第3話
声をした方を振り返ると、女性が少しだけ近づいてきていた。心配そうな面持ちで俺の方を見ている。
「あっ、大丈夫です」
反射的に口から言葉が出た。ただ、残念ながら彼女はそれで納得することはできなかったみたいで、俺の顔をじっとのぞき込んできていた。
「……実は、今の電話、俺の部屋にいる人からなんですがね」
気づけば、口を開いてしまっている俺がいる。
女性は静かにうなづく。その間も視線を外すことはなく、じっと俺の方を見ていた。
「なんだか、様子が変なんですよ」
「その人はあなたの彼女さんかなにかですか?」
「いえ、男です。仕事の同僚ってやつでして」
「同僚さんですか……。それで? どうして、様子が変、と思われたんですか?」
彼女がゆっくりと話を促してくる。彼女の表情とは裏腹に、耳心地のよい声に促される。俺はそれに従って話を続けていく。
「電話越しの様子が変だったんです」
「変、とは? 具体的に、何か、ありますか?」
一歩。
俺と彼女の間の距離が縮む。それは彼女がこちらに近づいたからに他ならない。スーツ姿の彼女から、甘い香りがしてきた。それと同時にわずかな温かさ。アイスを買ってきたから勘違いしそうになるが、今の時期は決して暑い時期じゃない。むしろ、冷えて寒いほどだ。その二つが合わさる。決して匂いは強く主張してくるわけではなく、届く熱もわずかだが、合わさって届くと俺の頭をぼんやりとさせてくる。
「このマンションに入る時に呼び出しで話した時は、普通、といっても自分勝手でしたけどいつも通りの話し方だったんです」
「はい」
自然に促される。彼女のうなずきとともに、口がさらに動き出す。
「でも、エレベーターに乗った時にも話したんですけど、なんというか、声の勢いみたいなものがなくなっていたんです」
「勢いですか?」
「そうなんです。さっきも話しましたが、自分勝手さのようなものが減っていて」
女性が、ふむぅ、といって、腕組をする。左手だけがなぜか彼女のビジネスバッグの中におさまる。不思議な仕草だな、と思いながら彼女を見ていた。俺の視線に気づいたのか、女性がさっと、バッグから左手を出す。
「すいません。つい癖でやってしまって……」
「そうなんですね? 変わった癖ですね?」
女性はばつが悪そうに左手で首の後ろをかく。もしかしたら、これも癖なのかもしれない。そんなことを思いながら彼女をみていると、続けて話してきた。
「よく会社の先輩にも怒られるんです。バッグを持っているとついつい入れちゃって。持ってない時も左手だけ右腕をつかんでいるなんてこともあって……。たいてい考え事をしているときにしちゃうんです。何度か止めるようにしてみたんですけど、どうしても気づくとしてるんですよね」
えへへッ、といいながら、首の後ろを今度はなでるようにしている。その笑顔にはわずかに赤みがさしていた。
「失礼ですよね。こんな姿勢で考え事しているなんて……」
「いえ。俺はそんなことは思いませんし……。むしろ、仕草の意味がわかったら、俺のたわいもない話を真剣に聞いてくれているんだなと思えて嬉しかったです」
スマホを持つ手を横に振りながら、彼女に自分の思いを伝える。表情は照れたままだが、視線は俺の方を向いていた。
「でも……気になりますね。その同僚さん? の話し方が変わったというのは……」
「まぁ、そうなんですけど……いいです。どうせ何か気分が変わっただけだと思うし……」
俺は訳のわからない態度を取っている同僚よりも彼女との会話を選ぶことにした。どうせ、後から会うんだ。それまでの間だけでも、気分よくしていたい。目の前の女性は、俺と同じくらいの身長で、でもきっちりとスーツを着こなして、笑顔がステキな人だ。おまけにマフラーの結び方は少々変わっていてリボンのようにもみえてしまう。それが彼女に可愛らしさを加えている。正直、こんな人が彼女だったらいいなと思えてしまうほど。
「そうなんですか? でも、そうなってくると、その同僚さんの気分が変わるようなことが起こったということですよね? ケガとかしていないといいですね」
「まぁ、なんかあったんでしょうね。ただ、多分ケガとかはしてないと思いますよ。だって、そんなことになってたら、きっと大騒ぎしてるはずですし」
「あら、そんな方なんですか? そうだとすれば、その同僚さんにいったい何があったんでしょうね?」
「……えっと……そんなに、気になりますか?」
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