第5回 成り上がり?の「ぬらりひょん」

 人は誰しも羨望、あるいは嫉妬するもの。身近な人あるいは有名人が、自分より良い生活をしているとか、旅行をしているとか、結婚しているとか……。だから意識していなくても、ついついそういう人の粗を探してしまって、ついつい叩いてしまう……。


 ある意味では人間らしい行動でもあり、しかし人としてやってはいけないこと。人と比べてしまうことは悪いことじゃないけど、どこかできちんと線引きをして、「まっ、アイツと俺は違う人間だしな」で済ませる心持ちが良いのかもしれません。


 妖怪の世界はどうでしょう。多種多様な見た目の妖怪がいて、能力も違って、現れる場所も違って……。別にお互いの姿や能力をうらやましいなんて思うことはないだろうし、そういう意味では平和な世界なのかもしれない……。


 ただ中には、比較しようにも比較できない良く分からん存在であり、世間のイメージと伝承の中身が乖離かいりしているのにも関わらず、どういうわけか「妖怪の総大将」なんて言われている妖怪もいるわけでして……。



 ぬらりひょん。実は漢字表記もあって、「滑瓢ぬらりひょん」と書くことで漢字界隈では有名(?)な妖怪です。


 江戸時代の画家・佐脇嵩之さわきすうしが描いた『百怪図巻ひゃっかいずかん』や、妖怪画で超有名な鳥山石燕の『画図百鬼夜行がずひゃっきやこう』に収録(ちなみに何故か、「ぬうりひょん」って書いてある)されていて、いずれも後頭部が長く肥大した姿の、老齢の坊主の姿で描かれている。


 この妖怪、絵巻で絵が残されていながら詳しい説明文の記載がなく、民間の伝承でいくつかが伝わっているくらいで詳しいことが実はよく分かっていない。


 そんなあやふやな存在にも拘らず、ちまたでは「日本妖怪の総大将」というものすごい肩書を得ている。で、おそらく妖怪を少しかじっている人がよく耳にするぬらりひょんの話は、こんな話じゃないだろうかと推察する。



 家事で忙しい夕刻のこと。突然ふらりと見知らぬ老人が言えに入ってきて、お茶を飲んだり煙草を吸ったり、まるで自分の家かのように振舞う。しかしそれを目撃したとしても、「この人はこの家の主だ」と思い込んでしまい、追い出すこともなく、人知れず家を去っていく……。



 ……こ、これがぬらりひょん……? これじゃあ住居不法侵入の怪しいおっさんじゃないか!


 驚くのもまあ無理はないかもしれない。ただこれは、後年に生まれた後付けの妖怪像だ。少なくとも現在において、今言った「家におずおずと入ってきて寛ぐ」という伝承や資料は見つかっていない。


 ではどうしてこのイメージがついたかというと、なんでも一説によれば1930年に出版された書籍『妖怪画談全集ようかいがだんぜんしゅう 』の「日本篇 上」において、ぬらりひょんにつけられた解説文に由来している、という説が有力とのこと。鳥山石燕の絵を引用しつつ、そこに付け加えられた説明には、


まだ宵の口の燈影にぬらりひよんと訪問する怪物の親玉


と書かれているそうだ。ここから今日こんにちにおけるぬらりひょん像が生み出された、という見方がある。


 でもやっぱりそれじゃ親玉らしくない。一体全体、本当の伝承ってどんな内容なのだろうか。


 その話をする前に、さらに衝撃的な事実を伝えなければならない。実は「日本妖怪の総大将」ということすらも後付けの妖怪像で、先の『妖怪画談全集』の「怪物の親玉」一文が独り歩きして、拡大解釈された結果生まれた産物、というのが最有力の説なのだ。


 嗚呼、どんどん悪のカリスマたるぬらりひょんのイメージが壊れていく……。もうここまできたら、どんな話が来ても怖くはないはずだ。


 それでは発表しよう。ぬらりひょんとはいったい何者なのか。それはズバリ、、ということだ!


 「海坊主」という妖怪の説明はまた別の機会に詳しくするとして、正確にはいくつかある「ぬらりひょん」にまつわる伝承のうちの一つに、海坊主の一種として登場するものがある。


 岡山県にある伝承では、瀬戸内海上に浮かぶ人の頭のようなものが現れ、捕まえようとすると浮かんだり沈んだりしてからかう、という話があり、捕まえようとした手を「ぬらり」と抜け、また「ひょん」と浮かんでくる様子から「ぬらりひょん」と呼ばれているそうだ。


 ただ、これをもって「ぬらりひょんの正体、海坊主説」を唱えるにはちょっときつい部分がある。


 というのも岡山県のこの伝承も絵巻で残っているわけではないので、「浮かぶ人のような頭」というのが、我々のイメージするあのぬらりひょんのあの頭なのかは定かではなく、一説には海上に浮かぶクラゲやタコを妖怪に見立てた存在で、たまたま似たような名前になったんじゃないかという話もある。


 つまり、「同一の存在を指している」と言い切ることができないのだ……。


 先にも言ったとおり、絵巻に残されている方のぬらりひょんには、絵と名前が書かれているけど、どんな妖怪か説明がされていないので、ともいえるし、ともいえる、非常に曖昧な境界線上にいる妖怪なのだ。


 他の伝承を軽く紹介すると、秋田県では百鬼夜行(妖怪たちが群れて行進すること)の一員のなかにぬらりひょんと呼ばれる妖怪がいる、というような話があるのだが、結局それだけで「何をする妖怪なのか」が一切不明なのである。



 なんだか結局良く分からない妖怪、それがぬらりひょん。実はこの名前自体が、「ぬらり」くらりとつかみどころがなく、「ひょん」と思いがけないことをすることから付いたのではないか、と考える人もいる。そう考えると、ちょっとおもしろい発想もできる。


 逆に言えば、全くどんな妖怪なのか分からないからこそ、今の「妖怪の総大将」の肩書を得られたのではないか、という考えだ。


 現実でも、何を考えてるか分からない人ってすごく怖いよね。


 妖怪も伝承があって、どんなことをするのかが分かってて、それに対する対処とかもあったりして、怖い中にもユーモアがある。


 その中で、何をするのか全く分からない、出自も不明、正体も不明。似た名前の伝承はあるけど同一かどうかの確証もない……。そんな曖昧模糊あいまいもこな妖怪が、



 ぬらりひょんの魅力は、この「得体の知れなさ」なのからくる異質さと、そこに悪のカリスマ性を感じるのかもしれない。



2024/9/11 初稿公開

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