第2話 追手からの逃走

 息が切れる。脚が鉛のように重い。でも、立ち止まるわけにはいかない。


 雑居ビルの影に隠れ、周囲の足音に耳を澄ます。複数の追手。明らかに重い人物の足音。奴らは本気だ。


「クソッ...!」


 階段を飛び降り、路地に飛び出す。


 目の前に広がるのは、テクノ東京が誇る眠らない夜景。


 夜空を覆い尽くすほどの超高層ビル群が、まるで現代の万里の長城のように立ち並ぶ。その表面は巨大なLED画面と化し、絶え間なく変化する広告や情報が流れている。蛍光色やネオンのような鮮やかな光が、暗い夜空に映え、まるで天の川のように街を彩る。


 道路は何層にも重なり、空中に浮かぶ歩道橋やモノレールが縦横無尽に走っている。その間を縫うように、無人の配達ドローンや空飛ぶタクシーが忙しなく行き交う。まるで、3Dの迷路の中にいるような錯覚を覚える。


 路上では、最新のファッションに身を包んだ若者たちが、拡張現実(AR)グラスを装着してバーチャルペットと戯れている。その隣では、全身サイボーグ化した老人が、若々しい動きで踊っている。年齢や身体能力の概念が、ここではもはや意味をなさない。


 コンビニの店先では、ホログラム店員が笑顔で客を出迎える。その隣では、路上でラーメンを食べる人々。蒸気の向こうに見える彼らの左腕には、淡く光るZNSインプラントが。それはまるで、未来と現在が同居している様子を象徴しているかのようだ。


 視線を上げると、ビルの谷間に浮かぶ巨大な月。いや、よく見ると月型の広告ドローン。その表面には『ZNS - あなたの幸せをサポートします』の文字が浮かび上がる。


 どこを見ても情報とテクノロジーの洪水。そして、その全てがZNSによって管理されている。街全体が生命体のように呼吸し、脈打っているかのよう。


 この光景は確かに美しい。でも、その輝きの裏に潜む影も見逃せない。


 路地の奥では、ZNSインプラントを装着していない『アンプラグド』たちが、社会の片隅で息をひそめるように生活している。彼らの目には、恐れと同時に自由を求める強い意志が光っている。


 高層ビルの谷間には、古い日本家屋が取り残されたように佇んでいる。その軒先に吊るされた赤提灯が、サイバーパンクな街並みの中で不思議な和の趣を醸し出している。


 路上では、最新鋭の警察ロボットが巡回している。その無機質な眼光が、通行人一人一人をスキャンしていく。管理社会の象徴とも言えるその姿に、通行人たちは目を背けるように足早に通り過ぎていく。


「あそこだ!」


 背後から怒号が響く。見つかった!


 人混みに紛れ込もうと、大通りに飛び出す。


 人々は皆、左腕に光るZNSインプラントを着けている。僕も例外ではない。左腕のインプラントが微かに脈打つ。この小さな機械が、今や僕の命綱であり、同時に足かせでもある。


「くそっ……」


 歯を食いしばる。このインプラントのおかげで、まだ一般人として紛れることができる。でも同時に、これが僕の位置を政府に知らせ続けている可能性もある。


 ポケットの中の偽造IDカードが重く感じる。インプラントは本物だが、登録情報は偽造されている。これがバレたら、即座にゲームオーバーだ。


「どいてくれっ!」


 人々を押しのけ、必死で走る。後ろから怒号と悲鳴が聞こえる。


 突如、頭上のホログラム広告が一斉に変わる。


『指名手配犯 砂羽叢さわむら リョータ』


 僕の顔写真が、街中に映し出される。


「嘘だろ……」


 ざわめく人々。指名手配犯なんて言葉、ZNSの管理によってほとんど聞かれなくなった。そんなときに突然出てきたら、誰だってびっくりする。ざっと周囲に視線を向けると、こちらに指差す者もいる。これじゃあ、街中が敵だ。


 右手に路地を見つけ、そこに飛び込む。狭い路地を駆け抜け、行き止まりに出る。


「くそっ」


 振り返ると、黒服の男たちが迫ってくる。


「観念しろ、砂羽叢リョータ。お前のZNSインプラントはもう特定されている。逃げ場はないぞ」


 リーダーらしき男が前に出る。その手には、銃らしきものが。


「捕まるわけには、いかないんだっ!」


 咄嗟に、近くに落ちていた廃棄ドローンを蹴り上げる。ドローンが男たちに向かって飛んでいく。


 その隙に、左手の壁を駆け上がる。人間、鍛冶場の馬鹿力があれば、壁を駆け上がれるのか。まるで、忍者やパルクール選手のようだ。


 一階部分は施錠されている非常階段の中に入り、屋上を目指して駆け上がる。多少時間稼ぎができればいいのだが、今は振り返る余裕はない。必死の思いで屋上へと飛び込む。


 夜風が頬を撫でる。立ち止まっている暇はない。高層ビルの間を縫うように、屋上から屋上へと飛び移る。


 背後からレーザー光線が飛んでくる。かすめただけで火傷しそうな熱さ。


「はぁ……はぁ……」


 体力はとっくに限界を迎えている。追っ手がこちらをただの学生だと思い込んでいるから逃れられているだけだ。左腕のインプラントが妙に熱い。まるで僕の動きを誰かに伝えているみたいだ。


 ここで倒れるわけにはいかない。両親の真実。ZNSの秘密。全てを明らかにするまでは。


 そのとき、目の前の建物に設置された巨大スクリーンが点滅する。


 そこに映し出されたのは、僕の顔。そして、衝撃的な文字列。


『サイバーテロリスト 砂羽叢リョータ 自身の両親を殺害した親殺し』


「なっ……!」


 足を踏み外す。なんとか隣のビルの外階段のフチに捕まることができた。そのまま下の階の踊り場におり、階段を駆け降りる。だが、ここまで無理をしてきたのが祟ったのだろう。足がもつれてしまい、階段から路地に落ちる。


 体を激しく打ち付けてしまい、痛みのあまり意識が朦朧とする。左腕のインプラントが激しく脈打つ。まるで警報のように。


 目の前が暗くなりかける中、かすかに人影が見える。


 長い髪の、少女?


「大丈夫? そのインプラント、今すぐ外さないと」


 優しいけれど、緊迫した声が聞こえる。


 意識が遠のく前に、少女の左腕に目をやる。


 そこには、ZNSインプラントが、ない?


 暗闇に沈む直前、少女の手が僕の左腕に伸びるのを感じた。そして、鋭い痛み。


 意識が闇に飲み込まれる。

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