第2話 「……ふひっ」

 遠く、インターホンの音が聞こえた。


「おっと、柑奈ね」


 あなたのすぐ側で、入鳥におが立ち上がる衣擦れの音が聞こえる。


「身だしなみは……うん、大丈夫そうね。柑奈には情けないところ、見せられないもの」


 自分に言い聞かせるようにして言った入鳥が、緊張を紛らわせるように小さく息を吐く。


「あたしは、大丈夫。今日も完ぺきな入鳥黒猫くろね! 頭脳明晰、眉目秀麗、運動神経抜群。そんな、柑奈が憧れてくれる完ぺきな幼馴染……。よしっ!」


 自己暗示をした入鳥がドアを開けて部屋を出ていく。


 遠ざかるスリッパの足音が数秒間響いたあと、鍵と玄関ドアが開く音が遠くで聞こえてきた。


「来たよ、ミャーちゃん!」

「いらっしゃい、柑奈かんな


 玄関先で話しているため、入鳥と鳥取ととり、2人の声は遠い。


「……? 上がらないの?」

「お、推しの家に上がり込むなんてファン失格な気がして」

「ふふっ、バカな子ね。推しの家である前に“幼馴染の家”じゃない。それに、これまで何回も来てるでしょ?」

「そ、それは中学生の時の話だよ〜。高校生なって、ミャーちゃんが『ニオちゃん』として配信を始めてからは、これが初めてだもん!」

「あれ、そうだった?」


 そんなやり取りのあと、玄関ドアと鍵が閉まる音がする。


「とにかく……。今日は夜まで、ASMR配信の練習に付き合ってくれるって約束でしょ? 習い事が1つもない日なんて、滅多にないんだから。1分1秒も無駄にできないの」


 そう言って聞こえてくる入鳥の足音。それに続くように、


「お、お邪魔しま〜す」


 鳥取の声が聞こえ、玄関のドアと鍵が閉まる音がした。


 アナタが置かれている入鳥の部屋に近づいてくる、2人分の足音。


「ご、ご両親は? あ、挨拶、とか……」

「今日は夜まで往診。人見知りしちゃう柑奈も安心ね?」

「うっ、それはそうだけど……。それはそれで別の意味で緊張しちゃうような?」


 やがてドアが開く音がして、2人の声が鮮明に聞こえるようになる。


「さ、入って?」

「う、うん……。わ、ミャーちゃんのお部屋だ。中学の頃とほとんど変わってない……?」

「そう? まぁ、配信機材は親にバレないように隠してるし、そうかも知れないわね」


 2人分の衣擦れの音の後、慣れた足取りで鳥取があなたのそばに腰を下ろす。


「こ、コレがダミへ……さん。触ってみても良い?」

「もちろん!」


 アナタのことを、鳥取が持ち上げ、観察を始めた。前後左右、様々な角度から、興味深そうな鳥取の声や息遣いや聞こえてくる。


「意外と可愛い顔をしていると思わない?」

「そ、そうかなぁ……?」

「あら。可愛いもの好き好き大好きな柑奈には、ダミヘ君ののっぺりした顔は刺さらない感じ?」

「むぅ! わたしが好きなのはゲームに出てくる可愛い女の子であって、可愛いもの全部に目がないわけじゃないんだよ、ミャーちゃん!? それに、ん〜〜〜……?」


 入鳥へ向けられていた抗議の声から一転。アナタを真正面から見つめる鳥取の、いぶかしげな声が聞こえる。


「柑奈、どうかしたの? そんなにダミへ君を見つめたりして」

「なんとなく、視線を感じる気がしたんだけど……。む〜……」


 再び鳥取がアナタを観察し始めたため、前後左右から鳥取の吐息が聞こえてくる。


 しかし、不意に音の動きが止まったかと思えば、


「ふぅ〜〜〜…………」


 突然、鳥取がアナタの耳に息を吹きかけてきた。さらに、反対側の耳にも同じように息を吹きかける。しかし、アナタからの反応が無いことに、疑問を浮かべるような吐息を漏らす。


「う〜ん……? みゃ、ミャーちゃん。ちょっとこっちに来て?」

「うん? 良いけど、どうしたの──ぅにゃん!? いきなりあたしの耳にふぅするなんて、何考えてるのよ!? おかげで変な声出ちゃったじゃない!」

「えへへ、ミャーちゃん、顔真っ赤! かぁいい──ひゃん!?」

「にししっ! お返しよ! 勝ち逃げなんてさせないわ!」

「も〜、相変わらず負けず嫌いだなぁ、ミャーちゃんは。……でも、うん。そうだよね。ダミへ君に意識があるわけ、ないよね。あったら今みたいに、反応しちゃうもん」

「ダミヘ……“物”に意識があるなんて。柑奈ってば、相変わらず、おかしなことを言うのね。……っと」


 不意に、衣擦れの音が聞こえてきた。


「ミャーちゃん、立ち上がってどうしたの?」

「飲み物、取ってくるわ。何か希望はある?」

「ううん。お構いなく」

「そ。じゃあ柑奈。ちょっとだけ良い子で待っててね!」


 そう言った入鳥が、スリッパを履いて部屋を出ていく。そして、離れていく足音が聞こえなくなった、その瞬間。


「……行った、よね? ……ふひっ」


 アナタのそばに居た鳥取が、気持ちの悪い吐息を漏らした。

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