スクリーン、その前へ!
いっぱんねこめいと
プロローグ
「へぇ、やっとなの」
なるほど。やっと、ね。
退部届を受け取った時の第一声とは思えない部長の言葉に、私の口角がピクリと持ち上がる。
開きもせずに一瞥だけくれた封筒を、クシャッと乱雑に四つに折って、体操服のポケットへと突っ込んだ彼女。そして役者らしくシャンとした姿勢を崩さずに向き直り、
「それで、地区大会はどうするの?」
恐ろしく抑揚のない声音でそう言った。
「終わるまでは、責任もって残ります」
「責任って」
鼻を鳴らして目を細める仕草も、いちいち美しくって鬱陶しい。
「今の役を最後にして、舞台から降ります」
「そう? 別に今すぐ降りてもらっていいんだけど。代役なんていくらでもいるし」
「…………」
「同じ一年生なら……うん、夏葉ちゃんとかどう? 愛美ちゃんでもいいけど?」
「失礼します」
湿っぽい笑みを浮かべる部長に頭を下げて、くるりと踵を返す。先輩の話を遮って背を向けるなんて完全にご法度だけど、もう部員でもない私を咎める気はないようだ。
「じゃあね。テンサイ役者ちゃん」
背中に刺さる声を無視して、私は演劇部室を後にする。入学してからたった半年しか過ごしてないけど、その扉を閉めたら本当にちょっとだけ虚しくなった。
それから一週間、演劇部には驚くほど変化がなかった。年に一度の地区大会前だから、一年生の退部なんて気にしていられない……というわけでもなさそう。
ただ、消えるべきやつが消えるだけ。三年生がそう言いたげな雰囲気の中、それでも私は舞台に上がり続けた。
そうして迎えた地区大会は、言うまでもなく酷い出来だった。演劇はスポーツみたいにハッキリ順位が出るわけではないけれど、もし出たとしたらうちが最下位だったろうな。まあ負けることなんて、やる前から分かってたけど。
だから、会場から学校に戻って来て解散した後、三年生がボロ泣きしてたのを見た時はやっぱり引いた。これが最後の大会だから、もう演劇が出来るのは最後だから。誰が聞いたわけでもないのに、みんな口々にありきたりな理由を吐き出していく。
勝って県大会、行きたかったよ。部長がそう言うと、ついに三年生みんなが声を上げてわんわんと泣いた。夜の校舎前で惨めに、わんわんと。
正直言って、信じられなかった。
今泣くくらいなら、なんで普段からもっと真剣に練習しないんだろう。基礎練を疎かにして、台本の読み込みもろくにせず、何か指摘されたら「だって、これが私の演技だから」と女優ぶった言い訳を繰り返すだけで全く成長しない。
そんな態度のくせに勝ちだけは欲しいなんて、あんまりにも舐めてる。
そんな都合のいい話、あってたまるかよ。
「帰ります」
誰に言った訳でもないけれど、私はその言葉を残して、いつまでも厚かましく泣きじゃくっている三年生と、それを囲む皆の輪を離れた。星が輝く秋の夜に、私はただひとり帰路に着く。
こうして、私の高校演劇はあっけなく終わった。
でもまあ、リア王、マクベス、ハムレットしかり、悲劇の終わりなんて大抵はあっけないものだ。それに私は彼らと違って、絶望も悲しみも抱いちゃいない。彼らの受けた苦しみに比べれば、大好きな演劇を捨てて残り二年半の高校生活を帰宅部で過ごすことくらい、まったくもって取るに足らない問題だ。
だって、私は後悔していない。
演技のことで三年生と衝突したことも、部内に居場所がなくなったことも、その結果部活を辞めたのだって、全部自分自身の選択だ。
だから私は、後悔なんてしていない。
でも、一つだけ心残りがあるとすれば――
「朱音(あかね)!」
背後から追いついてきたその声に、思わず足が止まる。嫌というほど聞き慣れた声だ、振り向いて確認するまでもない。
だから私は、無視して一歩を踏み出そうとした。
「ねえってば!」
でも急に肩を掴まれたものだから、自然と顔が彼女を向く。
満月と街灯の朧げな光が差す中、叢雨 愛美(むらさめ あみ)は少し頬を膨らませて、これ見よがしに目を細めていた。
「なんで無視するの」
不機嫌さを隠そうともしない声音に、つい笑いそうになる。
「無視してない。見なくても分かるものを、わざわざ見ないだけ」
「また屁理屈!」
言いながら、今度は眉を吊り上げてみせる。でもごめん、それ逆効果。だって童顔な愛美がそれやっても、リスかハムスターあたりが頑張って威嚇してるようにしか見えないもん。
ダメだ、これ以上はツボる。そう思ってほんのりと顔を背けながら「それで、なに?」って誤魔化すように言った。
「あ、そうそう!」
瞬間、さっきまでとは打って変わって満面の笑み。
本当に、その時その時の感情で生きているみたいな子だ。良く言えば純真無垢、悪く言えば単純。いや、愛美はただ単純なだけか。
「これ!」
彼女はセーラー服のポケットから一枚の紙きれを取り出す。ぴったりと綺麗な二つ折りのそれを広げたら、思わず小さな声が漏れた。
入部届。頂点にそう印字された紙をしばらく見つめて、そのまま視線をゆっくりと愛美に向ける。
「これ、書いて!」
「書いてって……」
無邪気に微笑んだ彼女に、さすがに少しの苛立ちを覚えた。退部したばかりの私に向かって、一体何のつもり?
「言ったよね。私、演劇部にはもう戻らないって」
「知ってる。そうじゃなくて、ほら」
彼女が指差したのは、部名を記入する欄。見ればそこにはもう、勝手に印字がされている。
されているんだけど――
「――映画研究部?」
そう呟いたら、愛美は「うん!」と返してにこにこしてた。
いや、うんじゃないよ。まるで意味が分からない。
なんで演劇部を退部したら映画研究部に入ることになるのか分からないし、なんで愛美がそれを指定してくるのかも不明だし――というかそもそも、うちの高校に映画研究部なんてあったっけ? 聞いたことないんだけど。
「てことで、一緒に入ろ?」
へえ、今度は一緒にと来たか。しかもそんな真っ直ぐな目で。
本当にこの幼馴染の思いつきは、十六年間一緒にいたってまるっきり分からない。
「一緒にって――あなた演劇部でしょ?」
「うん、今日まではね」
「今日まで?」
「そっ! 私も出しちゃった、退部届」
まるで、出し忘れた宿題をちゃっかり出してきた、というくらいの軽いトーン。気まぐれの権化は夜に浮かべた笑顔をちっとも崩さず、なんならペロッと舌を覗かせる。
「ってことで、私もフリーかもよ?」
「なにそれ」
そう返した口の端が、知らないうちに釣り上がっていた。
だってそんな言い方されたら、もう笑うしかないじゃん。
何がおかしいのかも分からないまま、私たちはくすくすとした笑い声を夜道に落としていく。
愛美は一度言い出したら、天地がひっくり返ったって聞きやしない。
帰宅部の予定は延期かな。
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