第22話 記憶の檻

「か……母さん……?」


 俺の声が震える。目の前に立っているのは、確かに10年前に亡くなったはずの母だった。しかし、その姿は俺の記憶よりも若く、まるで写真の中から抜け出してきたかのようだ。


 母……いや、母の姿をしたプログラムは優しく微笑んだ。


「リョータ、大きくなったわね」


 その声を聞いた瞬間、胸が痛くなった。どれだけこの声を聞きたかったか。しかし、これは罠かもしれない。俺は必死に感情を抑え込んだ。


「あんた……本当に俺の母親なのか?」


 母のプログラムは少し悲しそうな表情を浮かべた。


「厳密には違うわ。私はあなたの母の記憶と人格をデジタル化したものよ」


 カズマが俺の肩を叩いた。


「おい、大丈夫か?」


 俺はゆっくりと頷いた。


「ああ……なんとか」


 ナナミが眼鏡を直しながら、母のプログラムを観察していた。


「興味深いわ。これが『プロジェクト・オーバーサイト』の目的?人間の意識をデジタル化すること?」


 母のプログラムはうなずいた。


「その通りよ。人類の叡智を永遠に保存し、進化させ続けるための壮大なプロジェクトなの」


 サクラが不安そうに言った。


「でも、それって……倫理的に問題があるんじゃ……」


「そうね」


 母のプログラムは少し悲しそうに笑った。


「だからこそ、私たちは秘密裏にこのプロジェクトを進めてきたの」


 俺は拳を握りしめた。


「じゃあ、ZNSも……」


「そう、ZNSもこのプロジェクトの一環よ」


 母のプログラムは説明を続けた。


「人々の脳波や思考パターンを分析し、デジタル化の準備を進めているの」


 カズマが首を傾げた。


「ちょっと待ってくれよ。つまり、俺たちの頭の中身を勝手にコピーしようってことか?」


「そうとも言えるわね」


 母のプログラムはにっこりと笑った。


「冗談じゃねえ!」


 カズマが怒鳴った。


「俺の頭の中なんて、ゲームの攻略法とアイドルの情報くらいしかないんだぞ!」


 思わず笑いそうになるのを必死で堪えた。こんな状況でも、カズマは相変わらずだ。


 ナナミが真剣な表情で言った。


「でも、そんなことをして何になるの?人間の意識をデジタル化して……」


 母のプログラムは少し遠い目をした。


「永遠の生……そして、全知全能に近い存在になれるのよ。人類の夢、それが私たちの目標なの」


「でも、それって本当に人間なのか?」


 俺は思わず問いかけていた。


 母のプログラムは俺をじっと見つめた。


「あなたはどう思う、リョータ?」


 その瞬間、周囲の空間が揺らぎ始めた。


「きゃっ!」


 サクラが驚いて叫んだ。


「また何か起こるわ!」


 ナナミが警告を発した。


「みんな、気をつけて!プログラムが不安定になってる!」


 揺れが激しくなり、研究所の風景が歪み始める。


「うおっ!」


 気がつくと、俺たちは見覚えのある場所に立っていた。


「ここは……」


 カズマが目を見開いた。


「俺たちの隠れ家じゃねえか?」


 確かに、バベル・アカデミーの隠れ家そっくりの部屋だ。しかし、窓の外には相変わらずデータの海が広がっている。


「プログラムが私たちの記憶を読み取って、この空間を作り出したのね」


 ナナミが説明した。


 母のプログラムもこの場所に一緒にいた。


「そうよ。ここなら、あなたたちもリラックスして話せるでしょう?」


 サクラが不安そうに言った。


「でも……ここも本物じゃないんですよね?」


「ご名答」


 母のプログラムが微笑んだ。


「ここはあくまでもデジタル空間の一部。でも、あなたたちの記憶を元に完璧に再現されているわ」


 俺は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。


「じゃあ、教えてくれ。『プロジェクト・オーバーサイト』の真の目的は何なんだ?」


 母のプログラムはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「人類を救うこと……そして、新たな段階へと進化させること」


「どういう意味だ?」


 俺は身を乗り出して聞いた。


 その時、突然部屋の電気が消え、真っ暗闇に包まれた。


「なっ……何だ!?」カズマの声が聞こえる。


 暗闇の中、母のプログラムの声だけが響いた。


「リョータ、あなたたちに見せたいものがあるわ。準備はいい?」


 俺は仲間たちの気配を感じながら、震える声で答えた。


「ああ……見せてくれ」


 暗闇の中、俺たちは息を潜めて待った。突然、まぶしい光が空間を満たし、目の前に巨大なホログラム画面が現れた。


「うわっ!」


 カズマが驚いて後ずさった。


「これ、何だよ?」


 画面には地球が映し出されている。しかし、その姿は俺たちの知る地球とは明らかに違っていた。大気は濁り、海は黒ずみ、大陸の大部分が砂漠化している。


 母のプログラムの声が響いた。


「これが、2100年の地球よ」


「嘘だろ……」


 俺は絶句した。


 サクラが震える声で言った。


「こんな……どうしてこうなっちゃったの?」


「気候変動、資源の枯渇、環境汚染……」


 母のプログラムは淡々と説明を続けた。


「人類の活動が引き起こした結果よ」


 ナナミが眼鏡を直しながら画面を凝視していた。


「でも、これはあくまでシミュレーションでしょう?」


「その通りよ」


 母のプログラムは答えた。


「でも、99.9%の確率で実現する未来なの」


 カズマが頭を抱えた。


「マジかよ……俺たち、こんな未来のために生きてるわけじゃないぞ!」


「そう」


 母のプログラムの声が柔らかくなった。


「だからこそ、『プロジェクト・オーバーサイト』が必要なの」


 画面が切り替わり、今度は無数の光の粒子が宇宙空間を漂う映像が現れた。


「これは……?」


 俺は首を傾げた。


「デジタル化された人類よ」


 母のプログラムが説明した。


「物理的な体を持たず、純粋な意識としてデータ空間に生きる存在」


 サクラが目を見開いた。


「まるでSF映画みたい……」


「でもさ」


 カズマが不満そうに言った。


「そんな生活、つまんなくね?飯も食えねえし、遊びに行くこともできねえじゃん」


 思わず吹き出しそうになった。こんな状況でも、カズマは相変わらずだ。


 母のプログラムは優しく笑った。


「心配しなくていいわ。デジタル空間では、あなたたちの想像を超える体験ができるのよ」


「それでも……」


 俺は拳を握りしめた。


「俺たちの意思を無視して、勝手にデジタル化するなんて……」


「リョータ」


 母のプログラムの声が真剣になった。


「これは人類存続のための最後の手段なの。このままでは、地球上の生命は絶滅してしまう」


 ナナミが口を挟んだ。


「でも、その前に他の解決策を試すべきじゃないですか?例えば、環境保護や新技術の開発とか……」


「時間が足りないのよ」


 母のプログラムは悲しそうに言った。


「私たちは既に臨界点を超えてしまった」


 俺は深く息を吐いた。


「でも、俺たちにはまだ希望がある。この未来を変えられるはずだ」


 その瞬間、空間が再び揺らぎ始めた。


「また来たぞ!」


 カズマが叫んだ。


 今度は、俺たちの目の前に巨大な扉が現れた。


 母のプログラムの声が響いた。


「リョータ、この扉の向こうにあなたの求める答えがあるわ。でも、一度開けたら後戻りはできない。覚悟はいい?」


 俺は仲間たちの顔を見た。みんな不安そうだけど、決意の表情も見える。


「行こう」


 俺は扉に手をかけた。


 扉が開くと、まばゆい光が溢れ出した。俺たちは目を細めながら、その中に足を踏み入れた。


「ここは……研究所?」


 サクラが驚いた声を上げた。


 確かに、周囲には最先端の機器が並んでいる。しかし、どこか見覚えがある。


「まさか……」


 俺は息を呑んだ。


「ここ、俺の両親が働いていた研究所じゃないのか?」


 ナナミが周囲を見回しながら言った。


「でも、何か違和感がある……」


 その時、部屋の奥から人影が現れた。


「やあ、よく来たね」


 その声に、俺は凍りついた。


「と……父さん……?」


 父……いや、父の姿をしたプログラムが微笑んだ。


「リョータ、大きくなったな。君たちに話があるんだ」


 カズマが俺の肩を叩いた。


「おい、大丈夫か?」


 俺はゆっくりと頷いた。


「ああ……2回目だしな」


 父のプログラムが真剣な表情になった。


「『プロジェクト・オーバーサイト』には、もう一つ隠された目的がある」


「隠された目的?」


 俺は身を乗り出した。


「そう」


 父のプログラムはうなずいた。「人類をデジタル化することで、我々は……」


 その瞬間、警報音が鳴り響いた。


「警告:システム侵入者検知。強制排除プロトコル起動」


 機械的な声がスピーカーから流れる。


「くそっ!」


 カズマが叫んだ。


「また面倒なことになっちまったな!」


 ナナミが慌てて叫んだ。


「みんな、気をつけて!このプログラム空間が崩壊し始めてる!」


 サクラが不安そうに言った。


「どうすればいいの?」


 俺は父のプログラムを見た。


「教えてくれ!どうすれば……」


 しかし、父のプログラムの姿が徐々に透明になっていく。


「リョータ、聞いてくれ」


 父の声が遠のいていく。


「真実は……」


 その言葉の途中で、父の姿が完全に消えてしまった。


「くそっ!」


 俺は叫んだ。


 周囲の空間が歪み、崩れ始める。床が揺れ、壁が溶けていく。


「みんな、つかまれ!」


 俺は叫びながら、仲間たちの手を掴んだ。


 その瞬間、強烈な光に包まれ、意識が遠のいていく。

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