第2話
ドアの向こうにいた女性と目があった。彼女はびくりとマフラーにパンツスーツを身にまとった身体を震わせ、左手を肩から掛けたビジネスバッグの中に入れていた。操作パネルの近くに立っていたその女性は、静かに後ろに下がる。足音もたたない。きっと俺の声を聞いてヤバい奴と思ったのかもしれない。彼女の視線は俺の持つビニール袋に注がれている。どうやら、俺の叫び声がきこえてしまっていたようだ。寒かったはずの俺の顔の一部になぜだか熱が帯びてきている気がしてならない。
俺は下を向きながら、静かにエレベーターの中に入る。目立つところのない操作パネルで行き先の階を押して彼女から離れて立つ。エレベーターの中はその女性一人で、他の人に恥をさらすようなことはなかった。
俺と女性をのせたまま、静かにエレベーターが動き始めた。
と、ポケットの中から盛大に音が鳴り始める。どこででも聞くような電子音。
俺は思わず、ポケットを押さえながら、女性の方に視線を送る。すると、女性はバッグを押さえながら左手を差し向けてくる。
「……どうぞ」
小さな声で言われ、一瞬意味がわからなかった。手が俺の音源を指し示していることに気づく。
「す、すいません!」
思いのほか大きな声が出てしまったが、とにかくあわててポケットからスマホを取り出す。着信を示す画面になっていて、相手はさっきの傷心様からだった。
「ちっ!」
思わず舌打ちをしてしまった。左足にアイスが何度も当たり冷たさが伝わってきていた。今頃ズボンはビニール袋についた結露で色が変わっているんじゃないか。そんなことを考える。
と、女性のほうから、ガタンと音がする。どうやら、俺からさらに距離を取ったみたいだ。ご迷惑をかけて本当に申し訳ないと思ってしまう。とにかく、このうるさい電話に出る。
「なんすか?」
できるだけ、俺が思う限りの低さで告げる。
「お、おいっ……。お、お前、いつまでかかんだよ……。はや、早く戻ってこい」
「今エレベーターに乗ったんで待ってください」
俺はそう告げるとスマホの通話を切る。早く戻れとかどういうつもりだ。スマホを睨みつけていると、忘れていたことに気づいた。俺は女性の方を向いて頭を下げる。
「す、すいません。うるさくしちゃって……」
「い、いえっ。大丈夫です」
良かった。舌打ちしたり、突然電話切ったりするような態度の人間に、優しくいってくれるのだからきっといい人なのだろう。もしくは関わりたくないと思って、あしらうように話しているのかもしれない。握ったままだったスマホを元のポケットの中にねじ込む。
エレベーターのパネルを見る。行き先の階が淡く光っている。一五階建てのかつて、高級だったと思われるマンション。昼間はコンシェルジュと名乗る管理人もいるが、今の時間、そんな奴はいない。
動き出したかどうかもわからないほどゆっくりとエレベーターが動き、それに合わせて数字が増えていく。さっきも思ったがとにかくゆっくりだ。一五階もあるのに、いかがなものなのだろうか。
がさっという音が耳に届き、音の方を見ると同乗している女性がバッグの中に手を突っ込んでいた。
「す、すいませんっ……」
「い、いえ。お気になさらず……」
なぜかおびえるような仕草をする女性。別に取って食おうとかそんなつもりはない。むしろ、足に何度もくっついてくる重いアイスのほうがよっぽど恨めしい。
そんなことを考えていると、再びスマホが震え始める。
女性に頭を下げて、ポケットからスマホを取り出すと、そこにはさっき通話を切った傷心様の名前が出ている。着信を取らないでおこうかとも思ったが、取らなかったら取らなかったでいろいろとうるさいことになりそうな気もした。
「はぁ。すいません。もう一回出ますね……」
「あっ、えっと。お構いなく……」
女性の許可をもらい、頭を下げて着信を取る。
「もう少し待てよ! ここのエレベーター遅せぇんだから!」
「お、おま、お前。今、何階だ?」
俺の怒りを無視したかのような傷心様の返答。
「まだ、ほとんど上がってねぇよ! 四階を過ぎたところだ! 知ってるだろ? ここのエレベーターがゆっくりなの!」
「と、とにかく……は、早く……早く来てくれ!」
……変だ。傷心様の様子が明らかにおかしい。ここに戻ってきた時と態度が変わっている。何かあったのか。
「どうしたってんだ!? なんかあったのかよ!?」
「だ、だ、大丈夫だ。と、とにかく、早く来てくれ……」
告げられて通話が切られる。
「ど、どうしたんですか?」
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