間章4 とある姫君の歓喜①
嗚呼、まるで夢のよう!
こうして、ゲッカ様と共に旅立てる日が来るだなんて……!
お許しくださったお父様、そしてゲッカ様に感謝ですわ!
もちろん、わたくしとて浮ついた気持ちで旅立つわけではありません。
ゲッカ様にこの命を捧げるといった言葉、一つも嘘はありませんもの。
それも別段、昨日今日定めた決意というわけでもありません。
思えば、五年前。
それは、わたくしが勇者召喚の儀を執り行った時から始まっていたように思います。
途方もなく広い空間にポツリと一人っきり、永遠とも思える時間の中で助けを求めて叫び続ける……勇者召喚魔法とは、そのようなものでした。
寂しくて、不安で、泣きそうになりそうになりながらも叫び続けるわたくしに、遠い世界から唯一応えてくださったのがゲッカ様だったのです。
あの時の暖かさ、力強さを、わたくしは片時も忘れたことはありません。
更にゲッカ様は、魔王の打倒というわたくしたちの願いもご快諾くださりました。
……いいえ。
半ば無理矢理この世界に連れて来て、魔王を倒さない限り元の世界には帰れない、などという状況での願いなど脅迫と呼ぶべきものでしょう。
にも拘らずゲッカ様はわたくしたちに恨み言の一つも言わず、それどころかわたくしたちを助けるためにと、毎日毎日ボロボロになって戦われました。
元は争いも少ない場所から来たとおっしゃっていたにも拘らず、そのお命すら懸けてくださって。
ゲッカ様は、常に勇者としての重責をお一人で背負っておられたのです。
それはきっと、単純に強くなるよりもずっと凄いことでしょう。
ですからわたくしは、ゲッカ様がいつかこの世界を救ってくださるということを微塵も疑っておりませんでした。
たとえ、今はスライムに勝てなくとも。
もっとも、ゲッカ様はそんなわたくしの想像など軽く越えておいでだったのですけれど。
まさか、あんなにお強くなられていたなんて……来る日まではわたくしがゲッカ様をお守りしなくては、などという密かな考えはとんでもない思い上がりでしたわね。
あのお力を身に付けられるまでには、想像を絶するような辛い鍛錬をなされたのでしょう。
たったお一人で、わたくしたちのために、ただひたすらに……その姿を思うと、わたくしはどうにかこの方のお力になりたいと願わずにはいられないのです。
……けれど。
これは、わたくしの一方的な思い。
やはり、ゲッカ様にとってはご迷惑だったでしょうか……?
ふと不安になって、わたくしは轡を並べた馬上にいらっしゃるゲッカ様のお顔を伺いました。
ゲッカ様は難しい表情で前方を睨んでおり、ともすれば怒っていらっしゃるようにも見えます。
「……あの、ゲッカ様」
わたくしは、居ても立ってもいられない気持ちになってゲッカ様にお声を掛けました。
「申し訳ございませんでした!」
そして、ゲッカ様の返事も待たず大きく頭を下げます。
「……え、何がです?」
こちらにお顔を向けたゲッカ様は、目をパチクリとさせていらっしゃいました。
「その……事前にご相談もせず、あのような申し出をしてしまって……」
思えば、あのように言ってしまってはお優しいゲッカ様はお断りになることが出来なかったのかもしれません。
「ご迷惑でしたら、ご遠慮なくおっしゃってくださいまし。わたくし、このまま引き返しますので……」
「いやいや」
震えるわたくしの声を遮って、ゲッカ様はパタパタと手を振られます。
「姫様の申し出、滅茶苦茶嬉しかったですよ」
そして、ニッコリと笑ってくださりました。
その包み込んでくださるような優しい笑顔に、わたくしドキドキしてしまいます。
「俺のことを心配してくれての行動なんですし、何も謝ってもらうようなことはありませんよ。それに……」
少し苦笑気味に、ゲッカ様は唇を歪められました。
「正直、俺一人じゃ心細かったんです。格好悪いですけど、姫様のこと凄く頼りにしてますんで……」
「ゲッカ様……」
そのお気遣いにわたくしが感激で目を潤ませた、その時。
「きゃっ」
馬が急に立ち止まり、わたくしは少々バランスを崩してしまいました。
「……っと」
それを、ゲッカ様が支えて下さいます。
なんと力強い……っと、呆けている場合ではありませんわ。
「ありがとうございます……どうやら、馬で行けるのはここまでのようですわね」
「と、言いますと?」
ゲッカ様が首をかしげられます。
「人より敏感な動物は、瘴気を嫌がってこれ以上進みたがりませんの。臆病な生物ほどその傾向が強まるそうですわ」
わたくしたちが今向かっているのは、ゴアナの森。
人界と魔界を隔てる境界線のような存在です。
そこから漏れ出る瘴気は、日に日に広がってきているのだとか。
「なるほど……てことは、さっきから感じてたベタつくようなこの嫌な感じがやっぱ瘴気ってやつだったんですか……」
「あら、ゲッカ様はもう感じ取られておいでだったんですの?」
わたくしには、爽やかな風が吹いているようにしか感じられませんでしたけれど……流石ゲッカ様、大変鋭敏な感覚をお持ちですわね。
「臆病な生物ほど敏感ってーなら、ビビりの俺が早めに感じ取れるのも納得って感じですよね……」
「まぁ、ゲッカ様ったら」
ゲッカ様のご冗談に、クスリと笑ってしまいます。
自ら魔王に立ち向かおうというお方を臆病と呼ぶなら、この世界に臆病でない人間などいなくなってしまいますわ。
それを、さも本気のような口調と表情でおっしゃるなんて。
ゲッカ様を知らない者が見れば、きっと信じてしまいますわね。
スライムの件といい、ゲッカ様は本当に演技もお上手です。
それに……そんなご冗談をおっしゃったのは、きっとわたくしを気遣ってくださってのことでしょう。
勝手な不安を抱えて、暗い顔をしている場合ではありませんわね。
「姫様、《ハイド》って使えます?」
《ハイド》とは、対象の存在感を薄くして周りから気取られにくくする闇系統魔法です。
確かに、魔物が跋扈する森を進むには打って付け……なのですけれど。
「申し訳ありません、わたくし光系統以外の適性は……」
改めて気合いを入れ直したところで早速お役に立てないことが露呈し、少しシュンとしながら答えます。
「あぁ、そういえばそうでしたっけ……」
現在の魔法学では魔法はいくつかの系統に分類され、その適性は生まれつき定まっていると考えられております。
多少適性が低くともその系統の魔法が全く使えないというわけではないのですが、同程度の効果を出すためには適性がある人の何倍もの努力が必要になるのです。
そしてある系統への適正に恵まれすぎている場合、他の適性がほぼ無くなるという事例が圧倒的に多いそうです。
一説には各系統を司る精霊が嫉妬し合うからだと言われておりますが、その原因は定かではありません。
わたくしなどはその典型で、光系統に高い適正を持つ代わりに他の適性はほぼ壊滅的なのです。
逆に適性のある系統が多すぎる場合も各系統の適性が軒並み低くなる傾向があり、ゲッカ様はその極地たる全系統適性持ち。
この世界に召喚された際にゲッカ様の適性判定をした魔法師は、そっと苦笑して――。
「じゃあ、一応俺が……《ハイド》」
「ほわっ!?」
ゲッカ様が呟かれた瞬間、膨大すぎる魔力が放出されわたくしは思わず驚きの声を上げてしまいました。
魔力は黒い靄のようなものに形を変え、わたくしとゲッカ様の身体を包んだかと思えばすぐに消えていきます。
適性なんてほとんどないはずなのに、これほどの威力の魔法を使われるなんて……一体、どれほどの努力をなさったというのでしょう。
一人鍛錬なさるゲッカ様の姿を想像すると、涙が出そうになりました。
「俺の《ハイド》程度じゃ気休めにもなるかわかりませんけどね……なんせ、スライムにさえ見破られるような代物なんで」
「うふふ、そうですのね」
わたくしの表情を察してくださったのでしょう。
また、ゲッカ様がご冗談で和ませてくださります。
「それじゃ、慎重に行きましょう」
馬を放ち王都の方へと帰した後、ゲッカ様は表情を引き締めてそうおっしゃいました。
その凛々しさに見とれかけて……首を振って気を引き締め、わたくしもゲッカ様に続くのでした。
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