第5話 メイド、魔女に謝罪される
「く、くろ、ねこ……」
「やってしまったわ。つい、うっかりして」
(う、うっかり……!? うっかりで人を黒猫に……!?)
というかそもそも人間は突然黒猫になったりしない。
しかし混乱しているヴェラは既にパニック状態だった。
「え、わたし、も、もどりますよね、っていうか、なんで、なんで!?」
「ごめんねぇ」
ハサウェイ夫人がため息をつく。
「私、魔女なのよ」
「まじょ」
「魔女」
「えっ?」
絶句する。
「驚いちゃうわよね〜、でも、魔女なんだ〜」
ハサウェイ夫人は、こうして市井の人にまぎれて暮らし、生活の糧のために時々紹介された貴族たちの薬を作っているのだという。
(えっ、し、しんじられ、ないけど……、でも、私、今、実際に黒猫よね……!?)
自分が魔女などと、普通に告白されたら信じられないが、実際自分が黒猫になった身からすると信じるしかない。
「魔女って本当にいたんですか?」
「いるわよ〜、ここに〜。私はまだひよっこの魔女で、たった200年しか生きていないけど〜」
「……に、200!?」
「やだ、レディの年齢でそんなに驚くのは失礼よ」
「え、だって、200って!」
「もう年の話は終わり〜。それでね、今ちょうど、変身薬を作っていたのよ〜。ローレル様とは関係ない他の依頼でね」
彼女は申し訳なさそうに言った。ある一人の貴族令息が、妻との夜の生活の充実のために《そういうプレイ》をしたいと相談してきたそうだ。
(そ、そういうプレイ!?)
生娘のヴェラには分からない領域だ。ハサウェイ夫人はそうした類の依頼もよく受けるらしく、どこ吹く風だ。
「まぁそんなわけで動物になるんだけど、ちゃんと刺激を受けたら治るわ」
「し、し、刺激っ……!?」
さあっと青ざめた。
「貴女、恋人は?」
「い、いませんっ!」
上ずった声で返事をする。ハサウェイ夫人は困ったわねえとため息をついた。
「うーん、どうしましょうねぇ……」
そこでハサウェイ夫人は、床に落ちたままの手紙の存在を思い出したらしく手に取った。黒猫ヴェラを片手に持ったまま、その手紙を読み始めた。
「ふんふん、なるほどね〜、そういうことかぁ」
片手でその手紙を畳むと、ハサウェイ夫人はヴェラを抱き上げたまま奥の部屋に向かった。奥の部屋はそれこそ薬草の匂いが濃すぎて、嗅覚が強くなっているのかヴェラは息苦しさで卒倒するかと思った。
「ここにいてね、今、貴女のための薬を作るから」
作業台に置いてくれた。
「薬ですか!!」
そして今のヴェラが何よりも待ち望む、希望の言葉だ。
「うん、そう〜」
ハサウェイ夫人は大きなボウルに謎の粉を取り出して謎の粉に混ぜた。謎の物体を振り下ろし、謎の液体をふりかけた。ごりごりと棒でまぜてから小さな瓶につめ、彼女は頷いた。
瓶をちらりと見ると、中の薬は真っ黒だった。
(まっくろなんだけど……!!!!)
「これ、薬。うまくいけば、一時間だけ人間に戻れます」
「一時間?」
「そうなの。だからこれは単なる応急薬。ちゃんと魔法を解くのは別の方法があるの。今からローレル様に手紙を書くからちょっと待ってね」
さらさらっと何かを書きつけると、器用に薬の瓶にくるくると巻き付け、オレンジ色のリボンで固定した。それからがさごそと棚をあさったハサウェイ夫人がこれまたオレンジ色の首輪と金色の鈴を取りだすと、瓶と共にヴェラの首につけた。
「説明するね。この薬を飲んだ後、ローレル様に触ってもらえたら治るわ」
「さ、触って……!?」
「そう」
にこり、とハサウェイ夫人は微笑んだ。
「大丈夫、たいしたことないわ」
「本当に?」
頭を撫でてもらう、とかそういうことだろうか。
それだってヴェラにはハードルが高いが、猫の姿ならなんとか――。
「薬を飲むでしょ。でもそれだけじゃ人間には戻らないから、彼に撫でてもらうの。いい? たっくさん撫でてもらうの」
「は、はい……?」
全身を撫でてもらう。
人間のままなら絶対に無理だが、猫の姿なら、なんとか……?
「もしかしたらちょっと気持ちよくなっちゃうかもしれない。だって貴女、猫だし?」
「た、耐えます……!」
「ううん、耐えなくていいのよ。自然に任せて気持ちよくなったら、人間に戻れるから」
「も、戻れる!!」
それは朗報である。
だが。
「人間に戻ったら、ローレル様にキスをしてもらうのよ?」
ヴェラはぽかんとした。
(な、な、なんですって……?)
「貴女からおねだりするの。キスしてって」
「……は?」
「やはり呪いを解くのは、王子様からのキスよねぇ〜」
何を呑気なことを……。
ヴェラは青ざめる。
(言えるわけない……、わ、私が、カルヴァンに、キスしてって……!?)
「終わった……、私、一生猫のままなんだ……」
猫の姿のまま項垂れるヴェラに、ハサウェイ夫人がのんびりと声をかける。
「そんなわけないわよ、だいじょーぶ。ちょっとキスしてもらうだけだから」
「むり――ぜったいむり――――!!!」
ヴェラはその場でぐるぐると回った。作業台の上にいるから、爪がかちゃかちゃと鳴る。
「じゃあ一生戻れないわよ? 私とは会話できるけど普通の人には声はわからないし。まぁ可愛いからいいかもだけどね、でも猫ちゃんのままは嫌でしょ?」
「そりゃ、そりゃ魔法は解きたいですけど……どうして、カルヴァンなんです? 他の人じゃ駄目なんですかっ!!」
そう言うと、ハサウェイ夫人は、ふふふっと笑った。
「この魔法、ご夫婦からの依頼だったから……解ける条件の一つに、好きな人に触ってもらう必要があるの。貴方、ローレル様が好きでしょ?」
「えっ、なんでそれを……」
思わずぽろりと本音がもれた。
「私にはわかるのよ」
ハサウェイ夫人の瞳がキラリと光った。それまで半信半疑だったとしても、今はもうヴェラは彼女が魔女だと信じるしかなかった。
「心配しないで。ローレル様宛にちゃんと事情を書いたから。好きな人云々は書かないであげたから、貴女が彼のことを好きなのはバレないから安心して!」
「なんにも安心できない」
「深く考えすぎないで」
「考えるに決まってます……!!!」
「大丈夫ったら」
「死にそう」
「死なない、大丈夫」
ぱちっとウィンクされた。
「だいじょうぶじゃない……」
「がんばって。さっきも言ったけど、人助け、救済措置、人命救助なだけよ」
「人命救助って私、やっぱり死ぬの!?」
「死なない、死なない。ちょっと気持ちよくなって、それからキスしてもらうってだけ。犬に噛まれたと思って、あ、でも貴女ったら、今は猫かぁ……」
「わ――犬に噛まれたことありますし、そもそも犬でも猫でもどっちでもいい!!」
そんなわけで、がんばってぇとのんきな魔女に送り出され。
(なによなによ、カルヴァンが言いつけた用事に来ただけなのに……!)
ヴェラは泣き出しそうな気持ちのまま、一目散にローレル邸を目指していたのだ――四本脚で。
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