第8話 癒し手の葛藤

 ◇◇◇ サクラ視点


 カズマさんの明るい声に導かれるように、わたくしたちは最新のVRトレーニングルームへと向かいました。リョータくんの目が期待に輝いているのを見て、わたくしも少し心が躍るのを感じます。


 しかし同時に、胸の奥に重いものを抱えているような感覚も否めません。この数ヶ月、わたくしの中で様々な感情が渦巻いていたのです。


 バベル・アカデミーに来てから、わたくしの世界は大きく広がりました。ZNSに管理されていない人々の生き生きとした表情、自由な議論、そして何より、本物の感情の交流。これらはすべて、わたくしにとって新鮮で、時に戸惑うほどの体験でした。


「サクラ、どうかした?」


 マユさんの声に、わたくしは我に返りました。


「いえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけで」


 わたくしは微笑みを浮かべましたが、その裏では複雑な感情が渦巻いていました。


 トレーニングルームに到着すると、カズマさんが誇らしげに説明を始めました。


「ここでは、現実世界での様々な状況をシミュレートできるんだ。ハッキング、潜入、戦闘などなど、何でもこなせるようになるぜ」


 リョータさんが興奮気味に質問を投げかける中、わたくしの目は部屋の隅にある医療用シミュレーターに釘付けになりました。それは、わたくしが華座間総合病院で使っていたものと酷似していました。


 そう思った途端、まるでフラッシュバックしたかのように、わたくしの脳裏に過去の記憶が蘇ります。


 ◇◇◇


 3ヶ月前、わたくしは華座間総合病院の最先端医療センターで、いつものように研修医見習いとしての日々を送っていました。


「サクラ、次の患者さんをお願いね」


 先輩医師の声に応えて診察室に向かう途中、わたくしは違和感を覚えました。病院内のすべての人々が、何か大切なものを失ったかのような虚ろな表情をしているのです。


 その日の夕方、わたくしは偶然にも衝撃的な光景を目にしました。定期的なZNSのアップデートを受けた患者さんが、まるで人形のように感情を失っていく様子を。


「これは……ZNSの影響?」


 わたくしの中で、何かが音を立てて崩れ落ちる感覚がしました。


 ◇◇◇


「サクラ、急げ!サクラ!?」


 カズマさんの声で現実に引き戻されます。目の前では、リョータさんがVR機器を装着したまま、床に倒れていました。


「どうしたんですの!?」


 わたくしは慌ててリョータくんの元へ駆け寄ります。


「VRシステムが突然暴走したみたい!」


 ナナミさんの説明で何が起こったのかを理解します。わたくしの意識は、すでにリョータくんに集中していました。


「ナナミ!これ外していいのか!?」


 横たわったまま痙攣しているリョータさんがケガをしないよう、優しく押さえ込むカズマさん。


「ダメよ!ここにあるのは民生品とは一桁も二桁も出力が違う!こんな暴走状態で強制解除なんてしたら何があるかわかんない!!」


 VR機器の本体側に飛びつく勢いで駆け寄り、無作為に連打をしていると思うほど高速で物理キーボードを叩くナナミさん。


「ああ、もう!強制終了コマンドを受け付けないなんて!リョータがケガしないようそのまま抑えてなさい!無理やりソフトウェアを解体して止めてやるわ!」


 カズマさんとリョータさんのほうを見る時間も惜しいとばかりに、ナナミさんの指がさらに早く動きます。


 マユさんはというと、内線電話に向かって何事かを叫んでいます。


 みんながみんな、自分にできることをやっている。その姿を目にしたわたしくは深呼吸をして、自らの出番を待ちます。


「よしっ、ソフトウェア解体したわ!カズマ、VR機器を外して!」


「おっしゃ任せろ!」


 ガクガクと震えるリョータさんを片腕で器用に制したカズマさんは、素早くリョータさんの頭に装着されたVR機器のヘルメットを取り外します。


「リョータさんを仰向けに寝かせてくださいまし!」


「おうよ!」


 VR機器からは解放されたものの、リョータさんの視線は定まらず、ガクガクとした痙攣も続いています。わたくしは両手をリョータさんの胸に当てました。目を閉じ、意識を集中させると、体内に眠る特殊な能力を呼び覚まします。


「【バイオシンセンス】!!」


 わたくしの手から淡い緑色の光が溢れ出し、リョータくんの体を包み込みます。傷ついた神経系統が修復され、過負荷がかかった脳細胞が正常化していくのが感じ取れます。


 みなさんが固唾を飲んで見守る中、リョータくんの意識が戻り始めました。


「う……うん?何が……」


「よかった……」


 わたくしはほっと息をつきます。


 しかし、その安堵も束の間。突然、わたくしの能力が制御を失ったかのように暴走し始めたのです。


 緑色の光が強烈に輝き、リョータくんの体だけでなく、部屋全体を包み込んでいきます。


「サクラ!?」


 マユさんが驚いた声を上げます。


 わたくしも困惑していました。これまで経験したことのない力の奔流が、体内を駆け巡っています。


 その瞬間、不思議な映像が脳裏に浮かびました。傷ついた地球が、この光に包まれ癒されていく様子が。


「この力は、一体どこまで人々を救えるのだろうか。そして、それは果たして正しいことなのだろうか」


 疑問が湧き上がる中、わたくしは必死に能力を抑え込もうとしました。しかし、その力はわたくしの制御を超えて、さらに強大化していきます。


 光が部屋中を満たし、仲間たちの驚愕の表情が見えなくなる中、わたくしの心の中で、ある決意が固まっていきました。


「わたくしがこの力を持った理由は、世界を本当の意味で癒すことなのですね」


 しかし、その理解が正しいものなのか、わたくしにはまだ分かりません。ただ、この力と向き合い、真の癒しの道を探る旅が、ここから始まるのだと確信しました。


 輝きが最高潮に達したその時、わたくしの意識は闇の中へと沈んでいきました。

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