第20話 デジタルの迷宮

 俺たちは『サイバー・オデッセイ』から脱出し、現実世界に戻った。額から滝のように流れる冷や汗を拭いながら、深呼吸を繰り返す。隣でナナミも同じように息を整えている。


「ふぅ……なんとか逃げ切れたな」


 俺は安堵の息をつきながら言った。


 ナナミは冷静な表情を浮かべながらも、その瞳には興奮の色が宿っていた。


「リョータのハッキング技術が予想以上だったおかげね。でも、まだ安心するのは早いわ」


「そうだな……」


 俺は顔をしかめた。


「キョーコさんとマユのことが気になる。あのゲーム内に痕跡があったってことは……」


「ええ、その可能性は高いわ」


 ナナミが頷きながら言った。


「でも、どうやって見つけ出すの?あの広大な仮想世界の中から……」


 俺は思わず苦笑いした。


「まるで干し草の山の中から針を探すようなもんだな」


 そのとき、部屋のドアが勢いよく開いた。カズマとサクラが息を切らせながら飛び込んできた。


「お、おい!何があったんだ?」


 俺は驚いて立ち上がる。


 カズマは片手で膝に手をつきながら、もう片方の手で「ちょっと待て」というジェスチャーをした。


「はぁ……はぁ……マユとキョーコさんの……痕跡……を、見つけた……」


 サクラが続けた。


「でも……それが、とんでもない場所……なの」


 俺とナナミは顔を見合わせた。


「どういうことだ?」


 カズマが深呼吸をして、やっと落ち着いた様子で話し始めた。


「実はな、俺たちが探していた間に、街中の電子掲示板が次々とハッキングされてたんだ。そこにメッセージが……」


「メッセージ?」


 ナナミが食いつくように聞いた。


 サクラがスマートフォンを取り出し、画面を俺たちに見せた。そこには不規則に点滅する文字が踊っていた。


「デジタルの迷宮に囚われし者あり。真実は歪んだ鏡の中に。これが、キョーコさんたちからのメッセージ?」


 俺は眉をひそめた。


 ナナミが画面を覗き込みながら言った。


「まるで暗号みたい……でも、これならデコードできるわ」


 俺は思わず苦笑いした。


「さすがナナミ。でも『デジタルの迷宮』ってなんだ?」


 カズマが腕を組んで考え込んだ。


「もしかして……『サイバー・オデッセイ』の中にある別の仮想空間とか?」


「それだ!」


 俺は思わず声を上げた。


「オデッセイ・タワーの中にあった、あの不思議な空間……あれが『デジタルの迷宮』かもしれない」


 サクラが不安そうな表情を浮かべた。


「でも、そんな危険な場所に二人で向かうなんて……大丈夫かしら」


 俺は拳を握りしめた。


「心配だ……でも、俺たちが助けに行くしかない」


 ナナミがパソコンを開きながら言った。


「まずは、このメッセージを完全に解読しましょう。それから潜入計画を立てるわ」


 俺はうなずいた。


「そうだな。急がば回れってやつだ……でも」


「でも?」


 カズマが首を傾げた。


「俺たちの動きを気にしてるやつが近くにいるのも忘れちゃいけない」


 俺は窓の外を見やりながら言った。


 皆の表情が一瞬で引き締まった。シンギュラリティ・ガーディアンズの存在が、俺たちの頭から離れることはない。


「よし、じゃあ手分けして行動しよう」


 俺は決意を込めて言った。


「ナナミとサクラはここでメッセージの解読と潜入計画の立案を。俺とカズマで周辺の偵察と、必要な装備の調達に行く」


「了解」全員が頷いた。


 俺たちが部屋を出ようとしたとき、ナナミが急に声を上げた。


「あ、待って!」


 振り返ると、ナナミが『プロジェクト・オーバーサイト』のデータが保存されたメモリを手に取っていた。


「このデータの解析も並行して進めるわ。きっと、キョーコさんたちの捜索に役立つはず」


 俺は感心したように頷いた。


「さすがだな、ナナミ。『プロジェクト・オーバーサイト』の謎も、きっとこの『デジタルの迷宮』と関係があるはずだ」


 カズマが不敵な笑みを浮かべた。


「おっしゃ!じゃあ、さっそく行動開始だな!」


 俺たちは互いに頷き合い、それぞれの任務に向かって動き出した。胸の中で、不安と期待が入り混じる。マユとキョーコさんの無事を祈りながら、俺は街へと足を踏み出した。


 薄暮に包まれたテクノ東京の街並みが、いつもより不気味に感じられる。ネオンサインが瞬き、ホログラム広告が空中を舞う。その光の洪水の中に、俺たちの敵が潜んでいるかもしれない。


「なあカズマ」


 俺は小声で呼びかけた。


「お前……怖くないのか?」


 カズマは意外そうな顔をした後、クスッと笑った。


「怖いに決まってるだろ。でもな、怖いからこそ、仲間を助けに行くんだ」


 その言葉に、俺は少し勇気づけられた。


「……そうだな。俺たちにしかできないことだ」


 二人で頷き合い、暗い路地へと踏み込んでいく。デジタルの迷宮の謎を解き明かし、仲間を救出する。そして、ZNSの真の目的に迫る。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。


 カズマと俺は、薄暗い路地を抜けて裏通りに出た。ここなら人目につきにくい。


「よし、ここで必要な装備をチェックしよう」


 俺は小声で言った。


 カズマがニヤリと笑う。


「おう、まるで泥棒みたいだな」


「おいおい、俺たちは正義の味方だぞ」


 俺は眉をひそめながら言い返した。


「冗談だよ」


 カズマは肩をすくめた。


「でも、正義のためなら、ちょっとくらい悪さしても許されるよな?」


 俺は思わず笑ってしまった。


「お前な……まあ、今はグレーゾーンってことで」


 二人で笑い合っていると、突然ポケットの中の通信機が震えた。ナナミからだ。


「もしもし、どうしたナナミ?」


 俺は少し緊張しながら聞いた。


「リョータ、大変よ!」


 ナナミの声が響く。


「『プロジェクト・オーバーサイト』のデータ、一部解析できたわ。これ、とんでもないことになるかも……」


「落ち着いて」


 俺は冷静さを装いながら言った。


「具体的に何がわかったんだ?」


 ナナミは深呼吸をして話し始めた。


「ZNSね、単なる監視システムじゃないの。人間の脳をデジタル空間にアップロードする計画みたい」


「はぁ!?」


 思わず声が大きくなってしまった。カズマも驚いた表情で俺を見ている。


「詳しいことはまだわからないけど」


 ナナミは続けた。


「でも、これが成功すれば、人間の意識を完全にコントロールできるようになるわ」


 俺は頭を抱えた。


「まさか……そんな……」


 カズマが俺の肩を叩いた。


「おい、リョータ。まだ全容はわかってないんだろ?今は目の前のことに集中しよう」


「そうだな……」


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。


「ナナミ、解析を続けてくれ。俺たちも急いで戻るよ」


 通信を切ると、カズマがニヤリと笑った。


「へぇ、人間をデジタル化かぁ。俺もデジタル世界の住人になれば、もっとイケメンになれるかな?」


「アホか」


 俺は呆れながらも、少し笑ってしまった。


「カズマは今のままで十分イケメンだよ」


「つれないやつだなぁ」


 カズマは冗談めかして肩を落とした。


 そんなやり取りをしながら、俺たちは急いで隠れ家に戻った。


 部屋に入ると、ナナミとサクラが真剣な表情でパソコンを覗き込んでいた。


「ただいま」


 俺は声をかけた。


「で、どうなんだ?」


 ナナミが振り向いた。


「あ、おかえり。『プロジェクト・オーバーサイト』の全容はまだつかめてないけど、『デジタルの迷宮』のことがわかったわ」


「本当か?」


 俺は身を乗り出した。


 サクラが説明を始めた。


「うん、どうやら『サイバー・オデッセイ』の中に隠された、特殊な仮想空間みたい。そこでは現実世界の物理法則が通用しないの」


「ふーん、てことは何でもありってことか」


 カズマが腕を組んだ。


「そうね」


 ナナミが頷いた。


「でも、それだけに危険も大きいわ。心の準備はできてる?」


 俺は拳を握りしめた。


「当たり前だ。マユとキョーコさんを助けるためなら、何だってやる」


「そうこなくっちゃ!」


 カズマが俺の背中を叩いた。


 サクラが心配そうな顔をした。


「でも、無理は禁物よ。みんな、気をつけてね」


「ありがとう、サクラ」


 俺は微笑んだ。


「サクラの治癒能力のおかげで、いつも助かってるよ」


 サクラは少し照れたように頬を赤らめた。


「いえ、当たり前のことをしてるだけよ」


「よーし、じゃあ作戦会議だ!」


 カズマが勢いよく言った。


 俺たちは円になって座り、デジタルの迷宮への潜入計画を立て始めた。ナナミが解読したメッセージを元に、迷宮の構造を予測し、必要な装備をリストアップしていく。


「えっと、『歪んだ鏡』って何かしら?」


 サクラが首を傾げた。


「そうだな……」


 俺は考え込んだ。


「もしかして、現実世界の歪んだ反映とか?」


 ナナミが目を輝かせた。


「そうかも!デジタル空間だからこそ可能な、現実の歪曲……」


 話し合いが白熱する中、突然部屋の電気が消えた。真っ暗闇の中、みんなの息遣いだけが聞こえる。


「お、おい……」


 カズマの声が震えている。


「これって……」


 その瞬間、壁一面に無数の文字が浮かび上がった。青白く光る文字が、まるで生き物のように蠢いている。


《見つけたぞ、反逆者ども》


 俺たちは息を呑んだ。シンギュラリティ・ガーディアンズ……いや、もしかしたらオムニサイエンス本体からのメッセージかもしれない。


「くそっ、見つかったか……」


 俺は歯ぎしりした。


 ナナミが小声で言った。


「リョータ、もう時間がないわ。今すぐにでも『デジタルの迷宮』に潜入しないと」


 俺は深く息を吐いた。


「わかった。みんな、準備はいいか?」


 暗闇の中で、仲間たちの決意に満ちた返事が聞こえた。俺たちは未知の危険に向かって、一歩を踏み出そうとしていた。


 その時、壁の文字が再び動き出した。


《お前たちに、最後の選択をさせてやろう》

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