第9話 「初めて……だよ?」

「そ、それじゃあ右耳、お邪魔しま〜す」」


 鳥取の掛け声とともに、耳の浅い部分から耳かきの擦過音がするようになる。


「せ、セオリー通り、お耳の浅いところから……。かき、かき……」


 吐息とともに、鳥取の耳かきがしばらく続く。


「ど、どう、ミャーちゃん?」

「…………」

「みゃ、ミャーちゃん?」

「……………………」


 反応がない入鳥に対して、一度、耳かきの手を止めた鳥取。そして、そっとアナタの右耳に顔を近づけてくると、控えめに息を吹きかけてくる。


「ふぅ〜〜〜……」

「ふにゃん!?」

「えへへ……。ミャーちゃん、隙あり」

「も、もう! お耳ふぅをするときは耳元で大きく息を吸うか、言葉かけが大事なはずでしょ!? じゃないと、聞いてる人が今みたいにびっくりしちゃうじゃない!」


 威嚇する猫のようにフシャーと声を荒らげる入鳥。対する鳥取は、可笑しそうにクスクスと笑う。


「こ、こういう驚きもあると、メリハリが出る……よね?」

「それは……。ふむ、確かに。さっきみたいに突然お耳ふぅされちゃうと、気を抜けなくなるわね。でもそれって、聞いてる人……つまりあたしが音に注目してるってことでもあるわけで……」

「う、うん。そうやってお耳を敏感にしてあげたら……」


 再び鳥取による耳かきが始まる。


「こういう、小さくて控えめな音、も……」


 手つきやリズムは変わらないものの、心なしか、音が大きく聞こえる。


「んっ……。ええ、気持ち良いわね! ふふっ、さすが柑奈。ASMR好きを謳うだけあるわ」

「え、えへへ〜。そんなことないよぅ〜」


 そんなやりとりのあと、耳かきが再開される。


「み、耳かきの角度を変えて……かき、かき。こ、今度は、ちょっと強めで、音の質を変えて……」


 緊張が解けたのだろう。先ほどまでと違い、耳かきを楽しむような吐息と、テンポの良い耳かきの音が続く。


 そこからさらに、鳥取の耳かきが続いたのち……。


「……うん。浅いところはこんな感じ……かな?」


 一度、耳かきの音が止む。ゆっくりと近づいてくる布の音がすれば、アナタの耳元で鳥取が息を吸い込み、


「奥、やってくね?」


 吐息たっぷりに囁く。


「んっ……。いいわ。……けど、気のせいかしら。柑奈。アナタ、ASMRをすることに慣れてない?」

「ぅえ? そ、そうかな? ミャーちゃんにしてあげるのが初めてだけど……」

「……本当に? 本当に、その……」


 ややためらう間をおいてから、入鳥がアナタの耳に顔を寄せ、囁く。


「あたしが柑奈の初めて……なの?」

「はぅ……!? 推しの唐突な嫉妬セリフパンチとか無理! 死ぬ! あっ、むしろもうここが天国でした」

「ちゃ、茶化さないで! どうなのよ。 その……。前に他の子にしたり、とか。実は夜な夜な1人でこっそりしてるんじゃ──って、柑奈!? どうしたの急にあたしの枕に何度も頭突きなんてして!」


 入鳥が驚いている間にも、何度も鳥取が枕に頭を叩きつける柔らかな音がする。


「止めないで、ミャーちゃん! これは汚れた自分を清める、いわばみそぎだから!」

「可愛い顔に痣ができたらどうするのよ。ほら、もうすでにお鼻が赤いじゃない」

「良いの! 推しのために負う傷は、むしろ名誉の傷だから!」

「もうっ! バカなこと言ってないで、や、め、な、さ、い〜……!」

「わわっ!? さすがに運動部のミャーちゃんに本気出されちゃうと……あぅっ」


 鳥取の短い悲鳴のあと、少しの間、沈黙が続く。


「みゃ、ミャーちゃん? わたしに覆いかぶさって、どうしたの? それにダミヘさんが胸のところに挟まってて痛い──」

「柑奈。よく聞いて?」


 鳥取の言葉を遮り、切実な声で話し始める入鳥。


「アナタがあたしを推してくれるのは、とっても嬉しい。心の底から、ね。だけど、身を削ってまであたしを推そうとなんてしないで。じゃないとあたし、アナタのそばにいられなくなっちゃう……」

「ミャーちゃん……」


 しばらく続く沈黙。


 2人の胸の間に挟まれるアナタの両耳に、左右異なる拍動を刻む心音が聞こえる。心配になるほど早鐘を打っているのは入鳥なのか、鳥取なのか分からないまま──。


「わ、分かったら、お耳かきの続き、しましょ! 奥、それから梵天も残ってるんだから」


 そう言って入鳥の声が遠ざかると同時に密着状態が解かれ、両方の耳から心音が聞こえなくなる。


「柑奈。ボーッとしてないの。早くダミヘ君に膝枕する。あたしも……ほら、ヘッドホンして、準備完了よ。早くあたしのお耳、気持ちよくして?」

「う、うん。……うん! する! ミャーちゃんを絶対に幸せにする! で、でもでも、その前に……」

「……?」


 入鳥の疑問が吐息として聞こえたかと思えば、アナタの耳に口を寄せた鳥取は、


「ちゃんと、ミャーちゃんがわたしの初めて……だよ?」

「……にゃ!? 柑奈、不意打ち……」

「だから、安心してね♪」


 どこか艶めかしく、あなたを通して幼馴染へと囁きかけた鳥取。そんな彼女の言葉に、入鳥は戸惑ったように力なく「う、うん……」と返すだけだった。

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