第5話

 そこに表示されていたのは確かに同僚の名前。

 だとすると、さっきの声はやっぱり同僚が出していた声、ということになる。

「は、早く、早く来てくれ……」

「ど、どうした? なんかあったか?」

「す、スマホ……」

「は?」

 俺は反射的に自分のスマホを見る。見慣れたいつものスマホ。傷が付かないようにケースに入れてあるし、フィルムで画面も保護している。スマホがどうしたのか。もう一度スマホを耳に近づけると同僚が何かを言っていた。

「……かってきたんだよ! どうしてだ?」

「かってきた?」

「かかってきたんだッ!」

 耳が壊れるかと思えるほどの大きな声。スマホの向こうからそれが聞こえて俺はスマホを離す。耳鳴りのようなものが残り、少し痛みもあった。

「大丈夫ですか?」

 俺の正常な方の耳に女性の声が聞こえた。俺の突然の行動に心配してくれたのだろうか、近づいて俺の方をみていた。

「あっ、大丈夫です。いきなり、大声出されたので……」

 反対の耳におそるおそるスマホを近づけるともう叫んではいなかった。

「いきなり大きな声、出すなよ。かかってきたっていったい誰から?」

 文句をいうが返事はなかった。いつの間にか、スマホからは通話の終了を告げる音が聞こえてきた。画面には、通話終了、と表示されている。頭の中で何かが切れた。耳の奥に何かを削るような音が聞こえた。

「切りやがった? なんなんだ?」

「ど、どうしたんですか?」

 少しだけうわずった声で尋ねてきた女性。みると彼女は目を大きく見開いて俺を見ていた。いつの間にかさっきよりも距離が空いている。俺の声に驚いたのだろうか。

 一度だけ大きく息を吸い込む。これ以上、勝手な同僚ヤツのせいで彼女をびっくりさせるわけにはいかない。ゆっくりと息を吐き出すと、頭の中がしっかりとしてきた気がしてくる。

 階の表示を見ると、あと三、四階といったところ。

 俺は仕方なく、すぐ上の階のボタンを押した。ちょうど、目的の階の三つ下でドアが開く。

「降りられるんですか?」

 出ようとしたときに女性が話しかけてくる。俺はエレベーターから出て振り返る。

「はい」

「そうですか。同僚さん、何もないといいですね」

 そう言いながら彼女は左手をバッグの中に突っ込む姿勢になる。あんなどうしようもない姿を見せている同僚のことを、きっと彼女は真剣に考えてくれている。その優しさが伝わってくる。俺にもそれを向けてくれたら……。今はまだいいか。

「ありがとうございます。それとすいません」

 俺がいうと、エレベーターのドアがゆっくりと閉まり始める。ここは昇降だけでなく開閉もゆっくりだ。

「どうしてですか?」

「エレベーターの中で騒いでしまったことについて。さすがに一緒になっただけでこれ以上ご迷惑はかけられないです」

 ドアが閉まり続け彼女の前に来る。

「そんな……気にしなくてもいいのに……。迷惑なんて思っていないので、大丈夫ですよ。それより行ってあげてください」

「ありがとうございます」

 俺はちょっとだけ頭を下げてからすぐに階段へ行こうとする。視線をあげたときに閉まりかけのエレベーターの中が見えた。そこに見えた彼女は笑っていた。

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