第12話 悪役令息、両親に宣言する
子どもたちを襲った犬は産後すぐだったとかで気が立っていた上、ある貴族子息がその犬の背中に悪戯でピンを刺していた。子供の頃の話とはいえ、善悪の基準がどうかしているその貴族子息のことは一生許すつもりはない。
だが、もともとは自分が逃げ遅れたせいだった。
カルヴァンはヴェラの両親にも謝罪したし、意識が戻ったと聞くとヴェラ本人にもすぐに謝罪しに行った。
『ヴェラに傷を残してしまった』
と落ち込む彼を周囲は慰めてくれた。ヴェラの母は明るい口調で、気にすることないですよ、とうけおった。
『あの子は私に似て器量がいいのだけが取り柄なので、嫁の貰い手はちゃんとありますから』
私に似て云々は冗談のつもりだったろう。またその嫁の貰い手がカルヴァンであればいい、だなんてヴェラの母親は全く考えていなかった。だから彼女はこう付け加えた。
『ぼっちゃんは一切なぁんにもご心配なさる必要はないんですよ』
そして落ち込むカルヴァンを一番励ましてくれたのは、他でもないヴェラだった。彼女はいつものように悪戯を彼に仕掛け、笑い、普段通りに接することで、気にしないでと伝えてくれた。
そんなヴェラに、僕が将来強くなって君を守る、と誓った時、ヴェラはとても喜んでくれた。
喜んではくれたが、ただそれだけだった。
ヴェラは自分の立場を理解していたから、将来二人の道が交差するはずがないと、思っていたのだ。
その証拠に、成長するにつれ、ヴェラはカルヴァンから距離を取っていった。誰から見ても使用人として恥ずかしくないように、数歩下がり、カルヴァンの命令を粛々と聞く。昔は表情豊かだったヴェラが、通りいっぺんの笑顔しか浮かべなくなったのはいつ頃からだったか。
(あんな笑顔、全然ヴェラらしくない)
カルヴァンがどれだけ近づこうとしても、ヴェラはするりとすり抜ける。
(ヴェラを手に入れるためには、どうしたらいいだろう)
ある日、ふとカルヴァンは自分の目の前に三択が浮かばないことに気づいた。そのことに気づかないくらい、ヴェラに夢中だったのだ。
(あれ、いつからだろ……? 最後に三択を見たのは――……)
カルヴァンはゆっくり唇を噛み締めた。
(あの日だ……、ヴェラが犬に襲われた日……)
そういえばそれからもミレーナとお茶会ですれ違うことはあったが、三択は浮かばなかった。ミレーナとも挨拶をするくらいの間柄に落ち着いている。
(も、もしかして……、僕、悪役令息役から抜け出た……!? あの日、ヴェラが僕の代わりに噛まれてくれたから……!?)
やっぱりヴェラは凄い、とカルヴァンは思う。
彼女だけが好きで、どうにかして彼女を自分の伴侶にしたい。
けれど、ヴェラは身分差を異常に気にして、自分の思いには応えてくれないだろう。
(きっと僕が好きだから側にいて、って言っても……、きっとヴェラは《使用人》として傍にいようってするんだろうな)
お前が好きだ、と言葉にするのは簡単だ。
けれど、それは、今のヴェラにとっては『命令』にすぎない。
そうではなく、カルヴァンはヴェラに彼女の意思で手を取って欲しかった。
悶々としていたある時、両親に呼ばれた。曰く、カルヴァンも思春期を迎えたことだし、もう乳母――ヴェラの母親――は必要ないのではないか、という話だった。
『それで固定の側仕えを数人つけたらいいのではないかと思うのだけど』
母親の勧めに、カルヴァンは頷いた。
『そうですね。それでいいと思います。――ヴェラは絶対に必要です』
父親が怪訝そうに聞き返した。
『ヴェラを? でもヴェラは……女性だぞ。普通は男性の使用人を側仕えにするものだ』
『分かっています――だからこそです』
両親は顔を見合わせた。
最初に冷静さを取り戻したのは、母親だった。
『そうなのね、カルヴァン?』
『はい、そうです』
『……そうなのねぇ……』
生暖かい目で見られて、カルヴァンは居心地が少しだけ悪くなった。だがここは大切な局面であることは重々承知していたので、まっすぐに両親の顔を見つめた。
『ヴェラの明るい性格は皆に好かれているのはもちろんお分かりでしょう? それに僕と一緒に勉強もしてきましたし、読み書きも出来ます。だから貴族についての知識もあります。何も問題はないかと思うのですが――俺の気持ちはご存知でしたよね?』
カルヴァンが望み、ヴェラも一緒に家庭教師の勉強を受けてきた。そんなことは異例であるが、ヴェラと一緒ではないと嫌だとカルヴァンがごねたのだ。専門的な学びになるまで、二人は共に勉強をしてきた。そうしたいわば特例の我儘を両親ともに容認してくれたのは、おそらくカルヴァンの気持ちを知っていたからに違いない。
父親の苦笑と、母親の理解に満ちた瞳が答えだった。
『お前が一度言い出したらひかないのは分かっているが、一応大変だぞ、とは言っておくな』
経験者である父親はそう続け、カルヴァンは頷いた。
『他の使用人の手前、ヴェラだけを構わないように。ヴェラにも使用人としての立場があるからな』
『それに、貴方の伴侶になるのをヴェラが嫌だと言ったら、この話はなかったことにしますからね』
『……はい』
『せいぜい、ヴェラの心を掴むように努力なさい。あの子はきっと貴方に遠慮して、なかなか手を取ったりしないでしょうから』
全てを見透かしたように母は告げた。
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