第4話

 彼女の表情をみながら、慎重にたずねてみる。

 わずかに赤らめていた顔はすでになく、今は落ち着いた様子でいる。俺と話していることで、最初持っていたんじゃないかと思われる緊張もなくなっているんだろう。どちらかといえば、何か不安のようなものが強くなっているようにも思えてくる。ただ、いったい何が不安なのか。誰なのかもわからないような相手にそんなことを感じるものなのだろうか。

「……そうですね。先ほどからお聞きしてると、その同僚さんの行動がよくわからないんです。何かあったにしてもそれをハッキリ言わないですよね? 体調が悪くなったのかもしれませんし、何か別の理由があるのかもしれません。でも、それを言おうとしない。なんにしても、早く行ってあげないと大変なんじゃないかと思いまして」

「心配してくださっていたんですね……こんなよくわからない頼みごとをする同僚のことを」

 俺は彼女の言葉に感動を覚えながら、手に持ったビニール袋を持ち直す。少し溶けてきているのか、ビニールの外側には大量の水滴がついていて、エレベーターの中の床にいくつもの水たまりを作っていた。スニーカーにもいくつかしずくが落ちたようで、色が変色していた。

 そこに彼女からの声がかけられる。

「ずっと気になっていたんですけど、それの中身って、いったい何なんですか?」

 彼女がビニール袋のほうへと視線をむけて話していた。

 俺はビニール袋をさらに上に掲げる。彼女にも中身が見えるように。

「これ、アイスなんです。二リットルの大きいサイズで少し高いやつ」

「あっ、ホントだ。しかも、すこしじゃなくて結構高いやつですよ、これ」

 どうやら、アイスのことを知っているようで、俺が控えめにいったのにすぐにわかったようだ。

「いきなり家に来て買って来いって。まぁ、俺が同僚との勝負に負けてその罰ゲームで買いに行かされたんですけどね」

「何か大きいものを持ってるなと思ってはいたんですけど……。寒い時期なのに、まさかアイスなんて。その同僚さん、もしかしてあなたと一緒に食べるつもりなのでは?」

 ビニール袋を見ていた彼女が話しながら目の前で小さく首を横に倒す。その仕草と一緒に髪が同じ方向に少し流れる。その仕草があまりにも自然でかわいらしく思えてしまい、鼓動が早くなったのがわかった。たまたま、一緒のエレベーターにのっていただけ。ただ、それだけなのに。

「な、ないない。あいつがそんなことするはずないです。そ、それにそう! そうだったとしても、もう少し小さいのでもいいじゃないですか。ほらあるじゃないすか、いろんなのがいっぱい入ってるやつ」

 しどろもどろになりながら。意味のわからない言い訳をしている自分がいる。

「もしかしたらその同僚さん、同じ鍋をつつくみたいな感覚でいたりするとか?」

 彼女の口から不思議な考えが出てきた。すぐに理解することができず、俺の頭の中にはハテナが浮かんでいた。

「そ、それだったら、俺の好みも聞くでしょ。絶対コレ、一人で食べますよ」

 どうやら、彼女は俺の言動にそれほど疑問は持たなかったようだ。特に問題なく話が続けられる。

「言われてみれば確かにそうですね。折角買いに行ってもらっているんですから、一緒に食べるならあなたの好きなものも聞きますよね」

「そ、そうですよ」

「だとしたら、本当に一人でそれだけ食べるんですか? それだけ食べたら、いくらなんでもお腹壊すと思いますけど」

 右手でお腹を指するジェスチャーをしながら上を向く。上を向きながら、うーん、と小さく唸るような声を出していた。

「もしかしたら、痛くならないんですかね? そのひと」

「え?」

「そんなことあるわけないですよね」

 見えたのはいたずらをした子どものような表情。なぜか俺にはその表情がとびきりのものに思えてしまった。あまりにも心臓への刺激が強かった。

「そ、そうですよ。そんなことあるわけないですって! ハハハッ」

 彼女に気づかれないように何とか平静を保とうとする。へたくそなりに何とかごまかせたんじゃないかと勝手に思う。

 と、俺の手の中からまた音が鳴りはじめる。手に持ったままだったスマホが音を鳴らし、振動を始めていた。彼女に向けて頭を下げると、彼女も慣れたもので、軽く会釈を返してくれる。

 面倒だと思いながら同乗者の許可をいただいたところでスワイプする。小さくため息を付くことも忘れない。

「……まだですよ」

 俺は努めて冷静に、そしてとにかく冷たく聞こえるように言い放つ。

「……たっ、たの、たのむ」

 スマホの向こう側から聞こえてきた声は不自然なほどにたどたどしかった。さっきまで俺に上から目線でなんでも言っていた同僚と同一人物とは思えないほど。俺は違う電話をとってしまったのかと一瞬不安になり、スマホのディスプレイを見る。

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