Track02 「髪を洗ってあげよう」
(
「おや、お風呂が湧いたみたいだよ。冷める前にさっさと入ってくるといい」
「私? 心配せずともお風呂までは付いていかないさ。取り憑いていると言っても、いつ何時も一緒というわけじゃあない。私も、君のトイレを観察しなくちゃいけないのは困るからね」
(ガララという脱衣所の扉を開けて、締める音)
(主人公が脱衣する音)
(浴室の扉を開ける音)
主人公、浴室に入ってシャワーを浴びる。
「おお。これが君の家の浴場か。手狭だが一人用としては豪華なものだね」
(シャワーヘッドが落ちる音)
「ん? 私がなんで居るのかって? いやよく考えてみたら、さっきの担々麺のお返しをするチャンスだな、と思って」
「前も言ったと思うが、私は念力でちょっとしたものなら持てるんだ。……だから、その気になれば……っと、」
幽霊、主人公の濡れた髪をわしゃわしゃとする。
「やった! ほら、髪を洗うくらいなら私にだってできるんだ! 大丈夫、これでも私は使用人に髪の洗い方を教えてもらったことがあってね。……侍女に、恩返しがしたかったんだ。そしたら、『お上手です』って褒めてもらえた! だから髪の洗い方には自信があるよ」
「さあさあ。そこの椅子に腰かけて。シャワーヘッドは床に転がしておくと危ないから元に戻して……ん、おもっ……よし、戻せた」
主人公、風呂椅子に座る。
幽霊、主人公のすぐ隣で屈んで棚を見る。
「ええと……じゃあ始める前に、と。この棚、色々並んでいるけれどどれがどれかな?」
「ああ、ほんとだ書いてある。ふむ……ボディソープがこれで、こっちはシャンプー、これがコンディショナーか。男の一人暮らしなのにコンディショナーもちゃんと用意しているとは偉いね。どうりで、キミの髪、色艶が良いわけだ」
幽霊、主人公の背中側に回る。
「さて、それじゃあ始めていこうか。まずは、髪と頭皮の予洗いからだ。
「ええと、シャワーを止めるのは、ここかな? うん、そうか。ありがとう」
幽霊、シャワーを止める。
「ええと……こっちの蛇口からお湯を出すには……ああ、そこをひねるのか。私がやると言い出したのにさっきからキミに面倒をかけてばかりだ。すまないね」
幽霊、風呂桶にお湯を入れる。
「ここに水をちょっと足したら……うん、こんなところだろう。念力で水をちょっとすくいとって……頭に、かける。いいかい? うん、では」
(ぱしゃ、と少量のぬるま湯がかかる音)
「そして、指の腹で頭皮をマッサージ」
ぐっぐっと幽霊が主人公の頭頂部をマッサージする。
「……本来は、髪を洗う前にブラッシングをするんだ。でもキミはもう髪を濡らしてしまっていたし、そもそもブラシも見つからないしで、その手順は飛ばしてしまった。まあ、キミの髪型なら、ブラッシングをする必要もあまりないかもしれないし、これで良かったのかもしれないのだけどね」
「はい、ぬるま湯かけるよ」
(ぱしゃ、と少量のぬるま湯がかかる音)
幽霊、後頭部のマッサージを行なう。
「ん、……どう、かな。ちゃんとできているだろうか…………そっか。それなら良かった。一度身につけた技術を、身体は覚えているというのは本当なんだな。まあ、私に身体はないんだが」
「じゃあ、ぬるま湯かけるよ」
(ぱしゃ、と少量のぬるま湯がかかる音)
幽霊、側頭部を親指を使うイメージでマッサージする。
「ふぅ~~っ。いやあよく考えてみたら霊体で
「ん? 身体があったころはどうだったのかって? 私はご覧の通りの……いや、今は見えてないか……まあともかく、キミが見た通り、ひ弱で日の光に当たっただけでも身体を悪くするくらいの超がいくつ付いても足りないくらいの病弱薄幸美少女だったんだ」
「だからまあ、腕の筋肉が保たなくて、ね。いつも髪を洗ってくれている侍女ひとりの髪を洗うのでいっぱいいっぱいだったよ。……まあ、それは彼女の髪が長かったから、というのも多分にあるのだけど」
「……はい。ぬるま湯かけるよ」
(ぱしゃ、と少量のぬるま湯がかかる音)
「うん。だいたいこんなところかな。……では次に、シャンプーを適量泡立てる。ん? 手に持てないのにどうやって泡立てるのか、だって? ……ふっふっふ。これについては私に考えがある! ちょっと待っていたまえ!」
幽霊、浴室から扉を通り抜けて出ていく。
(奥の方でごそごそと音がする)
浴室の扉が少し開く。
「ん……しょっと。ふう。自力で開けられてよかった。テーブルの上に置かれていた紙の器だ! 紙コップ?とか言うみたいだね。これを使って、シャンプーをぬるま湯で泡立てることにしたよ」
幽霊、浴室の床に紙コップを置いて、浴室の扉を締める。
「ああ、心配しないで。ちゃんと未使用のものを選んできた。ジュースのせいでせっかく洗った髪がべたついては良くないからね」
幽霊、シャンプーを紙コップの中に出す。
幽霊、ぬるま湯を少量、念力ですくいとって紙コップの中へ入れる。
「まぜまぜ~……まぜまぜ……。うん、こんなところだろう。こんなにもすぐに泡立つとはね。現代のシャンプーもまた侮れないなこれは……」
「さて、では泡立てたシャンプーを念力で……よいしょと。うん。では再び頭皮のマッサージをしていこう」
幽霊、シャンプーを頭皮に揉み込ませるようにしながらマッサージする。
「以前聞いた話だと、髪を洗うときに重要なのは、髪を洗うことではないそうだよ。正確には、頭皮の汚れを落とすこと。こちらの方が重要なのだそうだ」
「まあ、考えてみれば当然の話だよね。土台が悪ければその上に生えるものもまた悪くなって然るべきなのだから……」
「シャンプーの泡は全体的にまんべんなく……うん。こんなところかな。では、洗い流していこう」
「ええと、ここをひねって切り替え……っと」
幽霊、シャワーを出す。
「はい。それじゃあしっかりとすすいでいくよ。中途半端に済ませると頭皮にも髪にも良くないからね」
シャワーが主人公の頭のさまざまなところに当てられていく。
「耳の後ろや生え際はとくに注意が必要らしい。念入りに、しっかりとやっていこう」
「……ううむしかし、他人の髪を洗うというのはやはり楽じゃあないね。キミのような、男の子の短い髪なら簡単だと思ったけれど、全然そんなことはなかった」
「え? どうしてそうまでして髪を洗うのか? ……さっきの担々麺の恩返しってことでは……納得はしてくれない、か」
「……………………ううん。参ったな」
幽霊がシャワーを止める。
「すすぎはこんなものだろう。悪いけれど、さっきの質問の続きは、また後でも良いかな? ごめんね。本当は、キミに余計な気を使わせたくなかったんだけど……」
幽霊、雰囲気を無理やり明るくしようと声のテンションを上げる。
「さあて! それじゃあ続いてコンディショナー! いってみよう!」
「シャンプーとはうってかわって、コンディショナーは頭皮につけないように気をつける必要がある。だからこう、毛先にだけちょちょっと付ける感じで……量もそこそこに……慎、重、にぃ…………」
「ぐんぬぬぬぬぬぬぬぬぬぅ…………」
幽霊、小さく唸りながら慎重にコンディショナーを毛先になじませていく。
「はあ、はあ……すまない。精神力をとても必要とする作業でね……キミの頭を洗わせてもらっているんだ、万にひとつでも、コンディショナーを頭皮につける、わけには…………」
「ふぅ……っ。できた……できたよキミ!」
「——と、喜んでいる場合ではなかったね。ではこちらも、よくすすいで洗い流していこう」
幽霊、ふたたびシャワーを出す。シャワーのお湯でコンディショナーを洗い流していく。
「さて、残るはタオルで
「そっか。よかった。……いや、すまない。あらかじめ尋ねておくべきだったね。色々と。お世話してあげるつもりだったのに、なんだか逆にお世話されちゃってるみたいだ……」
「楽しいから構わない? 優しいね。キミは」
浴室の中に幽霊が持ち込んでおいたタオルで髪の毛を拭いていく。
「タオルで水気をとるときは、頭を包み込むように、やさしくするのが重要らしい。ごしごしとこすってしまうと、髪が傷つくのだとか……こういう、使用人たちの繊細な気遣いの甲斐あって、私は美しくいられたんだ。最期の最期まで、ね」
「……よし。このくらいかな。本当はこのあとすぐにドライヤーで乾かさないといけないんだけど……私のせいでゆっくりとお湯に浸かれていなかったね。申し訳ない」
「あ、そうだ。せっかくだから背中も流していこうか?」
「気持ちだけ受けとっておく? ……ああ、うん。すまない」
「それじゃあ、私は居間に戻っているよ。なんだかずっと空回りしっぱなしだったね、私。……どうかゆっくりと、お風呂で身体と心を休めてくれ」
幽霊、扉を通り抜けて浴室を出ていく。
幽霊、浴室の外で呟く。
「あっ……しまった」
幽霊、再び浴室に入ってきて、言う。
「この紙コップは持ち帰って捨てておくよ。せめて後始末くらいは、自分でしないとね」
「いや本当、すまないね。色々と」
幽霊、紙コップを持って、浴室の扉を開けて出ていく。
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