第9話 メイド、気持ちよくさせられる※猫として

「約束を忘れないでね」


 彼はヴェラをシーツごとベッドの端に寄せた。


「じゃ、撫でるね」


 カルヴァンの大きな手が迫ってきて、ヴェラは慌ててうつむき、ぎゅっと目をつむった。彼の大きな手のひらが、まず背中をゆったりと撫で始める。下から上へ、上から下へ。決して急ぐことのない、ゆったりとした手の動きだが、それだけでも気持ちがいい。


「ふうっ……」


 思わず息を吐いてしまう。


「気持ちいい、ヴェラ?」

「はい」


 ニャア、としか聞こえていないはずだが、カルヴァンの口元が緩む。


「よかった、僕も君のふさふさの毛が気持ちいいよ。じゃ、ちょっと撫で方を変えてみるね?」


 それからカルヴァンは人差し指と中指、それから薬指の先に力をこめてさすったり、大きな円をかくように撫でてくれた。

 彼らしく、どこまでも穏やかな撫で方にヴェラは徐々にリラックスしていく。


(だめだ、これ……、猫として、あがらえない……)


 勝手に尻尾がパタパタ動き始める。

 どれくらい時間が経っただろう、やがてカルヴァンの指先が筋肉をほぐすようにもみ始めると、もう我慢できなくなる。


(き、きもち、いい〜〜!!)


 だらんと全身の力を抜く。

 その途端、ぐらぐらっと視界が歪んだ。同時にヴェラの全身から煙がばふっとふきだした。


「っ……ヴェラ!?」


(い、いたいっ!!)


 引きちぎられるような痛みが一瞬体中を襲い、ヴェラは息を呑む。しかしすぐにその痛みは和らぎ、彼女は目を開ける。

 今まで猫だったから仕方ないが、自分が裸であることに気づいて、思わず叫び声をあげる。


「や、やだぁぁぁ!!! み、みないで、カルヴァンさまっ!!!」

「落ち着いて! シーツでほとんど見えないよ!!」


 自分の言葉に、まともにカルヴァンが返事をしてくれたことに気づいて我に返る。慌ててシーツを固く巻き付け、それからおそるおそる自分の顔を触ると――人間に戻っていた。そして。


「み、み、見ました!?」


 そう尋ねると、カルヴァンの頬がほんのりと朱に染まる。

 ヴェラは絶望した。


「ちょ、ちょっとだけな」


 あまりのことにカルヴァンの言葉が頭に入ってこない。


「も、もう、お、お嫁にいけない……」


 震えながらそう言うと、カルヴァンがぐっと息を飲み込んだ。


「そんなこと言ってる場合じゃないよ」

「……?」

「このままだと猫に戻っちゃうよ? ハサウェイ夫人からの手紙によると、首元に猫の刻印があるうちは魔法は解けていないらしい」

「……!」


 ぱっと見下ろすと、たしかに自分の首元に黒猫の刻印が残っていて、今度こそ青ざめた。

 そうだ、そうだった。覚悟したのに、覚悟したけれど。

 涙ぐんだヴェラを前に、カルヴァンが頭をがしがしとかく。


「ヴェラは経験ないから、嫌だとは思うんだけど」


 そこでヴェラは俯いた。


(ヴェラ、は……じゃあカルヴァンは……)


「えっ、まさか経験あるの?」


 突然カルヴァンの声のトーンが変わり、がしっと両肩を掴まれた。肩に彼の手の感触をまざまざと感じて、自分が人間の姿に戻ったことを実感する。


「ねえ、ヴェラ、誰かとキスをしたことある?」


 熱っぽく尋ねられたが、ヴェラはしばらくしてようやく首を横に振った。


「ないです」

「……っ、驚かせないで」


 ぱっと肩を離された。

 

「でもそろそろとは思っていました。だからしてもらって大丈夫です」

「――そろそろ、だって?」


 カルヴァンの眉間に皺が寄った。


「私も適齢期なので……だけど初めては好きな人がいいと思っていたから踏み出せなかっただけで……」


 だからカルヴァンにしてもらいたい、という言葉はどうしても続けられなくて、飲み込んだ。そこでカルヴァンの視線が、ヴェラを射抜くように強くなる。


「キスしてください、カルヴァン様」

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