序(2)水神様を怒らせた!

 配信は三十分だけ見られた。

 韓流アイドルって、わたしの人生の「光」なんだ。わたしなんか根暗で、学校でも、どこか避けられがちなのに。

「推し」が人生の支えになるって本当のことだね。


 たとえ、ドームのコンサートに行けなくたって、今はライブの配信が見られる世の中だよね。

 キラキラしたお星様みたいな韓流アイドルのグループ。リイくんというのがわたしの最推しなの。


 リイくんの尊い姿を思い浮かべながら、朝六時半ごろ、朝ごはんの支度をしていた。自然に、さっきまで聴いていたメロディを口ずさんでしまう。すると、起きてきたおばあさまが「杏奈さん、朝のお勤め、まだでしょう」なんて言ってきた。


「今日は早く目が覚めたので、朝五時に水やりに行ったのです。おばあさま。心配なさらないで」


 一分の隙もおばあさまには御法度。丁寧な言葉で、わたしは言い返す。「神職を継ぐわたし」は、お母さんがまだ生きていた小さな頃から、おばあさまに言葉遣いや礼儀作法を仕込まれてきた。

 おばあさまは、何かの文句をもごもご唱えていた。

 食事だって、作法がとても窮屈なの。

 わたしからしゃべりかけることもできない。おばあさまの機嫌を損ねないよう、そつなく受け答えする毎日。


 他のみんなは、そんな食卓なの?

 クラスのみんなは、給食を食べながら、やかましいくらいよくしゃべる。わたしは会話にいつも入れない。だって、家でしゃべれない人間に、同年代との会話なんてハードル高い。



「本当、もう疲れたよー」


 朝ごはんが済み、部屋に帰ったわたしは、思い切り布団に顔をくっつけて、「叫ぶ」。


「わたし、普通の家に生まれたら良かったー。神職を継ぐなんて嫌だー。『おろち様』も、この家だって、あり得ないでしょ」


 そのまま、頭がしばらく痛くて、じっとしていた。メンタルよわよわでも、体は極めて丈夫なわたしには珍しい。

 そのうちに、わたしの右腕が強く痛み出した。

 なんとなく、腕を見ていると、メリメリと、皮膚に「なにか」の模様が刻まれていくではないの。夏服のブラウスを着ていて半袖なので、わたしの腕の変化はつぶさにわかった。


「なに? や。嫌」


 まるで、直接、肌に彫ってしまったみたいな、黒々としたアザが右腕に浮かんでた。しかも、女性と蛇の混ざったような、不気味な形をしている。


「何これ。いや。嫌。消えて!」


 そうだ! 水で冷やしたらいいかもしれない。

 我が家の台所の水道にドタドタと向かった。

「杏奈さん。廊下は走らない!」

 おばあさまが怒鳴るけれど、緊急事態だよ。これ。


 水道の蛇口を思い切りひねる。


 その途端、蛇口のハンドルが「外れて」しまった。もしかしたら、水道管が壊れたの? 怒涛の勢いで、水が出てくる。そして、その水は、アザと同じような姿を形作った。透明だけれど、上半身が女性で、下半身が蛇。何も知らなければ人魚姫に見えたろうに。


「『おろち様』。おお。なんということ」

 おばあさまがわたしの隣で、ワナワナしながら何かを唱えている。


「お許しくださいませ。街に水害などもたらさぬように。あなた様はこの土地の『守り神』なのです」


 おばあさまは震える声で言った。


「デモ。そこのムスメは、アサノオツトメをしませんでしたわ」


「おろち様」は女性の高く澄んだ声で、わたしのことを言っている。

「デスカラ、そのムスメにトリツイテやります。アザはそのシルシ。コウエイに思いなさい」

 言うと、透明な「おろち様」の姿は消えた。あたりは水浸し。


「杏奈さん。ああ、なんてこと。やはり、お勤めをサボったのですね。わたしの生きている間に、まさか、こんなことがあるなんて。亡くなったわたしの娘、あなたのお母様にも申し訳ないです」

 おばあさまがはっきりと青ざめて、わたしのアザを見て、そんなことを言った。今にも卒倒してしまいそう。


 でも、卒倒したいのはわたしだよ。

 韓流アイドルの動画、ちょっと見てて、ちょっと「水やり」サボっただけで、こんなアザ。今、六月だよ。制服だって夏服だし、アザを隠すなんてできないよ!


 その日から、わたしの「第二の人生」は始まったんだ。




 


 

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