第1話 禁断の侵入

 夜の闇が濃くなる中、僕の部屋だけが青白い光に包まれていた。モニターの前に座り、深呼吸を一つ。指先が微かに震える。今夜、全てが変わるはずだ。


 目を閉じ、意識を集中させる。耳元で聞こえるのは、自分の鼓動だけ。


「【サイバーシンクロ】……起動」


 その瞬間、世界が一変した。視界全体が青く染まり、無数のデータの流れが光の筋となって駆け抜けていく。そして、その中心に、巨大な要塞のように政府の機密サーバーが立ちはだかる。


 幾重もの防御壁。複雑なアクセス制御。常時監視するAI。全てが、僕の侵入を阻もうとしている。


 心臓が早鐘を打つ。手のひらには汗。喉がカラカラに渇く。失敗すれば即座に発見され、逃げる暇もない。それは、即ち死を意味する。


 それでも、両親の死の真相を知るためならば、命の1つや2つくらい賭けてやる。


 僕はデジタルの海に意識を飛ばした。


 最初の障壁は、強固なファイアウォール。通常のアプローチでは、アクセス許可を得るのは不可能に近い。でも、僕にはサイバーシンクロがある。


 意識を集中し、自身をデータパケットに偽装する。政府のシステムが日常的にやり取りする膨大な通信の中に、僕自身を紛れ込ませる。ファイアウォールは、僕を許可された通信だと誤認識し、アクセスを許可する。


「ふぅ……一つ目クリア」


 額から流れ落ちる汗を拭う。まだ始まったばかりだ。


 次の関門は、侵入検知システム(IDS)。これが厄介だ。少しでも不自然な動きをすれば、即座にアラートが鳴る。


 僕は自分の存在を限りなく小さくし、システムの中に溶け込んでいく。通常のデータフローに紛れ、少しずつ、ゆっくりと進む。まるで、暗闇の中を這うように。合わせて、IDS には僕というプログラムを例外とするよう設定の書き換えを行っておく。これで万が一のときも安心だ。


 どれもこれも突破するまでに時間がかかる。焦りが込み上げてくる。でも、急いではダメだ。一つでもミスをすれば、全てが水の泡だ。


「落ち着け……ゆっくりでいい」


 自分に言い聞かせる。両親の笑顔を思い出す。そう、これは彼らのためなんだ。


 IDSの監視の目をすり抜け、ようやくデータベースの入り口にたどり着く。でも、ここが最後の、そして最大の関門だ。


 強力な暗号化が施されたデータ。量子暗号すら使われているかもしれない。普通の方法では、100年かけても解読できないほどの複雑さだ。


「やっぱり……!」


 歯を食いしばる。額には大粒の汗。指先がピリピリとしびれる。体が熱くなる。


 ここで諦めるわけにはいかない。サイバーシンクロをさらに深く使うしかない。


 深く息を吸い、意識を研ぎ澄ます。自分の存在を、システムの律動そのものに同調させていく。


 すると、暗号化の中に、微かな乱れを感じ取った。人間の目では決して気づけない、量子レベルでの矛盾。その瞬間を狙い、全ての意識を集中させる。


「行けっ!」


 一気にデータの解読に成功する。


 眩いばかりの光。そして、膨大な情報の奔流。


「やった……ついに……!」


 歓喜の声を上げそうになるのを、必死で抑え込む。まだ安心はできない。


 慎重に、かつ素早く情報を探っていく。政府の極秘文書、機密プロジェクトの詳細、そしてZNSの詳細情報。


「これは……まさか」


 ZNSの真の目的?人類の感情を制御し、完全な管理社会を作り上げる計画?


 衝撃的な情報の数々に、頭がクラクラする。でも、今はそれどころじゃない。両親の情報を、早く見つけないと。


 そして、ようやくそれを発見した。


「あっ……!」


 その瞬間、背筋が凍るような衝撃が走る。


 画面に映し出されたのは、両親の最後の姿を捉えた監視カメラの映像だった。高解像度の画面に映る両親の表情が、痛いほど鮮明だ。映像の下には、『ZNSプロジェクト研究室』という文字が表示されている。


 そこには、黒いユニフォームに身を包んだ武装集団が両親を取り囲む様子が...。彼らの装備や動きから、通常の警察や自衛隊ではないことは明らかだった。政府直属の特殊部隊か?両親は最後まで凛として、何かを守ろうとしているように見えた。


「嘘だ……こんな……」


 声が震える。目に涙が溢れる。


 そして、映像の隅に、見覚えのある人影が映っていた。氷室剛。ZNSプロジェクトの責任者として知られる男だ。彼が両親の……処刑を命じている……?


 映像の中で、氷室が何か指示を出している。その直後、武装集団が一斉に発砲。両親の体が弾丸に貫かれ、崩れ落ちていく。


「うっ……」


 吐き気が込み上げてくる。目を逸らしたくなるのを必死で我慢する。


 なぜ両親が殺されなければならないのだ。僕の両親が殺された理由がどこかにあるはず。僕は、監視カメラの映像ファイルと紐付けられていた報告書を開く。そこには『プロジェクト・オーバーサイト』という文字。ZNSの裏で、別の計画が進行しているのか?


 突如、けたたましい警報が鳴り響く。発見された?IDSは僕を例外プログラム扱いとするよう設定を書き換えているのに!?


 慌てて接続を切ろうとした瞬間、画面に不気味なメッセージが浮かび上がる。


砂羽叢さわむらリョータ。お前の親も、お前も、我々の計画の障害でしかない。逃げられると思うな。』


 声にならない叫びを上げながら、僕は強制的にサイバー空間から弾き出された。


 現実世界に戻った僕は、激しい頭痛と吐き気に襲われながら、冷や汗まみれでパソコンの前に倒れ込みそうになる。このまま倒れ込んで休みたい。情報量が多すぎる。


 でも、今は動かなければ。時間がない。


 急いでバックパックに必要最小限の荷物を詰め込む。ノートPC、現金、着替え、そして、両親の形見のペンダントと、何が書いてあるのかまったく読めないノート。震える手でペンダントを首にかけ、ノートをバックパックに入れる。


 外から車の音。慌てて窓から確認すると、不審な黒いワゴン車が止まっていた。中から、複数の男たちが降りてくる。全身黒ずくめ、明らかに只者じゃない。両親が殺害されたときの監視カメラに映っていた奴らだろうか。


 ぐずぐずしてたら終わる。逃げるなら今しかない。


 僕は深く息を吸い、ドアに手をかける。鼓動が耳に響く。


 もう後戻りできない。覚悟を決めたはずだったが、まだまだ甘かったようだ。


 でも、両親の真実を知った今、逃げ出すしかないんだ。


 どこへ行けばいいのか、まだ分からない。でも、このまま捕まるわけにはいかない。両親の死の真相を紐解くため、そしてZNSの裏に潜む恐ろしい秘密を暴くため、何としても生き延びなければ。


 ドアを開け、暗い廊下に飛び出す。


 背後で、ドアを蹴破る音が響いた。


 先は見えない。でも、進むしかない。


 僕は闇の中へと走り出した。

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