第3話 「そのときはアナタを──」

 入鳥のスリッパの音が聞こえなくなった瞬間。


「……行った、よね? ……ふひっ」


 立ち上がるような衣擦れの音が聞こえて来たと思えば、ボフンッと、柔らかな音が聞こえてくる。どうやら鳥取が、アナタが置かれた座卓の側にあるベッドに飛び込んだらしい。


「ミャーちゃんが毎日寝てる、ベッド! ミャーちゃんの寝汗が染みた、枕! 久しぶりに嗅ぐ、ミャーちゃんの、匂いぃぃぃ……。すぅ、はぁ、すぅ、はぁ……すぅぅぅ〜〜〜」


 目一杯に入鳥の匂いを堪能する、鳥取の変態的行動の一部始終を音として聞いてしまう。


「えへへ、タオルだ。ミャーちゃん、昔からタオルが無いと寝られないもんね。もちろん、頂きます! すぅぅぅ〜〜〜……はぁぁ~~~……。ミャーちゃんの匂いが沁みたタオルとか、なんて麻薬? 絶対、万病に効くよぉ」


 常習犯らしく、特に気負った様子もなく匂いを嗅ぎ続ける鳥取の吐息が何度も聞こえてくる。


「はぁ~……。ミャーちゃん、しゅきぃ! カッコよくて、可愛くて、頼りになって……。なのに! こんな根暗陰キャオタクなわたしに依存してくれるミャーちゃん、大しゅきぃ〜〜〜!」


 ベッドの上でジタバタと足を動かす音が聞こえてくる。その合間には、もちろん、限られた時間で入鳥の匂いを堪能しようと寝具を嗅ぐ鳥取の息遣いがある。


「ミャーちゃんが可愛すぎるのが悪いんだよ? こんな、わたしみたいな変態ファンを無警戒に家に上げちゃってさぁ。隙を晒すから。だからタオルだけじゃなくて、枕とベッドまで、わたしに犯されちゃうの。……けがされちゃうの」


 誰にとも無く言い訳をしていた鳥取だったが、不意に、ベッドの上を這ってきたかと思えば、机の上に置かれていたアナタを抱え上げる。


「そ、その、ね。も、もし本当にアナタに意識があって、何か意思疎通がで、できるとしても、ね?」


 入鳥と話すときとは違い、他人行儀にたどたどしく話していた鳥取だったが、


「お、お願いだから、わたしとミャーちゃんの邪魔、しないで……ね?」


 そう言って、笑いかける。


「あっ、あとあと。もし、さっきのわたしの行動、ミャーちゃんに言うようなことがあったら、ね? そ、そのときはアナタを──」

「お待たせ柑奈」

「ひゃぁ!? みゃ、みゃみゃみゃ、ミャーちゃん!? ははは、早かったね?」

「来るって分かってたし、準備くらいしておくわよ。それよりも、あたしのベッドの上でダミへ君を抱えてるなんて……。そんなにASMRが楽しみなの?」


 部屋のドアが閉まり、入鳥が手に持ったお盆の上で茶器が鳴る。


「ぅえ? あ、う、うん! そう! 待ちきれなくてー」

「よいしょっと……。ふふっ、そうなのね。なら……はい、コレ」

「コレって……ミャーちゃんがいつも使ってるヘッドホン?」

「そっ! あっ、だけど。さっきまで調子を確かめてたから、耳当てが少しだけ湿ってるかも。ほら、あたしって結構な汗っかきだから……って、柑奈? 耳当てを嗅いで、どうしたの? そ、そんなに臭う?」

「え? あ、ううん、違うよ! むしろいい匂い、ご褒美とも言うかも!」

「……? 気にしないのなら、早く着けてみて? あ、ダミへ君はあたしに頂戴」

「う、うん」


 鳥取の声が遠くなり、入れ替わるように入鳥の声が近くなる。


「本当は少しお茶をした後にと思ってたんだけど、柑奈がそこまで言うなら予定を早めましょうか」


 そう語る入鳥の声はあなたの左側から聞こえてくる。反対の右側では、衣擦れの音がしている。


「ミャーちゃんに膝枕されるダミへさん、羨ましい……」

「コラコラ、物に嫉妬しないの。それに柑奈が望むなら、あたしの膝なんていくらでも貸してあげるわ」

「……ほんと?」

「ええ! それよりも……ほら、柑奈。早くヘッドホンを着ける! お耳気持ちよくなる準備する!」

「えへへ、うん、分かった」


 数秒間、2人が準備を整える沈黙と衣擦れの音が流れたのち。準備完了を確かめ合う2人のかすかな笑い声が聞こえてくる。


 そして、入鳥の吐息がアナタの左耳に近づいてきて、


「それじゃあ早速、ASMRの定番……『お耳かき』、始めるわね」


 そんな囁きとともに、耳かきが始まった。

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