Track01 「夕食を味わわせてくれないかな?」


(マンションのドアを開ける音)


 幽霊、感激の声をあげる。

「おお!」


(主人公の靴を脱ぐ音)


「ここがキミの家か! 私の実家の離れよりも狭いね!」


「こほん。あ、いや失敬。つい興奮してしまって……」


「ところで……この家にはキミひとりで? 今は誰もいないようだが……ああ、やはりそうか」


「では当然、食事の支度もぜんぶ自分で済ませなくてはならないわけか。大変そうだね……夕食の支度って、3、4時間くらいかけてようやく終わるものなんだろう?」


「え? そんなことはしない? おかしいな……私の家ではそれが普通だったんだが……」


「まあいいさ。それで、君はふだん、どんな夕食を食べているんだい?」


 主人公、戸棚を開ける。トスッ、とカップラーメンを置く。


「……これが、その? カップラーメン? むむ……なんだか期待していた夕食と違うな……というか私が生きていたころはこんなのなかったような…………いや、知らないだけか?」


 むむむ、と幽霊が唸る。


 主人公、カップラーメンのフタを剥がす。


「中身は……なんだか袋が入っているね。どことなく未来っぽい雰囲気だ。で、それをどうするんだい?」


「ふむふむ。そっちの乾燥した塊は麺の上に広げて……そっちの銀色の袋はあと? 食べる直前? なるほど。それがキミのこだわりなんだね」


「え? そういう手順で作らないといけないだけ?」


 主人公、カップ麺の側面に書かれた調理方法を幽霊に見せる。


「……ああ。本当だ。しかしなるほど、こうしてレシピをあらかじめ記載しておくことで文字さえ読めれば誰でも作れるようになっているのか……たしかにこれならシェフが急に全員体調不良に見舞われて夕食が悲しいことになる心配をしなくても済む……」


 主人公、給湯器からカップ麺にお湯を注ぐ。


「おおっ。その機械からお湯が出てくるのか……うわっあちちっ。中はすごく熱いんだねぇ。私に身体があったらヤケドしてたよ」


「で、ここからどうするのかな? …………待つ? 3分? それだけかい? 待ってるあいだは何を?」


「すまほ……その板で時間を潰す? ふうん……? 小型のテレビみたいなものかな。発色が随分と綺麗だね。あれ、なんで隠すのさ。……見られたくない?」


「ははあ。なるほどなるほど。キミも男の子だねぇ。そういうの、興味はあるけどまあ。身体がない私には無用の長物だしね。キミになにかしてあげられるわけでなし……え? 違う? そういうのじゃないって……いやいや隠さなくてもいいんだよ。男の子がそういうのが好きってことくらいは世間知らずの私だってわかってるんだから。気にしない気にしない」


「え、いやムキになって見せなくても……んん? これは……猫?」


 幽霊、スマホの画面を食い入るように見る。


「へえ。かわいいねぇ……にゃー……みゃぁ? ふふっ。そうだった。猫ってこういう鳴き声だった……」


「私も生前はね、猫を飼ってたんだ。まだ仔猫でねぇ……そうそう、これと同じくらいの小さなキジトラだ。はじめの頃は私が抱こうとすると逃げ出したりしたものだけど、徐々になついてくれるようになってね。みゃあ、みゃあって甘えた声を出すようになってくれたんだ……」


「あの子は私が死んだあと、どうなったのかな……私の亡骸の前でも、みゃあ、みゃあと鳴いてくれていたら……嬉しいな。なんて、身勝手な話だけどね」


「……っと、すまない。しんみりさせてしまったね。大丈夫だよ。キミが悲しむことなんてなんにもないんだから」


 幽霊、主人公の頭を撫でる。


「よしよし。だいじょうぶ、だいじょうぶ」


「……ところで、どうして猫の映像を見ることを、あんなに隠そうとしていたんだい? 何も隠すべきことなんてなかったじゃないか……」


 幽霊、口に手を当てる。


「はっ! まさか、猫の映像でいかがわしい妄想を……?」


 主人公、必死に否定する。


「あはは! わかってるわかってる。今のは少しからかっただけさ。どうせ、男なのにかわいい猫の映像を見てるのが少し恥ずかしくなってしまったとか、そんなところだろう?」


「わかるよ。私の甥っ子もトラコ——ああ、私が飼っていたキジトラの名なんだが——その、トラコを撫でたがっているのは態度で瞭然だったのに、ちっとも認めようとしないんだ」


 幽霊、はっとして。


「……と、まあ昔話はさておき、だ。そろそろ、3分経ったのではないかな?」


 主人公、カップ麺の蓋を開ける。


 幽霊、カップ麺の容器から溢れる湯気に少しびっくりする。


「おおっ! すごい熱だ……む。麺が良い色艶になっているね。それに……これはネギ? こっちの茶色い塊は……お肉か。驚いた。あんなにしなびていたのがお湯に3分浸けるだけでこんなにもおいしそうになるとは。ないお腹がぐうっと鳴ってしまいそうだよ」


 主人公、あと入れスープを入れる。


「ふむ? それは重石がわりにしていた袋だね。それを開けて……? 味噌? いやにしては赤いな……なるほど、お湯にそれを入れてくのか」


「……なあ、随分と赤いスープになったけれど、これで本当に合ってるのかい? たしかに香りはこうばしいが……何か作り方を間違えたのでは? え? これで合ってる? パッケージの写真の通りじゃないかって? ああ、これ写真だったのか……たしかに色合いはそっくりだ……」


 幽霊、カップ麺のフタをしげしげと見詰める。


「ん? なんでそんな気にするのかって? ……ああ、いや。確信はないんだけど、なんとな~~~く、キミの食べたものの味や食感が私にも伝わる予感がするんだよね。それでね、正直、毒々しいものは避けてほしいっていうか……」


「いや捨てろとは言わないよ! せっかく作ったんだから食べないともったいない! もったいないんだが……」


「そのう……」


 幽霊、申し訳なさそうに囁く。


「牛乳とか入れて薄めてみてくれないかな?」


 主人公、いただきますと言って、幽霊を無視してラーメン(担々麺)を食べ始める。


「ああ! 無視しないで! せっかく囁いてあげたのに! ふーふーしないで! ああ、こうばしい香りが立ち上ってきてなんとおいしそうな……いやしかし見た目の色合いが怖…………っっ!」


 主人公、麺をすする。


 幽霊、口の中に担々麺の味わいを感じて目を見開く。


「これは……っ! 香りに違わぬ美味! 麺は一見して細いのに歯応えがあってそれに絡むスープの深い旨味が食欲を刺激するッ! くっ……見た目の通りに口がヒリヒリする感じはあるが、なるほどこれは良い……いや素晴らしい」


「ううむ。野菜とお肉も案外悪くないね。スープの味わいをとてもよく吸収してくれているというか……このよくわからないお肉の奥の方——中心部になにか、風味付けがしてあるのかな? ほのかな風味が良いアクセントになっている」


「くう……これがたった3分で食べられるとは……。私が死んでから、せいぜい数十年程度だろうに、随分と進歩したものだ。やるじゃないか科学文明! 文明社会!」


「……何様だって言いたげな目だね。私もそう思ったよ。まあしかし、それだけこのカップ麺……担々麺? がおいしかったということさ。この美味しさを知ってからだと毒々しいとしか思えなかったスープも飲みほしてみたくなる」


「キミ、お願いしてもいいかな……? え、健康に悪いからそれはちょっと避けたい? むぅ。健康を盾にされては何も言えないな」


 幽霊、徐々に興奮をエスカレートさせて、主人公に言う。


「まあそれならそれで、せめてどうか冷めないうちに、しっかり味わってよく噛んで、食べて食べて食べて——味わい尽くしてくれ! さあ!」

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