Track07 「楽しかったよ」
人混みから離れた場所。喧騒も祭り囃子も遠くに聞こえる。
「……うん。最初からそれが、成仏が、目的だったんだ。つまり私はキミに、ウソを、ついていた。ずっとね」
「私には、未練があるみたいなんだ。たぶんだけど、その未練が解消できれば、私は成仏できるはず」
「未練解消のため、まず私が行ったのは思い出すことだった。私の人生を。刹那のようにあっという間で、されどあまりにも恵まれ過ぎていた、私の人生を」
「……そうして得た答え。私の未練であろうこと。それこそが、『誰かの役に立つ』ことだった」
「うん。外の世界を見たい、なんてのはそれっぽい願望で、本命は外の世界に連れ出してくれたお礼、として用意していた、耳かきとかの方……そのつもり、だったんだ」
「……まあ、私がびっくりするくらい非力で無知だったばっかりに、上手だったとは言いがたかったかもしれないけどね」
「それでも、キミは私の拙い奉仕にお礼を言ってくれた。ありがとうって」
「だから私は安心したんだ。ああ、これでついに成仏できるって」
「……だが、そうはならなかった。私の未練は、誰かの役に立つこと、そうしてお礼を言われることなんかじゃあ、なかったんだ」
「いま消えかけている私の身体を見れば答えは瞭然だろう」
「私はね、きっと、どんな形でもいいから、お祭りに参加してみたかったんだ」
「まったく、笑えてくるよ。恵まれすぎていたのに何も返せぬまま死んでしまったこと、それこそが未練だとずっと思い続けていたというのに……本当は、そんなことは未練でもなんでもなかった」
「自分が恵まれた分だけ、誰かの助けになりたい——だなんて物語の主人公のようなかっこいい動機なんて結局、私ははじめから持ち合わせていなかったんだ」
「そんな気持ちはきっと、あの日、侍女の髪を洗ってあげた時にきれいさっぱり解消されてしまったのだろうね」
「……私の未練は、もっと別のところ、そうここにあった」
「未練がお祭り、ということを踏まえて思い返してみるとひとつ、これだろうという記憶がある」
「……私の病状が悪化し、あの病院に入院してからのことだ」
「ある夜。私は病室の窓から外を見た。夏の星々の下には賑やかな明かりが灯っていて、うっすらとだが祭り囃子が聞こえる。そして——その明かりの群れの中から飛びだすものがあった」
「それは空高くに上り、星々と同じ高さに到達すると、ぱぁん!と爆ぜて、色鮮やかに咲き誇り、夜空を彩った」
「そう。花火だ」
「きっと、その時私は思った……思ってしまったのだろう。この暗くて狭い病室を飛び出して、あの楽しげな光の中へ、飛び込んでみたい——と」
「……ああ。だから、つまるところ、私は最初から、自分で答えを口にしていたのさ」
「外の世界を見たい」
「それが、人生の大半を家と病院の中だけで過ごした世間知らずな私の、最期の願いだった」
「なんだ、どうしたんだい? キミ。俯いてしまって」
「……ああ。そうだったね。キミは、昨日も私の話を聞いて涙ぐんでくれたね」
幽霊、弱々しく主人公の頭を撫でる。
「まったくもう、優しいんだから」
「……そうだね。私はきっと、このお祭りの花火を見届けたら、それでもう成仏できるだろう」
「オカルトには疎い私だけど……わかるんだ。もう、キミたちに、この世のものに干渉する力が、かなり弱まっている」
幽霊、主人公の耳に顔を近付けて、囁く。
「……ほら。息を、吹きかけるよ」
息を吹きかける音は遠くに聞こえて、主人公の耳をぞわぞわとさせるに至らない。
「ふう」
「……ね。息を……空気の流れを起こす力さえ、私にはほとんど残ってないんだ」
「それだけ。私は満たされてしまっている」
(ひゅうううう……という花火の打ち上がる音)
「どうやら、そろそろ時間のようだ」
「キミも、下ばかり見てないで上を見上げなよ」
(どおん、という花火の咲く音)
「ほら、花火が綺麗だろう?」
(ひゅうううう……という花火の打ち上がる音が二重、三重にして)
(どおん。どおん。どおん。と続けて鳴る)
「……そうだった。あの夏の日、私はこの輝きに、目を奪われたんだ」
「涙が出るのなら、なおさらに上を向くべきだ。……そう歌っている人が、いたんだよ」
「ああ、記憶まで霞んできた。残念だなあ。覚えていたら、キミに歌ってあげることもできたのに」
幽霊の身体が光を帯びはじめる。光の粒子になって、風に溶けるように消えてゆく。
「じゃあ……さようならだ」
「ほんの一日程度だったけれど……キミとの時間は楽しかったよ」
「夜ふかしはしないで、健康には気をつけて。どうか……どうか元気で。キミは、長生きしておくれよ」
「間違っても、私みたいには、なるなよ」
幽霊の身体が消える。
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