第5話 バベル・アカデミーへの招待
目を覚ますと、見慣れない天井が広がっていた。
「ここは……」
僕は、ゆっくりと上半身を起こした。体の疲れはほとんど取れていたが、頭の中はまだもやもやしていた。昨夜の出来事が、断片的に蘇ってくる。政府のサーバーへの侵入。両親の死の真相。そして、マユとの出会い。
「あぁ、目が覚めたのね」
聞き覚えのある声に、僕はそちらを向いた。マユが、部屋の隅にあるイスから立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。彼女の姿を見て、昨夜の記憶が一気に戻ってきた。
「ごめん、寝ちゃってたみたい。治療、ありがとう。だいぶよくなったよ」
「どういたしまして。顔色も少しはよくなったみたいだし、行きましょうか」
僕はマユに誘われるままに、再びテクノ東京の雑踏に紛れ込んだ。
僕は左手首を無意識に擦った。そこには古びて少し大きめのZNSインプラント拡張デバイスそっくりの偽装デバイスを装着している。
「左手首が痛むのはしばらく続くわ」
マユが言った。彼女も同じように左手首に偽装デバイスをつけている。
「でも、これが自由への第一歩よ」
テクノ東京の雑踏に紛れ込むと、その”自由”の意味を痛感した。周囲の人々は皆、無意識に左手首のZNSインプラントと同調しているようで、彼らの中で僕たちだけが”浮いている”ような感覚に陥る。
高層ビルの谷間を縫うように、無数のホログラム広告が空中を舞っている。通常なら、それらは僕たちの左手首を読み取り、個人向けの広告を投影してくるはずだ。しかし、偽装デバイスのおかげか、今まで見たことのない広告が投影されている。
「個人識別システムを完全にかく乱させているわ」
マユが説明した。
「これで追跡されることはないはず」
その言葉に、僕は背筋が寒くなった。ここまでしないと安全に歩けないのか。ZNSの管理がここまで徹底しているとは。
歩道には、様々な姿の人々が行き交っていた。サイバネティック義体を誇示する者、最新のファッショナブルなZNSインプラントや拡張デバイスを身につけた者。そんな中で、僕たちはできるだけ目立たないように振る舞う。古い型のデバイスは、むしろ貧困層の証のように見えるのかもしれない。
「あそこよ」
マユが指差した先には、古びた地下鉄の入り口があった。使われなくなって久しい廃線の一つだろう。入り口には『立入禁止』の標識が掲げられ、鉄格子で封鎖されている。
「こんなところに……何があるの?隠れ家?」
僕の問いかけに、マユはクスリと笑った。
「見た目は大切よ。誰も注目しないところこそ、最高の隠れ家になるの」
近づくと、マユは周囲を確認してから、さりげなく鉄格子に左手首を近づけた。次の瞬間、鉄格子が音もなく内側に開いた。
「さ、行きましょう」
マユに促され、僕は薄暗い地下鉄の通路に足を踏み入れた。数メートル進むと、鉄格子が再び閉まる音がした。たぶん僕だけでは戻れない。その予兆に、僕の心臓が高鳴った。
通路を進むにつれ、古い地下鉄の無機質な雰囲気が、少しずつ変わっていく。壁に埋め込まれた微かな発光体が、私たちの行く手を優しく照らし始めた。
「ここは……?」
「バベル・アカデミーよ」
僕は息を呑んだ。目の前に広がる光景は、まるで別世界だった。地下鉄の無機質なコンクリートの向こうには、青く輝く光の通路が伸びている。その壁には、まるで生きているかのように点滅するデジタル回路が走っていた。
「ここがバベル・アカデミー。ZNSに支配された世界に抗う者たちの砦」
マユの声に、僕は思わず背筋を伸ばした。彼女の姿が、青い光の中でより一層神秘的に見える。
「バベル・アカデミーは、ZNSの真の目的を知り、それに抵抗する者たちが集う場所。ここで私たちは、テクノロジーを学び、戦略を練り、そして……未来を変える力を手に入れるの」
マユの言葉に、僕は両親のことを思い出した。彼らもまた、ZNSの真実を知り、そして命を落とした。胸の奥で、怒りと悲しみが渦巻く。
「僕も……その未来を変える力を得られるかな」
僕の言葉に、マユは優しく微笑んだ。
「もちろんよ。その気持ち、忘れないで。さあ、行きましょう。みんなが待ってるわ」
マユが差し出した手を、僕は迷わず取った。青い光の通路を進むにつれ、耳に聞こえてきたのは、キーボードを打つ音、議論する声、そして、希望に満ちた息遣い。
僕たちが大きな扉の前に立つと、マユがゆっくりとそれを開いた。
「バベル・アカデミーへようこそ、リョータくん」
扉の向こうには、想像を超える光景が広がっていた。無数のホログラム画面、最先端のコンピューター。そして、僕と同じように左手首に古い偽装デバイスをつけた若者たち。
その瞬間、僕は確信した。ここが、僕の居場所だと。両親の遺志を継ぎ、ZNSの真実を暴く。そのために、僕はここにいる。
深呼吸をして、僕は一歩を踏み出した。バベル・アカデミーの扉をくぐる瞬間、背中に感じたのは、未知の冒険への期待と、決して後には引けない覚悟だった。そして、隣でそっと手を握るマユの存在が、その全てを支えてくれている気がした。左手首の傷跡の痛みさえ、今は誇らしく感じられた。これが自由への第一歩なのだと、僕は心の底から理解していた。
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