」


 確かにゲッカ様はエルフの方々のような、作り物めいた美しさを持っていらっしゃるわけではないかもしれませんけれど。

 でもだからこそ、わたくしはむしろ親しみが持てると思うのです。


 それに宵闇のような色の髪や瞳はミステリアスですし、少しだけ垂れ気味の目もチャーミング。

 直線的なお鼻も、薄い唇も、どれも素敵ですわ。


 召喚当初はどちらかといえば華奢でいらっしゃった体つきも、今ではとっても逞しくなって頼もしいですし……普段はお優しい表情を浮かべていらっしゃるゲッカ様が一度戦闘体勢に入られたら、まるで抜身の真剣のような鋭利な雰囲気を纏われて。

 わたくし、今日だけで何度ゾクゾクと背を震わせたことか。


 ……といったことを、滔々と語って差し上げようかと思ったのですけれど。


 結局わたくしは、言葉を切ったきり何も言うことが出来なくなってしまいました。


 ご家族のことを語るゲッカ様の目が、とても懐かしげでいらっしゃると気付いたから。


「ゲッカ様……」


 締め付けられるような想いに、わたくしは胸の前でギュッと手を握りました。


「ご家族と、お会いされたいですわよね……?」


 口に出してから、何を当たり前のことを……と少し後悔します。


「へ? あぁまぁ、そりゃ時々は思ったりしますけど。けど走花そうかなんかは最近反抗期になってきたのか『アニキうざい』が口癖みたいになってきちゃってますし、銀花ぎんかは銀花でやんちゃざかりで手がかかりますし。むしろ今の方が気楽ですよ」


 そうおっしゃって、ゲッカ様は軽く笑ってくださりますけれど……きっとそれは、わたくしを気遣ってくださってのお言葉でしょう。

 どうおっしゃっていても、ゲッカ様がご家族のことを深く愛しておられるのはこれまで伺ったお話の端々で感じられたのですから。


 ゲッカ様をそんな愛する家族から引き離したのはこの世界で、わたくしの国で、わたくし自身。


 それなのに……。


「ゲッカ様……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「なんです?」


 それは、ずっと尋ねたくても尋ねられなかったこと。


 自分たちの罪を暴くようで……いえ、それそのもので。

 ズルいわたくしは、ずっとそれを避けてきたのです。


 けれど今を逃すと、本当にもうこの先ずっと聞くことが出来なくなりそうな気がして。


 それは、本当の意味でゲッカ様と向き合う機会を逸するということで。


「ゲッカ様は、どうしてわたくしたちのためにそこまでしてくださるのです?」


 わたくしは、そう尋ねました。


「と、いいますと?」


 質問の意味が伝わらなかったようで、ゲッカ様は首をかしげられます。


「ゲッカ様は、いずれ元の世界に帰られる身です」


「えぇまぁ、最終的にはそうですね」


 ズキン。

 ゲッカ様が頷いた瞬間、わたくしの胸を大きな痛みが走りました。


 ゲッカ様はいずれこの世界を去られる……元よりそんなこと、わかっているはずなのに。


「この世界に残られるのでしたら、いくらでもお礼を差し上げることが出来ます。富でも、名誉でも」


 ズグンズグンと痛む胸を悟られないよう表情を取り繕いながら、わたくしは続けます。


「けれど……元の世界に戻られるゲッカ様に、わたくしたちは何も差し上げることができません。なのに、なぜゲッカ様は戦ってくださるのですか?」


 そんなわたくしに、ゲッカ様は。


「やだな、そんな難しく考えないでくださいよ」


 ふんわりと、微笑んでくださりました。


「まーそりゃ、この世界の人たちのためにってのはもちろんありますよ? 最初は俺自身も、自分のモチベーションはそれがメインだと思ってましたし……って」


 そこでふと、ゲッカ様がはにかまれます。


「ちなみにこれ、姫様だから言うんですからね? 誰にも言わないでくださいよ?」


 そんな風に言われてしまうと、わたくしはコクコクと頷くしかありません。


「で、最初はそう思ってたんですけど……でも最近は、どっちかっつーと自分自身のためにやってんだろうなって。そんな気がしてるんです」


 イタズラを告白する子供のように、ゲッカ様は少し恥ずかしそうに頬を掻かれます。


「俺はまー昔からそれなりに器用な方で、大体のことはそこそこ卒なくこなしてきたつもりです。けど、これなら誰にも負けない、負けたくない、とか。これだけは誇れる、ってものはなかったんです。そういうのを持ってる奴らのことが、どこか羨ましかった」


 そうおっしゃるゲッカ様は、どこか遠くを見るようで。


 けれど決して、悲しげではありませんでした。


「でもほら、『世界を救った』っつーと凄いじゃないですか」


 むしろその目は、誰にも見せたことのない宝物を自慢するかのように輝いて見えます。


「俺って、世界を救ってやったんだぜって。もちろん、元の世界じゃそんなの信じてくれる奴なんていないでしょうけど。けど、それでも俺は……なんつーのかな」


 言葉を探すように、視線を宙に彷徨わせるゲッカ様。


「俺は俺にしか出来ないことを、すげーことをやったんだぜって。心から言えるようになりたいだけなんです、たぶん。俺は、俺であることに誇りを持ちたい。きっと、そういうことなんだと思います。誰のためってわけじゃなく、結局自分のために」


 そして、そうおっしゃって微笑まれました。


 その笑顔は、いつもの優しげで大人っぽいものとは違っていて。


「……なんて。たぶん、よくわかりませんよね?」


 照れと誇らしさの混じった、少年のような無邪気さが感じられて。


「でもまー、そんな感じなんですよ」


 わたくしは、確信します。


 ゲッカ様のこの笑顔を見たのは、この世界でわたくしが初めてであると。

 ゲッカ様がこの笑顔を見せてくださるのは、この世界でわたくしだけであると。


 わたくしだけが!


 ゲッカ様の、特別!


「つっても、現在進行形で自信がなくなって――」


 ドクン! ドクン! ドクン!


 自らの鼓動が、うるさいくらいに跳ねているのがわかります。

 先程よりもずっと強く、けれど先程とは違ってとっても心地よく。


 あぁ……わたくし、天にも昇る気持ちですわ!


「家族については――」


 天にも……。


「独り立ち――」


 天にも……はれ?


 顔がなんだかとっても熱くって、頭がクラクラしますわぁ……?


 それに、何かこみ上げてくるようなものがあるような……?

 主に、鼻の辺りから……。


 わたくし、本当に天に昇ってしまうのかしら……?


「姫様?」


 嗚呼。


 やっぱり、そうですのね。


 だって……こんな間近に、天使様のお顔が見えるんですもの。


 天使様のお顔って、ゲッカ様によく似ていらっしゃるのねぇ……はぁっ、眼福ですわぁ……。

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