第1話

 銀河鉄道が、夜の闇へと駆け出していく。

 その麗姿を見届けて、私はそっと本を閉じた。ずっと活字を追っていた目線をすっと持ち上げてみれば、窓の外には閑散とした青空が広がる。

 やっぱり、何度読んでもこの小説は良い。いや、むしろ読めば読むほど好きになってるかも。演劇部の高校生たちが、全国大会に向けて本気で頑張る姿を描いた青春小説。

 まあ実際の演劇部なんてこんなに美しいもんじゃないけれど、でもだからこそ惹かれるんだと思う。みんなが一致団結して、たった一つの目標へと向かってひたむきに突っ走る様は、きっと私の憧れなんだ。

「さて、と」

 がらんとした部室にひとり、意味もなくそう呟いて時計を見る。十六時四十九分か、遅いな。

 どうしよう、適当にスマホでも弄って時間をつぶそうか。それとも、帰って寝る前にやるつもりだったけれど、先に課題でもやっていようか。その二択なら――まあ、課題だよね。一応学生だし。今日、数学だけど。

 気が進まない手を睨みつけて、でもやっぱり仕方なく鞄へと伸ばす。

「おっまたせー!」

 その手がノートを掴んだのと、部室のドアが破裂音を立てて開いたのはほとんど同時だった。

「遅い」

「ごめんごめん」

 てへへと笑いながら頬を搔いて、愛美はそそくさと部室に入ってくる。誰かさんが毎回毎回バカ力で開けるせいで、レールが歪んでガッタガタになった扉を力いっぱいスライドさせたら、彼女はくるっと振り向いてこちらへ向けてすたすたと。そうして私の正面、長机を挟んで置かれたいつもの椅子へと腰かける。

「いやー、ちょっと盛り上がっちゃいまして」

「……クラス委員の仕事が?」

「そ。慣れると結構楽しいよ?」

 そうですか。クラス委員なんて、即刻『面倒な仕事押し付けられ委員』って改名すればいいのに。今の仕事は確か、卒業生を送る会の準備だったか。それが楽しくて盛り上がっちゃうなんてセイシュンしてるよね、ほんと。私にはまるで理解出来ないけれど。

「それで、部長。今日の活動は?」

「えっとね……じゃーん!」

 大袈裟にそう言いながら、彼女は鞄からなにやら取り出す。「やっとレンタルできたんだ!」と言いながら、新作シールの付いたケースから一枚のDVDを取り出した。

『わんこ・オブ・ザ・リビングデッド』

 確か、前々から愛美が見たいと言っていたゾンビ映画だったか。

「いやー、やっとだよ! だれだよー、毎週毎週借りていくやつは……」

 ぶつくさと口にしながら、愛美は黒板前にドカンと置かれた37インチテレビ、そこにつながるレコーダーへとディスクをセットする。そんなにレンタルが難しいなら配信で見ればいいじゃんと思ったけど、悲しいかな、この手のマイナー映画は配信がなく、現物しか視聴手段がないことも珍しくない。

 それにしても、愛美がそれほどまでに見たがっていた映画――はたして面白いんだろうか? この子、変な趣味してるからな。もしかしたら微妙だったりして。

「あっ! ついた!」

 映像を見て、まるでテレビという概念を初めて知った子供みたいにはしゃぐ愛美。

 彼女が自席に戻ってくる。机の上に置いた数学のノートをそっとずらして、私は頬杖をついた。

 ちらと視線をスライドさせると、口を猫みたいにきゅるんとさせて、前のめりで画面を凝視する愛美が見えた。ほんと、楽しみにしてたんだ。

 面白いといいね。

 そうして今日も、二人だけの映研部の活動が始まった。



 足音が響く。二つ。陽の落ちた無人の廊下にコンコンと。

 少し前を歩く愛美の背中をぼーっと眺めながら、彼女の足並みに合わせるようにして足を動かす。歩くたびにぴょこぴょこと跳ねるワンサイドアップ、それにふわふわと揺れ動く青のセミロングが、その奥に隠した健康的な白い首筋を見せつけるかのようにちらちらと躍ってた。

「いやー……」

 ふと呟いた愛美の声が廊下の壁にぶつかって、ちょっとこだましたみたいになる。

「さっきの映画さ!」

「うん」

「くっっっそつまんなかったね!」

 くるっと振り向いて、満面の笑み。セリフと表情が連動してないって思ったけど、そういえばこの子は「つまらないが極まるところまで行きついたら、なんかもう逆に面白い」ってよく言ってる。よく分からないけど。

 でもまあ、確かにさっきの映画のつまらなさは行きつくところまで行ってた。開幕から悪すぎるテンポにチープな展開。CGやメイクも安っぽくて学芸会レベルだったし、そもそもゾンビが終盤十分くらいしか出なかった。いや冷静に考えて、ゾンビが出る時間よりも主人公とヒロインの痴話喧嘩の方が長いってどういうこと、ゾンビ映画のくせに。

 そして極めつけは、わんこ・オブ・ザ・リビングデッドってタイトルのくせに、イヌが一匹も出なかったことだ。いやまあ、ワン・コーって名前の中国人は一人いた。登場して五秒でミンチになってたけど。マイナー映画ではタイトル詐欺、あらすじ詐欺はよくあるけれど、ここまで清々しいのは久しぶりだ。

「いやほんと、何でこれで商品化できたんだろうってくらいひっどかったよね! もう二度と見ないね、これは!」

 そう言いながらも、なぜか口角がだんだんと吊り上がっていく。さては、帰ってからもう一回見るつもりだな。

 そうして嬉しそうに愚痴る愛美の言葉を受け流しながら、私からも感想をぽつりぽつりと吐き出して、気が付けばもう玄関前。でも、まだまだ話し足りなさそうだな。これは帰りの電車の中まで、話題が変わることはなさそうだ。

「ほんと、せめてもっと――」

『でも、仕方がないわ。生きていかないと』

 しかし唐突に、話題に終わりは訪れた。どこからか響いてきたその声に、愛美の口が止まる。

『ね、生きていきましょう! 長く果てしないその日を、明けるとも知れない夜を、じっと!』

 いや、どこから聞こえてきたのかは、二人ともすぐに分かった。玄関の手前側に見える、すぐそこの教室。

 演劇部室

 黄ばんだプレートが掲げられたその部屋から漏れる光を見れば、中を見るまでもなく明らかだった。

『片時も休まず、人のために働きましょう。そしてその時が来たら、素直に死んでいきましょう』

 へぇ、チェーホフなんてやるんだ。三年生がいた時はそんな真面目な古典劇、死んでも練習しなかったのに。

 新生演劇部、って言ってももう半年近く経つけど。とにかく演劇部は変わり始めているんだろうな。

 だったら――

 そう思うと、そこを通り過ぎる足が自然と早くなる。罪人みたいに視線を床に深く落として、振り切るように立ち止まらず、そのまま玄関まで一直線に。

 でもすぐに、気が付いた。

「愛美?」

 前を歩いていたはずの愛美の姿がない。

 振り返れば、彼女はやはりそこにいた。

 演劇部室の扉は、一部がガラス張りになっている。曇ったやつじゃなくて、普通の。愛美はその扉の前で立ち止まり、首だけを向けて中を覗き込んでいた。

『そうしたら私たち、ほっと息がつけるんだわ』

 微かに開いた扉から漏れ出る訴えかけるような声音に、愛美は囚われたかのように釘付けになっている。

 愛美、もう行こうよ。

 その一言がどうしても言えなかったから、私はもう、ひたすらに愛美を見続けて立ち尽くすしかなかった。

 廊下の頼りない電灯と窓から差し込む月光に浮かび上がる幼馴染の儚げな横顔は、なんだかちょっぴり大人っぽくて、それでもどこか無邪気さがあって、やっぱり十六歳って感じだった。

「……あっ、ご、ごめんっ!」

 ちょうど唇の乾きを覚え始めた頃、はっと肩を震わせた愛美がそそくさと駆け寄ってくる。「いいよ」とだけ返した私に何も言わずに、二人でそのまま玄関へ。

 駅に向かう途中、愛美は珍しく静かに歩いてた。私たちの会話の起点はほとんど彼女だ。だから愛美が黙っていたら、こんなにも静寂が鳴り響く。

 何か言おうと思ったけれど、今更映画の話を蒸し返すのも変だし……それにどうしても、さっきのことが頭を離れない。

 愛美。あなた、やっぱり――

「あっ!」

 やっぱり、起点になったのは愛美だった。目をキラキラさせながら振り向いた彼女は、まっすぐに伸ばした人差し指を真上へと掲げる。その先にあったのは、空からひらりと舞い落ちてくる白い結晶。

「へぇ……まだ降るんだ」

 思わず呟いたら、頬にぴとっと冷たさが落ちる。

 三月も半ば、もうすぐ春に片足を突っ込むところだっていうのに、空はまだ冬でいるつもりみたい。

「なんかさ。雪見ると、パフェ食べたくなるよね」

「……どういうこと?」

「ならない?」

 ならないだろ、普通。

 でもそんなことお構いなしって感じで、愛美はすくっと手を挙げる。

「ねぇ。食べに行こうよ、今から」

「あなたね……帰って晩御飯、入らなくなるよ」

「パフェは別腹でしょ?」

「それはご飯を食べた後の話でしょ」

「えー……じゃあ、来てくれないの?」

 そんな露骨な上目遣いで頼まれたって、行くわけないでしょ。帰ったらお母さんのご飯が待ってるし、お風呂だってゆっくり入りたいし、寝る前に課題だってやらなきゃだし、だからそんな目で――――あぁ、もう!

「はいはい! 行けばいいんでしょ、行けば!」

「やたー! じゃあさ、早く行こ行こ!」

 雪がまだらに染みるアスファルトをぴょんぴょんと踏み鳴らして、愛美はしゅたっと駆けていく。そんな無邪気な背中を見たら――なんかもう、色々とどうでもよくなっちゃった。

「朱音、はやくー!」

「はいはい」

 点々と続く歩道線に沿って、私は歩みを進めていく。曲がり角で手を振る愛美に追いつこうと、少しだけスピードを上げた。


 ***


 クラス委員はやっぱり『面倒な仕事押し付けられ委員』だ。卒業生を送る会当日、在校生全員が押し込められたこの体育館内で、会場設営やら在校生誘導やら司会進行補助やら、あの手この手で雑用させられている姿を見るとどうしたってそう思う。うちのクラスからは愛美と、後もう一人、夏葉が忙しなく動き回っていた。

 クラス委員なんて面倒な仕事、大抵は美しき譲り合いの精神の果てに、くじ引きもしくは推薦という名の押し付け合いを経てじっくり決まるものだと思っていた。けれど、うちのクラスはわずか十秒足らずで決定。なぜなら、即刻立候補した変人が二人もいたから。

 でもまあ、たとえ好き好んでやっているんだとしても――やっぱりお疲れ様ですだよ、あの働きっぷりを見たら。

 そうこうしていたら準備が終わり、満を辞して三年生が入場する。明日の卒業式の後はゆっくり交流の時間を取れないから、前日にこうして会を設けるのが我が校の伝統なんだって。

 だから一応学校行事ではあるけれど、お堅い感じはなかった。在校生代表挨拶、卒業生の言葉、想い出のスライドショーに校歌合唱と、ぱっと見たら味気ないメニューが並ぶけど、実態はかなりはっちゃけた感じだった。挨拶中は終始ヤジが飛びかってたし、スライドショーもちょっと変な写真の詰め合わせで嬉声と悲鳴が絶えず、校歌に至ってはみんなで肩組んで音程そっちのけで叫び散らかしてた。

 あぁ、そういうノリなんですね。もちろん、やれと言われたらやりますよ。肩組んで校歌は、ちょっと勘弁して欲しかったけど。

 そうして閉会になった後は、もう卒業生在校生入り乱れてのお喋り会みたいになった。中には混じってる先生もいたから、この時間も含めて公認らしい。

 始まってすぐはぐちゃぐちゃで混沌とした感じだったけれど、こういう場だと時間が経つにつれ自然と集団が形成されていく。そうして最終的には、やっぱり部活動って枠組みで括られた人同士の群れが割拠するに至った。その様子を、私はただひとり入り口近くの壁に寄りかかって観察してる。

 こういう時、どうしてか体育館のステージ側には野球やらサッカーやら吹部やらの華やかな部活が、壁に近い側には卓球やら剣道やらその他文化部やらのちょっと大人しめの部活が固まる。演劇部は――どっちかというと壁寄りの方かな。

 こんな時に、やっぱり自然と演劇部に目が向く自分が嫌になる。その集団の中に愛美の姿を見つけて、すごくモヤモヤした気持ちになったのがもっと嫌になった。

 三年生を中心に、何やら楽しそうに話してる。今練習してる劇はどうだとか、配役がどうだとか、かと思えば部員の誰々が付き合い始めただとか、話題が次々に移り変わっている様子。愛美はその集団に自然と、いやいや今日までずっと一緒にいましたよって感じで溶け込み切っていた。あの子、半年前に退部したんですよって言われないと、初見じゃ絶対に気付かないくらい。

「てかさ、愛美まで辞めなくてよかったのに」

 三年生の元部長の言葉を皮切りに、話題の中心は愛美へと移った。

「そうそう。せっかく貴重な脚本家だったのにー」

「演出考えるのも上手かったよね。愛美にはほんと、期待してたんだよ?」

「戻ってくればいいじゃん、今からでもさ!」

 明日には去り行く先輩方が、好き勝手色々言っている。それを無下にせず愛想良く受け止めて、愛美はにこにこと謙遜を繰り返してた。

「いつまでも映研部ごっこなんてしてないでさ、戻りなよ」

 別に、そのやりとりを見るのが辛かったわけじゃない。でも何となく、本当に何となくだけど、私はそっとその場所を離れて、もっともっと隅っこの方へと自分の居場所を移した。

 体育館の本当に角っこまで来ると、見える景色が少し変わる。この近くにも部活の集団はあったけれど、それよりももう個人で突っ立ってる人の方が多かった。壁に寄りかかってスマホを弄りながら、早く終わらないかなと願う人たち。在校生もいれば、もちろん三年も。帰宅部の人たちだなってことは、すぐに分かった。

 こういう会の時、帰宅部は本当に肩身が狭い。どの集団にも入れず、かといって帰宅部同士で集まることもない。お互いコミュニケーションを取らず、ひたすらに自分と向き合う時間を押し付けられるだけの存在。それを全く苦に思わない人も中にはいるだろうけど――でもやっぱり寂しいんじゃないかな、この中のほとんどの人は。

 二年後は、私もこっち側なのかな。

 そんなことをぼんやりと考えながら、ふと可笑しくなった。

 バカだな私。二年後どころか、今だってこっち側じゃん。


 ***


 今日も部室に銀河鉄道が走る。いい加減他の本も読めよって自分でも思うけど、だって好きなんだもの。

 例の会がやっと終わった後、愛美――もとい雑用係さんは片付けがあるからってことで、私は今日も部室にひとり。でもまあ、この時間は全然嫌いじゃない。人の目もなければ邪魔されることもない、学校の中にいて自室にいるかのような安心感があるから。校舎三階の隅の隅とはいえ、こんな教室を堂々と独り占めできるってのも悪くないもんだ。

 さて、このまま読書でもいいけれど、今日こそは少しばかり課題も片付けて――

「おっまたせーーー!!」

 ドアの破裂音と鬼気迫る嬉声、それらが同時に鳴り響いたから思わずため息が出た。

「あのね。何でこうあなたは、私が課題をしようとするタイミングでいつもいつも――」

 そう言いながらドアの方に目を向けて、私は言葉を失った。

「お邪魔しまーす……」

 愛美のワンサイドアップにした青い髪束の奥から、一人の女子生徒がひょこっと顔を出す。

 愛美はすたっと一歩横にスライドすると、彼女にひらりと手を向けて、

「朱音。こちら栗生 夏葉(くりゅう なつは)ちゃん!」

「うん、バカにしてる?」

 こいつ、いくら私が他人に無関心だからって、クラスメイトを知らないと思ってるんだろうか?

 そうでなくても、夏葉は演劇部で役者として半年過ごした仲間だ。忘れるわけない。

 そんな想いを込めた凝視を送るけど、当然気にした様子など微塵もなく、愛美は夏葉に席を勧める。

 長机を挟んで愛美と夏葉。普段の一・五倍の人口を抱えるに至った映研部室だけど、まあだからって何が変わるわけでもない。珍しい来客があったところで、部室の空気もいつも通り変わらず。

 それにしても、一体何の用だろう?

「で?」

 その一言で、愛美には十分伝わったようだ。彼女はにんまりとした気色悪い笑みを浮かべると、パンッと手を叩いて一言。

「映画を作ります!」

「…………は?」

 部室の空気が変わった。

 

 ***

 

 映研部での愛美との活動は、いまのところ一種類しかない。愛美が映画を持ってきて、それを二人で見て、感想を言い合う。別に崇高な脚本論だとか演技手法がどうとかそんなとこまで踏み込まず、あくまで面白かったかどうかを言い合うだけ。映研部らしく評価をまとめることもしなければ、自分たちで脚本を書いたり、ましてや映画を作ったりなんてもってのほか。

 第一、この映研部自体、愛美が勝手に創設宣言をして空き教室を実効支配しているような部活だ。顧問もいないし、そもそも正式に部として認められているかすら怪しい。まあ、今まで咎められたことがないから、黙認はされてるんだろうけど。なんたって、部長が優等生だし。

 そんなわけで今日まで、私たちはあくまでも日常生活の延長としての活動しかして来なかった。

 それに唐突な終わりを告げたのは、いま目の前の机上に鎮座している一冊の台本。

『シンカン・オブ・ザ・デッド』

 そう書かれた白い表紙とにらめっこすること、はや十数秒。愛美からはいまだ何の説明もない。

 オブ・ザ・デッドというタイトルから想像するに、多分ゾンビ映画なんだろう。それにしても、最初のシンカンってなに? 震撼? 神官? 新刊?

 もうそれ以上に得られる情報がなくなったから、視線を愛美に向けてみる。

「映画を、作ります!」

 無駄に大きく育った胸をぱつんと張って、可愛らしく結んだトレードマークのワンサイドアップをふりっと揺らし、愛美はふふんと鼻を鳴らす。いや分かったから、説明をしなさいよ、説明を。

「で?」

「いやー、私たち今まで、映研部らしい活動なんて何もしてこなかったじゃん?」

 うん、それはそう。

「だから、作ろっかなって思って」

「…………」

「というわけで、一ページ目をご覧ください!」

 そう言いながら、愛美は一冊しかない台本を自分でぱらりとめくった。

 そこに書かれていたのはキャスト一覧。まず目に飛び込んできたのは、ページの中段くらいに書かれた『ゾンビ、エキストラ役 演劇部のみなさん』という記載。

「……なるほど」

 そこでもう大体、愛美の意図は分かった。映画を作るって言ったって、私たち二人だけでゾンビ映画なんて作れるわけがない。となると必然、他部からの協力を仰ぐことになる。

「つまり、演劇部の力を借りて映画作ろうってこと? 夏葉は私たちとの調整役ってところ?」

「えぐざくとりー!」

 ぱちぱちと手を叩く愛美。それに釣られるようにして、なんだか不思議そうな顔をしながら手を叩く夏葉。いやいいんだよ、こいつのペースに無理に付き合わなくても。

 それからやっと、愛美は企画の詳細を話し始めた。

 今回制作を目指すのは三十分程度のショートフィルム。舞台は我らが滝川高校、ジャンルはゾンビ。監督などの制作指揮は映研部が中心となって行い、演劇部は全面協力という形で役者の提供、及び舞台セットの設置やら小道具の貸し出しやら何やら、色々とお願いしてあるらしい。

 演劇部もよくもまあ、こんなこと引き受けてくれたものだ。前の三年が残ってたら、そんな面倒なこと絶対断られただろうに。

 あ、なるほど。だからこのタイミングなのか。

「それで、制作目的は?」

「活動実績が欲しいから! あと、シンカン!」

「シンカン?」

「そう! 新入生捕まえて部員確保して、この部を正式に認めさせるんだよ!」

 ああなるほど、新歓ね。

「でもそんなの、もう一ヶ月切ってるけど。映画制作なんて、今から準備して間に合うわけ?」

「その点は心配ご無用! なぜなら明日は?」

「卒業式」

「それが終われば?」

「終業式」

「それも終わったら?」

「春休み」

「ね?」

 なにが、ね? なのよ。

まあ、言いたい意味は何となく分かる。つまるところ、春休み期間中に本腰入れて頑張ればショートフィルムくらいなら間に合うと、そう言いたいわけだ。

 愛美の話はとりあえず分かった。だから私はその視線を、今度は夏葉へと向ける。

「ところでこの話、演劇部はどこまで?」

「もう、みんな知ってるよ。昨日部長から発表があったから」

 そうだと思った。つまり、私以外の関係者はみんな知っているわけだ。

 さ、どういうつもり? そんな恨みを込めた視線を愛美に流すけど、彼女は相変わらずの笑顔。

「なるほど。私だけ仲間外れだったってわけ」

「いやぁ、朱音のことビックリさせたくて……ビックリした?」

「ええ、それはもう」

 ここ一番の無表情で、不満たっぷりにそう言ったつもりだったけれど……でも愛美はそれを言葉通りにしか受け取らなかったみたい。

 そうか、愛美にはまだ皮肉は難しかったか。

「じゃあ、ビックリついでにもう一つ聞くけど」

「なに?」

「これはどういうこと?」

 そう口にして、私は台本のキャスト一覧、その一点を指差す。

 『主演1 ナツハ役 栗生 夏葉(くりゅう なつは)』 うん、これは分かる。役名が本名なのは、どうかと思うけど。

 ともかく、役者の排出は演劇部の役割だ。彼女が主演に選ばれた理由は、一年生の夏葉に経験を積ませてあげたいからとか、そんなところだろう。問題はその次。

「主演2 アカネ役 荒戸(あろと) 朱音ってあるけど。これもしかして、私のこと?」

「やだなぁ、当たり前じゃん」

「いっっっさい承諾した覚えないんだけど?」

「うん、だって今言ったもん」

 その不遜な物言いには、いかに十六年という歳月を共に過ごした幼馴染といえ、流石にちょっとイラっとした。いや、だいぶイラっとした。本人の承諾もなしに勝手に話を進めて、あんたは私のマネージャーか何か?

 そんなやり取りをしていると、隣の夏葉の顔から血の気がすーっと引いていく。聞いていた話と違う、そう言わんばかりに。

「夏葉。この台本だけど、もしかして」

「――昨日、演劇部全員に、配って……え、だって朱音ちゃんもう、とっくに知ってるんだって……」

 うん、夏葉は悪くないよ。だって普通、そう思って当然だからね。なるほどどおりで、さっきから何か不思議そうな顔してたわけだ。

 台本はもう配られた。つまりみんな、この配役で行くと思っている。

 この件に関して夏葉は全然悪くない。悪いのは――

「――愛美」

「うん?」

 ちょっと凄んで呼んでみたけど、全然効果ないみたい。からっきし反省の色も見えない彼女に向かって、私はくっと身を乗り出す。

「あのね。もし私が断ったらどうするつもりだったの?」

「断る? 朱音、嫌なの?」

「嫌よ」

「うそだぁ」

 恐ろしいことに、そう言った愛美は本気で目を丸くしてた。

「だって朱音、役者じゃん」

「それは半年前、演劇部だった時の話でしょ。今は違う」

「違わないよ」

「あなたね……第一、役者なんて演劇部にたくさんいるのに、何で私が」

「だって、これ映研部の映画だよ! 朱音の役割が何もないのは変じゃん」

「別に役者じゃなくたっていいでしょ? 裏方でも演出でも、役割なんていくらでも――」

「朱音、それ出来るの?」

「…………」

 ……え? もしかして私、劣勢?

「とにかく! これはもう決定事項ですから! 部長権限で監督命令だよ!」

 挙げ句、トドメと言わんばかりにふんぞり返った愛美に、

「……職権濫用」

 そんなせめてもの抵抗の言葉を口にするので精一杯だった。

「というわけで、主演のお二人さん! これからよろしくね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る