第10話 「まさに絶頂、だね♪」

「それじゃあ奥、やっていく……ね? お耳を痛め無いように、慎重に……」


 ゾゾゾゾッと、先程までよりも更に近く、音が聞こえてくる。


「んっ……。奥、やっばぁ〜……」

「ふふっ! さっきもそうだったけど……。ミャーちゃんはお耳全体が、弱いよね?」

「そう、んっ、ね。こう、全身の産毛と鳥肌が立つみたいな」

「まさにASMR……自律的感覚絶頂反応、だね♪」


 心なしか“絶頂”の部分を強調して言った鳥取による耳かきが続く。


 耳かきの音に混じって聞こえてくるのは、真剣な鳥取の吐息と「んにゃ〜」と気の抜けたような入鳥の声だ。


「ふふっ! ミャーちゃん、本当に猫みたい」

「にゃ〜……。温泉もそうだけど、気持ちよかったら声が出ちゃうのも仕方ないと思うの〜」


 間延びした声で鳥取との会話に応じる入鳥。


「でも『にゃ〜』は、あざといよ〜?」

「柑奈の前だからじゃない。覚えてる? あたし達が初めて幼稚園で会ったときのこと」

「もちろんだよ〜。わたしとミャーちゃんの運命の出会いの日だもん」


 耳かきは続けたまま、懐かしむように鳥取が“運命の日”を語る。


「わたしが1人で遊んでたら、ミャーちゃんが話しかけてくれたんだよね。『何してるの?』って」

「ふふ、そうね。だって柑奈。園庭遊びの日にいっつも花壇でアリとかダンゴムシの観察してるんだもの。あたしからすれば、友達と身体を動かして遊んでる方が絶対に面白いって思ってたわ」


 そう語る人の言葉には、からかうようなニュアンスがある。


「む〜……。人のこと“変な子”みたいに言うけど、わたしからしたらミャーちゃんだって相当に“変な子”だったよ? わたしに話しかけるとき、いつも猫の真似してたもん。今だから言うけど、5歳にもなって可哀想な子だなって思ってた」

「うぅっ……。だ、だってあのときの柑奈。他の子に全然興味持ってなかったし。虫とか動物の方が好きなのかなって思ったのよ」

「だからって『ミャー、ミャー』って。猫みたいにすり寄ってくるのは、幼稚園児にしてもあざといよ〜?」

「くぅっ……。で、でも、だって……。柑奈と仲良くなりたかったから……」


 入鳥の言葉に、一瞬だけ息を呑むとともに耳かきの手を止めた鳥取。しかしすぐに、耳かきは再開される。


「ど、どうして? どうしてボッチだったわたしと仲良くなりたかったの?」


 入鳥への問いかけには、緊張と期待が込められている。


「理由は色々あるけど、そうね……。完ぺきでありたかったから、かもね」

「か、完ぺきって、ミャーちゃんがいつも言ってるやつ?」


 鳥取の声に含まれる微かな落胆に、入鳥が気づく様子はない。


「うん、そう。幼稚園の時のあたしは、同級生みんなと友達でいることが“完ぺき”だと思っていたの。だけど、実は人見知りしてただけのどこかの誰かさんは、一向に仲良くしてくれない。だから仕方なく……」


 口ごもったことからも、入鳥に羞恥心があることが伺える。


「……だけど、おかげで柑奈はわたしを『ミャーちゃん』って呼んで、遊んでくれるようになった」

「う、うん! 今じゃミャーちゃんが一番の友達……だよ!」

「柑奈……! 『嬉しい!』って感動したいところだけど、ゴメンね。幼馴染としてはやっぱり、もうちょっと人見知りを直して、友達を増やしてくれると嬉しいんだけど……」

「え、えとえと……。ぜ、善処します……?」

「まったく、この子は……」


 そこで思い出話は途切れ、鳥取の耳かきの音と吐息、また、耳かきを堪能する入鳥の声だけが聞こえる。


 そんな状態がしばらく続くと、次第に入鳥の声が聞こえなくなってくる。


「んにゃ〜……ふみゃん……」

「わ、おっきなあくび。ミャーちゃん、おねむ?」

「ん、そうね……。柑奈の耳かきASMRがあんまりにも気持ちよくって……」

「そ、そっか……。えへへ♪ じゃ、じゃあミャーちゃんが眠っちゃう前に、梵天ぼんてんやっとこう、ね?」

「う〜ん……、そうね〜……」


 入鳥の生返事に苦笑しつつ、鳥取が机に置かれていた梵天を取る衣擦れの音がする。


「ミャーちゃん〜? 梵天、お耳の中に入れてくよ〜?」

「う〜ん……」


 もはや返事か寝言かもわからない入鳥の吐息に続いて、鳥取がアナタの右耳を梵天でくすぐり始める。


 と、同時に、入鳥が猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。


「ふふっ、やっぱり猫さんみたい。配信でも猫キャラだし、猫真似が染み付いちゃってるんだよね〜?」

「……そんな、こと……にゃい……」

「ミャーちゃん〜? 学校とか、友達の前だと絶対に見せないような。だらしない顔になっちゃってるよ〜?」


 梵天耳かきをしながら囁くようにして行なわれる鳥取の問いかけに、もはや入鳥が答えることはない。


「お耳、フワフワ、サワサワ……。フワワァ〜」


 そうして、オノマトペも交えた鳥取の梵天耳かきの奥に、入鳥の寝息が聞こえること、しばらく。


「大丈夫、大丈夫だよぉ、ミャーちゃん。お耳気持ちいいまま。そのまま油断しきった可愛いお顔で、トロットロになって、良いんだよ〜?」

「……トロ……トロ?」

「そぉだよ〜♪」


 どこか楽しそうな声で言った鳥取が、アナタの耳に口を近づけ、ゆっくりと話しかける。


「何も考えなくて、良いの。わたしの声と、梵天の気持いい音に耳を澄ませて?」

「う、ん……。柑奈の、言う通りに……す……る……」

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