Track03 「耳かきしてあげよう」

「リベンジさせてくれないだろうか」


「お風呂では、キミに迷惑をかけた。今度こそはちゃんとやり遂げて——キミに、癒しを与えたい」


 幽霊、少し不安げな声で尋ねる。


「いいかな?」


「……ほんとう? よかった。ありがとう」


「私なりに、さっきの失敗の原因を分析してみたんだ。そこで気付いたんだが、髪を洗うには水を出したり止めたり、シャンプーを泡立てたりと、なにかとモノに干渉しなくてはいけない機会が多かった。中には、非力な……そして物理的肉体を持たない私にとっては、かなりの重労働となるものさえあった」


「なので今回は、モノにあまり干渉せず、かつ軽いものしか扱わない方法でキミを癒してあげようと思う! その方法とは——うん、キミが見ている、これだ」


 幽霊、主人公に耳かきを見せる。


「そう。耳かき。部屋を物色させてもらったら竹のものがあったのでね、今回はこれを使わせてもらうことにしようかと」


「……え? 部屋を勝手に物色しないで? ……すまない。病院ぐらしが長く、幽霊生活はもっと長かったから、共同生活という意識があまり持てていなくて……いや、言い訳だな。本当に申し訳ない。土下座で足りるだろうか……」


 幽霊、土下座しようとする。


 主人公、幽霊の土下座を止める。


「……え? これから気をつけてくれたらいい……? そっか。キミは本当に優しいな。ありがとう」


「では、耳かきをさせてもらおうと思うのだけど、いいかな? ……うん。そう言ってくれてよかった。嬉しいよ」


「それじゃあ、右耳からやっていこう。横になってくれ。そう。私に膝枕してもらうようなイメージで」


「……本当は、膝枕をしてあげたいところなんたけど、ね。まあできないものは仕方ない」


 幽霊、主人公の頭の近くにティッシュをしく。


「耳垢を捨てる用のティッシュをしいて……うん。ではやっていこうか。耳かき、入れていくよ」


 主人公の右耳に耳かきが入っていく。


「耳かきもね、侍女に教えてもらったんだ。だからもしかしたら、今の時代からすると時代遅れだったりするのかもしれないけれど……そこは、どうか許してほしい」


「先端の、曲がったところで耳垢をとるイメージで……やさしく……やさーしく……耳の内側を、傷つけないように……」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音)


「……不思議な気分だ。キミの耳かきをしていると、なんだか自分まで耳かきされているような…………いや、これはもしや耳かきの感覚が共有されている、のかな?」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音)


「…………んっ。思ったとおり、だ。なんともこそばゆい感じがする……。こすっているのはキミの耳だというのに、感じるよ。キミの感じている気持ちよさを。これが痛みに変わらぬよう、気をつけて進めていこう……」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音)


「うむ。耳垢が取れてきたね。……こうやって、360度……まんべんなく、耳垢をとっていく、よ…………」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音がしばらく続く)


「…………ふう。では、耳かきでとった耳垢を念力で浮かせて……ティッシュの上に。そういえば、なんでこのちり紙のことをティッシュと呼ぶのだろうね。言葉の響きからして欧米のもののようだけど……」


「え? 語源はフランス語? へぇ。そうなんだ……そう言われると、なんとなくみやびなものに見えてくるね」


「では、最後に、このふわふわとした梵天を入れてキミの耳に残った耳垢をすべてひっ捕えるとしよう」


(梵天が入ってくる音)


「おおっと。そうだ。梵天はこんな感じだった」


(梵天が1、2回、右耳の中でくるくると回る音)


(梵天が引き抜かれる音)


 幽霊、主人公の右耳の中を覗き込む。


 幽霊の声が右耳の間近でする。


「……ん、よし。耳垢はもうなさそうだ」


 幽霊、顔を上げる。


「では右耳がスッキリしたところで次へ行ってみようか。左耳を……そう、寝転がって。ん、よしよし」


 幽霊、すこしもじもじとして、恥ずかしそうに。


「いやしかし、なんだかこの状況は少し……恥ずかしいね。いや、見えるはずはないと思う……思うんだけど、ね? 私の下着を見られているような気がして……」


「あはは……よく考えたら、男の子とこんなにも身体を密着させるのも初めてだな……密着、というか貫通してるんだが」


「それと、少しばかり鼻息がうちももに当たってくぐったさも、……ああいや、なんでもない。うん、それでは改めて左耳もやっていこう。ああ、一応、目はつむってくれると嬉しい」


「……ていうか、私の足の断面が見えてたりはしない……よね? そうだとしたら下着なんかよりももっと大変なものをキミにお見せしてしまっていることになるが……そんなことはない? 見えたら悲鳴を上げてる? ふう、ならよかった」


「さてさて、では耳かきを入れていくよ。……かり、かり、かり、かり。やさしく……やさしく……丁寧に……」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音)


「コンディショナーを付けるときはかなり気をつかったものだが、なんでだろうね。耳かきはとてもリラックスして……というか、無駄にりきむことなくこなせている気がするよ」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音)


「キミの気持ちよさが、伝わってきているから、かな?」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音)


「まあ、りきんでしまったらキミの耳を傷つけてしまうかもしれないのだから、むしろりきんではいけないのだけど……」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音がしばらく続く)


「…………自分で言うのもおかしな話だが、私って耳かきの才能があるのかもしれないね。……うん、人の役に立てた可能性が、こんな私にもあったのだとすれば、それはとても素敵なことだ」


(耳の中をかり、かりと優しくこする音)


「……よし。こんなところだろう。耳垢もなかなかの量が取れた。こんなに溜まっていたとはねぇ。もったいないじゃないか、こんなに使いやすい耳かきを持っているのに使わないだなんて」


「ふむ……忙しくて、か。まあそうだね、生活や仕事に追われて自分をいたわるのを忘れてしまう、というのはよくある話だ。私の侍女も、とても真面目な子でね、そういう節があった」


「……では、仕上げに梵天、入れていくよ」


(梵天が入ってきて、1、2回、左耳の中でくるくると回る音)


「ふわふわの梵天で、ちりっぽくなった耳垢を……こうやっ、て……うん。十分だろう」


(梵天が引き抜かれる音)


「これで完了だ! どれどれ……」


 幽霊、主人公の左耳を覗き込む。


 幽霊の声が左耳の間近でする。


「うーむ。うん、良い感じだ。……しかしあれだね。霊体だと、自分の頭で影ができることもないから耳の中を覗き込みやすくて助かるね」


 幽霊、不意に左耳に息を吹きかける。


「ふぅっ!」


 主人公、驚いて身体を起こす。


 幽霊、笑いながら座った姿勢のまま、主人公を見上げる。


「あはは! びっくりしたかい? 声が聞こえるならもしかして、とつい魔が差してしまってね。いやあすまないすまない」


「……ともあれ、これで耳かきはおしまい、だ」


「ありがとう? なんだかすっきりした? おいおい、私をおだてても何も出ないぞ。けれどまあ……そう言ってくれるなら毎晩だって……いや、それは逆に耳に良くないか」


「ああ、後始末は私がやっておくよ。耳かきについた耳垢はよくティッシュの上に落として……っと。そして、ティッシュで耳垢を包んで捨てる! ゴミ箱はあれ、だよね。うん。そのくらいならできるとも」


「……へ? 梵天を洗、う? …………なるほど。どうやら私は耳かきをまだ完全にはマスターしていなかったようだ。たしかに、耳垢がついたまま放置してしまっては汚くなってしまうのは道理」


「……また、キミに迷惑をかけてしまうけれど、お願いだ。私に、梵天の洗い方を教えてはくれないだろうか?」


「本当かい!? ありがとう! ……なんて、喜んでいる場合ではないね。またキミに迷惑をかけてしまった……」


「だが、次は。次こそはキミの手を煩わせないと約束するよ」


「——というわけで、キミさえ良ければ、なんだが……」


「今夜はキミと一緒に寝させてもらえないだろうか?」

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