第4話 とある怯者の初陣③

 残念ながら、俺の嫌な予感は当たってしまったようで。


「これは……!」


 謁見の間に辿り着いた俺は、凄惨な光景を目にすることになる。


 部屋は壁の一面、及び天井の大半が消え失せていた。

 断面が赤黒く変色して煙を上げているのは、炎系統の魔法で吹き飛ばされたせいか。


 床に目を向ければ、衛兵さんたちが数十人単位で倒れ伏していた。

 その中には、騎士団長ジェイスさんの姿も見て取れる。


 他の人たちがピクリとも動かない中でジェイスさんだけは必死の形相で身を起こそうとしているけど、四肢それぞれに大きな傷を負っていてそれもままならないようだ。


 この空間でまともに立っている者は、たった今辿り着いたばかりの俺と姫様を除けばただ一人しかいない。


 それは、城の者ではなかった。


 それどころか、人間ですらなかった。


「お父……陛下!」


 姫様の悲鳴に、そいつはゆっくりとこちらに顔を向けた。


 苦悶の表情を浮かべるブレイズ様の首に手をかけ、片手で持ち上げたままで。

 もう片方の手には、二メートルはあろう大剣が握られている。


 その剣が、まるで普通のサイズに見えてしまう程の大男……男、だろう。

 たぶん、体型から見て。


 曖昧な物言いになってしまうのは、ジェイスさんを更に倍する程の筋肉量を有する体躯に載っている頭部が、虎のそれだからだ。


「陛下をお離しなさい!」


 誰かが手放したんだろう、床に転がった剣を素早く手に取って。

 姫様は、虎男に向かって構えた。


「ふむ、別に構わんが」


 そう答えて、虎男は無造作にブレイズ様の首から手を離す。

 床に放り出されたブレイズ様は一瞬衝撃に顔を歪め、次いで苦しそうに咳込んだ。


 魔物よりも、より人に近い存在。

 それが魔族である。


 そして魔族は通常、魔物より遥かに強力な力を持つという。


 つまり、かなりヤバい相手――。


「我輩の狙いは、勇者だけなのだからな」


 えっ……?


 思わず声が出そうになったのを、咄嗟に堪える。


「勇者が召喚されたとの噂が流れて五年……どうやら差し向けた魔物どもは上手く食い止めているようだが、一向に魔界を訪れる気配がないのでな。こちらから来てやったというわけよ」


 ガツンと、頭を殴られたかのような衝撃を感じた。


 改めて、謁見の間を見渡す。

 倒れ伏すブレイズ様、ジェイスさん、大勢の衛兵さんたち。


 ジェイスさんの傷は、恐らく再起不能レベルだろう。

 衛兵さんたちの中には、死者も出ているかもしれない。


 ……俺のせいだ。


 俺が、さっさとスライムを倒せるようになっていれば。

 それでなくても、弱いままだって意を決して旅立っていれば。


 こんな光景は、なかった。

 彼らが傷付くことはなかったはずだ。


 油断していた。

 慢心していた。


 まだ、ゲーム感覚だった。

 俺が動き出さなければ、何も起こらないと心のどこかで思っていた。


 いつか、スライムを倒せる日も来ると。

 その日をゆっくり目指せばいいと、漠然と思っていた。


 魔王軍との戦いなんて、まだずっと先の事だと思っていた。


 ……この光景を作り出したのは、俺だ。


 俺が、彼らを傷付けた。


「勇者を差し出せば、吾輩はこの場を去ろう」


 続けて虎男がそう告げる。


 ここで名乗り出れば、殺されるのは自明だろう。

 けれど、名乗り出ないわけにはいかない。


 なにせ、この光景を作り出したのは俺なんだから。


 なのに……。


 そう、思うのに。


 俺の身体は震えて、一歩も踏み出すことが出来ない。

 行けと命じる理性に、本能がどうしても抗い続ける。


「なら、ちょうどいいですわ」


 そんな俺の傍らで、姫様が薄く笑った。


 勇者一人差し出せば収まるって場に、当の勇者がのこのこ来てるんだ。

 そりゃ、ちょうどいいってもんだろう。


「わたくしこそが、貴方の望む勇者なのですから!」


「えっ……?」


 今度こそ、声が勝手にこぼれ出た。


 何を、言っているんだ?


 そういえばさっき、咄嗟に「お父様」と呼びかけたところを「陛下」と言い直していた。

 姫様は、ここに来た時からこの展開を予測していたということなのか?


 ……いや、違う。

 今考えるべきは、そんなことじゃないだろう。


 なのに、混乱して頭が上手く働かない。


「ほぅ」


 虎男が口を歪め、鋭い牙を露出させる。


四死しし魔将ましょうが一人、この『武』のジロバを前に勇者を名乗った以上……それが真実であろうとなかろうと、死は免れぬぞ?」


「っ……!」


 虎男……ジロバの言葉に、姫様は明らかに動揺した気配を見せた。


 四死魔将、っていうのは俺も聞いたことがある。

 魔王軍において、魔王に次ぐ力を持つと言われる魔族たちだ。


 よりにもよって、大ボスクラスかよ……。


「……少しだけ、従者と話しても?」


 油断なくジロバを見据えたまま、姫様はそう問いかけた。


「構わん、遺言でも残しておくがいい」


 ジロバが鷹揚に頷いたのを確認し、姫様がジリジリと身を寄せてくる。


「ゲッカ様、お逃げください」


 そして、俺の耳元でそんな事を囁いた。


「ゲッカ様は、この世界の希望。ここで亡くなって良いお方ではありません」


 目を向けると、申し訳無さそうな笑みを浮かべる姫様の顔が見えた。


「勝手に召喚して、勝手に願いを押し付けた上で、このようなことを申し上げのは大変心苦しいのですけれど……」


 だから。


「どうか……お願い致します。いつか、魔王を討ち果たしてくださいまし」


 だから、何を言ってるんだ?


 勝手に?

 君の呼びかけに応えたのは、俺自身なのに。


 押し付けて?

 君の願いに頷いたのもまた、俺自身なのに。


「わたくしは、ゲッカ様のお力を信じておりますわ」


 信じる?

 一体、俺の何が信じられるって言うんだ。


 スライムさえ倒せないこの俺の、何を君は信じると言うんだ。

 俺がこれまでどうにか頑張れたのだって、君のおかげでしかないのに。


 他ならない、君がいてくれたからなのに。


 なのに。


「さようなら、ゲッカ様」


 それだけ言って。


 俺の頬に、触れる程度に口付けて。


 姫様は、俺から離れた。


「さぁ来なさい、四死魔将ジロバ! 勇者アンシアがお相手致します!」


 そして再び、ジロバと対峙する。


 その背中を目の前にして、俺は……。


 俺は。

 俺は、どうすればいい?


 逃げる?

 そう、それが正解だ。


 これは確実に、負けイベントとか呼ばれる類のやつだろう。

 ゲームならなんだかんだ助かるのかもしれないけど、現実じゃそんな奇跡は起こらない。


 死ぬ。

 死んだら、生き返らない。


 終わる。

 俺という存在が、終わる。


 それが嫌なら逃げるしかない。


 だって俺は、スライムすら倒せない程に弱いんだから。


 何も出来ないんだから、逃げるべきだ。


 大丈夫だ、姫様は強い。

 俺なんかよりずっと。


 ジェイスさんすら凌いで、今や国で一番の強者だって言われてるんだ。

 きっと、この場面だって姫様なら切り抜けられるに違いない。


 俺がいたところで、むしろ邪魔になるだけだ。


 なのに。


「っ……」


 なのに気が付けば、俺は手にした剣を強く握りしめていた。


 おいおい……。

 一体何をしようってんだ、俺よ?


 スライムすら倒せない、震えも止められないこんな手で。

 せっかく、姫様がチャンスを作ってくれたんだ。


 どう考えても選ぶべきコマンドは『逃げる』一択だろう?


 けれど。


「違う……」


 あぁ、けれど。


 けれどけれどけれど。


 いいのか。


 それでいいのかよ、影鷹月花。


 お前、これを許すのかよ。


 お前を唯一信じてくれてる女の子に庇われて、それを許容するって言うのかよ。


 確かに、姫様は強いさ。

 でも、見てみろよ。


 恐怖を噛み殺すみたいに引き結ばれた唇を。

 死を真っ直ぐ見つめるような揺るがない瞳を。


 悲壮な覚悟を秘めた横顔を。

 命を捨てる決意を固めている彼女を。


 それを、見捨てるって言うのかよ。


 この子を犠牲にして助かったとして、そんな自分を許せるって言うのかよ!


「違う……!」


 俺は、どこまでも情けない男だ。


 震えが止められない。

 逃げる決断さえも出来ないヘタレで。


 スライムにも勝てない、雑魚オブ雑魚だ。


 けど……だけど、それでも!


「違う!」


 それでも、俺は叫んだ。


 何も違わない。


 俺はヘタレで弱いクソ雑魚だ。


 けれど違うと、そう叫ばなければならなかった。


 でなければ。


「俺だ!」


 でなければ俺は、この瞬間から俺でなくなってしまう。


 こんな俺を信じてくれた子を、裏切ることになってしまう。


 二度と取り返しがつかないものを、失うことになってしまう。


 だから。


「俺が!」


 だから俺は、姫様を庇う形でジロバの前に躍り出た。


 俺が俺であるために。


「勇者、影鷹月花だ!」


 勇者、影鷹月花であるために。


 そう信じてもらえる俺であるために。


「ゲッカ様!?」


 姫様の悲鳴が背中に届く。


 すみませんね、せっかく庇ってもらったのを無駄にしちゃって。

 でもね、ここは譲って貰いますよ。


 だって、そういうのは。

 命懸けの覚悟ってやつは。


 他ならぬ、勇者の専売特許ってやつなんですからね!


「フッ、なるほどな」


 やはり、とばかりにジロバは笑みを浮かべた。


「よせゲッカ! スライムも倒せぬお前では……っ!」


 思わずといった様子で叫んだジェイスさんが、言葉の途中でハッと気付いた表情となり口を噤む。

 恐らく、俺の力量が敵に割れるのをマズいと見たのだろう。


 だけど、俺的にはむしろファインプレイ。

 どうせ、俺の実力なんてすぐバレる。


 なら、最初に精一杯油断してくれた方がまだワンチャンあるってもんだ。


「ほぅ……スライムも倒せぬ力量でこのジロバに挑むか。なかなか見上げた根性だ」


 現にほら、この虎頭……一見「俺はウサギを狩るにも全力出すぜ」って態度を取ってるけど、実際は相当油断しているのだろう。

 はっきり言って隙だらけだ。


 ……うん。


 ……あれ?


 え、ていうかこれは流石に隙だらけすぎない……?


 慢心ってレベルじゃねぇぞ。


 あ、いや……そうか、あえて隙を見せることで誘っている……のか……?


 きっとそうなんだろう。

 そもそも、俺如きが歴戦の猛者っぽいこいつの隙なんて見抜けるはずがないんだし。


 けど、いずれにせよ……こっちから行かなきゃやられるのは確実だ。

 なら、やるしかない。


 彼我の距離、十メートル強。

 今日、スライムと対峙した時のことが思い出される。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」


 あの時以上に、ほとんど恐怖に突き動かされて。

 あの時と同じく、瞬き一つの時間もかけず。


 一足で距離をゼロにして、思いっきり剣を振る。


 狙うは首。

 二撃目以降は考えない。


 カウンターで、俺はあの大剣によって真っ二つにされるかもしれない。

 いや、きっと真っ二つにされるんだろう。


 けど……たとえそうなったとしても、せめて傷の一つくらいは付けてやる!


「りゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 裂帛の気合いと共に、剣を振り切った。


 ――ザグン。


 そんな音が鳴った後、少しの間静寂が訪れる。


「………………は?」


 最初に聞こえたのは、ジロバのそんな呆けたような声だった。


 いや、それは声というより単に空気が漏れ出た音だったのかもしれない。

 なぜなら、何が起こったかわからないとでも言いたげな表情を浮かべたジロバの首は……既に、胴体から離れていたのだから。


「ひっ……」


 次いで、間近にゴシャッと落ちてきたジロバの頭部に驚いたブレイズ様の声。


「……ふっ」


 少し遅れて、どこか納得したようなジェイスさんの笑い声が届き。


「へぁ……」


 更に遅れて、感動したような姫様の声が続いて。


「……………………ほ?」


 随分間を置いて、最後に俺の口から呆けた声が出た。



   ◆   ◆   ◆



 ……あれ?


 マジで?


 コロコロ転がった首も、ドサリと倒れた胴体も、全く動く気配を見せない。

 実はアンデットとかで首が飛んでも大丈夫でした、ってオチもなさそうだ。


 つまり……?


 ……倒しちゃった?


 俺、大ボス倒しちゃった?


 これは……もしかして、あれですか?


 ついに、来ちゃいました?


 入っちゃいました?


 俺の覚醒のターン、ってやつになっちゃった系ですか?

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