第3話 メイド、お使いを頼まれる
だがヴェラにとって、カルヴァンは誰よりも大切な人だった。可愛らしいだけではなく、優しい人柄で、大好きな乳兄妹で幼馴染だったから純粋にその言葉が嬉しかった。
怪我から回復すると、ヴェラはまたカルヴァンに悪戯をしかけるようになった。自分が庇って怪我をしたことをカルヴァンにいつまでも気にしてほしくなかったからである。時々度が過ぎて泣かせしまうと、ヴェラの母親にこっぴどく叱られた。
母親に叱られて泣いているヴェラを、カルヴァンが慰めるという図は、ローレル家にとっての風物詩であった。
そうして変わらず彼と過ごしていたが、やがてある程度年齢を重ねると、注意を払って彼と距離を保つようになった。
誰に言われたわけではないが、そうするべきだと自然と理解していた。
思春期を迎えると、細くて頼りなかったカルヴァンは美しく成長した。金色の髪に、銀色の瞳、中性的な美貌を持つカルヴァンはそれこそ絵本に出てくる貴公子そのものだ。ローレル子爵夫人がたおやかな美貌の持ち主だからこれは驚くのにあたらない。
この頃からカルヴァンがぼんやりと空を見ていることがなくなった。またそれと同時に、彼の内面が大きく変化した。
いわゆる貴族教育を受けた彼は、ヴェラを女性のように扱うようになった。
――それも貴族の女性のように。
(私に……そんな気を使わなくていいのに……)
自分は使用人だ。
そうされればそうされるほど、むしろヴェラは彼との距離を感じるようになってしまう。その頃にはヴェラは、カルヴァンの側仕えの一人として働くようになっていて、カルヴァンとの身分の差を嫌でも痛感していたからだ。
ヴェラのような年齢の娘が、年若い貴族男性の側仕えに選ばれることは普通はないが、幼馴染ということを鑑みて選出されたのだ。
それからもカルヴァンはヴェラに屈託なく接してくれている。社交界デビューの前には、ワルツの練習の相手も頼まれたりした。
『もうすぐ社交界デビューだから、ヴェラ、ダンスの練習の相手になってくれない?』
『ダンス、ですか? 私でいいんですか?』
彼はにこにこと笑った。
『君がいいんだ、ヴェラ』
……過去の思い出に耽っていたヴェラの前で、王子のようなカルヴァンが両手を振っている。
「ねーえ、ヴェラ、どうしたの?」
「……! す、すみません、ぼんやりしていましたっ……!!」
そう答えると、カルヴァンがにっこりと笑う。
「ヴェラが珍しいね? まるで昔の僕みたいだね。僕がぼんやりしていると、君が声をかけてくれたよね」
「そうですね」
今ではすっかり白昼に空を見てぼんやりすることがなくなったカルヴァンが、ふうっと息を吐く。
「あれは辛かったなぁ。だけどあのお陰で、今の僕があるんだけどさ」
(……?)
謎めいた彼の言葉に、内心首を傾げる。が、カルヴァンはそれ以上言及せず、ヴェラに向かって微笑んだ。
「今から君に、お使いを頼みたいんだけど?」
「あ! もちろんです!」
仕事ならどんと来いだ。
そんなヴェラに、ぴら、と一枚の封筒をカルヴァンが差し出した。
「これを、今からいう住所に届けてくれる? 相手はハサウェイ夫人っていうんだけど」
(――あ、これは……!)
ヴェラは呆然と差し出された手紙を見つめた。
使用人が直々に駆り出され、異性に手紙を届ける必要があるということは、恋文である可能性が高い。すでに社交界にデビューして半年ほど、カルヴァンにそのような相手が現れてもおかしくはない。
特に未婚、婚約者がいない男性が戯れに遊ぶ相手として未亡人はうってつけだ。
(ハサウェイ夫人……?)
カルヴァンはいつもヴェラを彼の側仕えとして夜会に伴うから、彼の知人友人はほとんど知っている。けれど、その名前には覚えがなかった。だがカルヴァンには貴族令息の友人が多いから、誰かからの紹介かもしれない。
(今まではそんなお相手いなかったけど、そっか、ついにカルヴァンも……)
そう考えると、ずきずき、と胸が痛み始めた。
これは以前、諦めた彼女の――。
「かしこまりました」
自分の思いを振り切ると、ヴェラはにこりと微笑んでカルヴァンから封筒を受け取った。そんな彼女を、カルヴァンがじっと見つめる。
「ね、ヴェラ」
「なんでしょう?」
封筒を自身のスカートのポケットに仕舞うヴェラを見つめながら、カルヴァンが口を開いた。
「今日が何の日か知ってる?」
ぱちぱち、と瞬きをしたがすぐに答えた。
「今日は『聖人の日』ですよね?」
今日は『聖人の日』と呼ばれる祝日だ。この日だけは貴族も平民も関係なく、外門に南瓜の飾りをつけている家に限り、扉をたたき「お菓子をください」ということが許されている。
大概はキャラメルや、砂糖菓子、気前の良い家だと焼き菓子を用意しているところもある。
最近平民の間では大人たちのイベントとしても人気だ。特にヴェラのように、貴族の家の下働きとして働いていて、めったにお菓子など食べられないとなると。だが今までヴェラは一度も誰かの家の門を叩いたことなどない。
「うん。駄目だよ、お菓子を誰かにもらったら。もらった人について行ったりするのはもっと駄目」
何歳だと思っているのだ。
至極真面目な顔のカルヴァンに、思わず吹き出しそうになる。
「分かってますよ、そんなことはしません」
「悪いけど、それだけは信用できないな。君、お菓子大好きだもの。子供の頃の『聖人の日』、僕のお菓子を食べちゃったよね?」
ぐっとヴェラは息を呑む。
「……あ、あれは、その……!」
二人がまだ子供の頃の『聖人の日』、使用人たちを引き連れて一緒に家々を回った。そしてもらってきたお菓子の山を、今日だけは無礼講だと二人で仲良く分けて食べた――が、あまりにも美味しくて、そして普段はお菓子をそこまで食べることがなかったヴェラは、夢中になってほとんどを食べてしまったのだ。
「すみません……。あのときは私が悪いです」
少しだけうつむきがちになったヴェラに対し、カルヴァンは柔らかな声で続けた。
「お菓子が欲しいなら僕があげるから。夫人に手紙を届けたら、真っ直ぐに帰ってきてね?」
「かしこまりました」
ヴェラは主人の望み通りに、そのまますぐにその家に足を向けた。意外なことに貴族の家ではなく、平民が住むエリアだった。
こじんまりとしたその邸宅を見上げて、ヴェラはため息をついた。
(火遊びするようになったんだわ、カルヴァン。平民の女性でよいなら、私でも……)
そこまで考えて、自分の着ている質素なドレスを見下ろした。
(馬鹿ね、私ったら)
顔立ちは悪くないと思う。大きめの薄い翠色の瞳は、まるで宝石のようだとよく褒められる。陽に透かすと栗色にも見える、黒い髪も、瞳にしっくりくる。
一日中立ち働いているため、体つきも締まってるし、もともとから丈夫だ。年頃になってから、町中で平民の男性に声をかけられることが格段に増えた。
そのうちそうして声をかけてくれる誰かと付き合って、気が合えば結婚する。それが自分の一番可能性の高い未来。
頭では理解できていても、誰かの手を取ることにためらってしまうのは、そうした時にいつも幼馴染の姿が脳裏をよぎるからだ。
(私ったら本当に身の程知らず)
それにいくら器量がそれなりだったとしても、自分はただの使用人。彼は自分の雇い主の息子で貴族。普通に考えて、自分のことなんて相手にしてくれるわけがない。よくて愛人だ。
(とりあえずカルヴァンが恋人を作るか、婚約してくれたら……私は諦められるはず。それまでは今のままがいい)
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