第8話 「1個だけよ?」

「わたしが食べるから、ミャーちゃんも聞いてみて」

「うん、良いけど……」


 先ほど入鳥の咀嚼音があったのとは反対側から、今度は鳥取がおこしを食べる音がする。


「……良い音。だけど、ぜんぜん健全じゃない」

「ほんとに? よく聞いて、ミャーちゃん。サクサクの奥にある、湿った音」


 再び、鳥取がおこしを食べる。


「……っ!?」

「ふふっ、ミャーちゃん、顔真っ赤♪ 聞こえたよね? 噛むたびに増える唾液の音と、わたしの舌使い」


 またしても鳥取がおこしを食べる。


「ど、どうしよう、柑奈……。アナタがそう言うから、なんとなくそんなふうな音に聞こえる気がするわ」

「そ、そんなふうって?」

「あ、アレよ。その、ほら……」


 え、エッチな音。絞り出すように言った入鳥の声に、鳥取の「ふひっ」という気持ちの悪い笑い声が混じる。


 そこで追い打ちをかけるように、鳥取がおこしを口にする。その音を、あなたを通してヘッドホンで聞いた入鳥が、声にならない悲鳴を上げた。


「〜〜〜〜〜〜っ! 終わりよ、終わり! 休憩、終わり! さっさと右のお耳かきに移りましょ!」


 ガタンと机がなり、入鳥が立ち上がったことが分かる。


「え〜? わたし、もうちょっとだけ、ミャーちゃんがおこし食べる音、聞きたいなぁ?」

「だ、ダメよ! ダメったら、ダメ! あたしがしたいのは、健全なやつなの!」

「ヤバッ、煽りすぎちゃった……? お、お願いお願い、ミャーちゃん! 幼馴染のよしみで……ね?」


 焦ったような小声のあと、甘えるような鳥取の声に、少しの間沈黙が下りる。しかし、やがて、衣擦れの音とがしたかと思うと、


「い、1個だけよ?」


 言った入鳥が、恥じらいを込めたときにも交えて、2口分の咀嚼音をあなたを通して入鳥に聞かせる。


「こ、これで良い?」

「えへへ! ありがと、ミャーちゃん! ……大好きだよ?」


 最後の部分を囁くようにして言った鳥取の言葉に、「もう」と入鳥が苦笑するのだった。


 机の上にあるアナタを両手で拾い上げた入鳥。


「よっとと……。ダミへ君、久しぶり。……それじゃあ柑奈。準備は良い?」

「あ、待って、ミャーちゃん。今度はわたしがお耳かき、やってみても良い?」

「え? 柑奈が?」

「う、うん。その……ね。さっきわたしがミャーちゃんにお耳幸せにしてもらったから、今度はわたしがミャーちゃんを幸せにしてあげたいな、って……。ど、どう、かな?」

「う〜ん……。だけど今回はあたしの練習だし、それに……」

「それに?」


 コレじゃあ柑奈を骨抜きにできないじゃない。あなたの耳が、そんな入鳥の呟きを拾う。


「は、配信者としては、視聴者側の音の聞こえ方も知っておいたほうが良いと思うな?」

「むっ……。そう言われちゃうと、そうかも知れないわね」

「でしょでしょっ。だから今度は、ミャーちゃんがお耳、しゃあわせになる番。ほらほら、わたしがベッドに座るから、ミャーちゃんはラグマットに座って?」

「……うん、分かったわ。じゃあ、はい。ダミヘ君のこと、よろしくね?」


 近かった入鳥の声が遠くなり、今度は鳥取の声が近くなる。そのまましばらく衣擦れの音が続いて……。


「えへへ。ダミヘさん。わたしのお膝にようこそ♪ ミャーちゃんに比べると無駄なお肉が多いかもだけど、気に入ってくれたら嬉しいです」

「ふふっ、柑奈のお耳かき、楽しみ。アナタが日ごろ聞いてるASMRから学んだ知識、存分に披露して頂戴」

「あぅ……。ちょ、ちょっと期待が重すぎるけど……。ミャーちゃんがトロトロになれるように、精一杯、頑張るね!」


 トロトロの部分を強調するように言った鳥取の手で、耳かきが始まる。


「せ、せっかくだから、わたしはミャーちゃんと違うお耳かき……この、先端がドリルみたいになってるやつ、使う……ね?」

「にししっ! 柑奈ってば。緊張して、人見知りしてるときみたいになっちゃってるじゃない」

「うっ……。だ、だって! いざ自分でするって思うと、緊張しちゃうんだもん! ご、ゴメン……ね?」

「良いの。あたし、人見知りしたり緊張したりしてアワアワしてる柑奈も好きよ。だから安心して、お耳かきに集中して?」

「ミャーちゃん! う、うん! それじゃあ、始める……ね?」

「あっ、ちょっと待って。今ヘッドホン付け直すから。ちゃんと柑奈のASMR、聴きたいもの」


 あなたのそば、ベッドを背にして座る入鳥が作業をする音がする。と、その隙をつくように。


「ミャーちゃん〜……! 好きって言っちゃってるってばぁ!」


 アナタの右耳が、身悶えるような鳥取の囁きを拾うのだった。


「よし、着けたわ。……って、何か言った、柑奈?」

「う、ううん、何でもないよ? コホン……。そ、それじゃあ右耳、お邪魔しま〜す」

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