Ⅴ 合流

 1


 突然肩をつかまれて、愛弓は仰天したようだった。反射的に振り返り、相手が愛矢だとわかると、ほっとしたように息をついた。

「びっくりした。心臓が止まるかと思ったわ」

 木の陰に三人丸くなって座ったところで、愛弓が言った。愛矢に顔を近付け、ひそひそ声で話している。その声はかすかに震えていた。

「びっくりしたのはこっちだよ。堂々と門を乗り越えて侵入して来るなんて、無茶なんだから」

 愛矢が言い返すと、愛弓は目をつり上げた。

「一人で無茶してるのは愛矢の方でしょ」

「そうだよ。心配したんだぞ」

 武居も隣から、やはり小声で抗議する。

 愛矢は縮こまった体をさらに小さくした。

「……ごめん」

「まあ、とにかく無事で良かったわ」

 愛弓はほんの少し表情をゆるめた。

 愛矢は愛弓と武居を交互に見た。

「二人共、いつニューヨークに来たの?」

「おとといよ。ママも一緒に」

 愛弓が答える。

「母さんも?」

「ええ。それより、何がどうなってるの? パパは?」

 愛矢は手短かに事情を説明した。

 話を聞くと、愛弓は深く息を吐いた。

「やっぱり、この家が関係してたのね」

「先輩はこの屋敷の中にいる。ここで待つようにって、先輩に言われたんだ」

「パパも部長と一緒なの?」

「父さんがどこにいるのかは、先輩にもわからないんだって。先輩、監禁されるらしくて」

「監禁されてたって、部長の力なら……」

 その時、古藤から通信が入った。

(愛矢、聞こえるか)

 愛矢は愛弓に「ちょっと待って」と言い、目を閉じた。

(先輩?)

(準備はいいか、愛矢)

(うん。――先輩、愛弓と武居がここに)

(やっぱり来たか)

 古藤の声は、呆れているようでもあり、愉快そうでもあった。

(それじゃあ、二人には病院に行ってもらおうかな)

(病院?)

(ああ。先生は多分病院にいる。愛矢を飛ばそうかとも考えたんだが、愛矢が病院の中でうっかり超能力を使ったりしたらとんでもないことになるからな。愛弓くんと武居なら大丈夫だろう。頼んでみてくれるか?)

(わかった)

 通信を切ると、愛矢は愛弓に向かって言った。

「先輩からの連絡だ。愛弓と武居を病院に飛ばしたいけど、いいかって」

「病院に?」

 愛弓は武居と顔を見合わせた。

「父さんが病院にいるらしいんだ」と、愛矢は補足した。

「ほんと? わかったわ、行ってみる。愛矢はどうするの?」

「わたしは先輩のところへ飛ぶことになってる。先輩は人前で超能力が使えないから」

「そう。気を付けてね」

 愛弓は愛矢の手を握った。愛矢もその手を握り返した。

「愛弓こそ気を付けて。武居、愛弓を……」

「わかってる。まかしとけ」

 武居は二人の手の上に自分の手を重ねた。

 確認のため、愛矢が古藤に呼び掛けようとした時、愛弓と武居の姿はもう消えていた。三人の会話は古藤に筒抜けだったのだ。

(先輩、愛弓と武居にも心の準備は必要だよ)

(悪い悪い。じゃあ、愛弓くんに直接呼び掛けて指示を送るよ。愛矢はちょっと待っててくれ)

 通信が途切れた。

 体勢を変えようとした時、誰かが愛矢の後ろに立つ気配がした。愛矢はぎくりとして振り返った。

「ジョシュア?」

 ジョシュアがそこにいて、愛矢をじっと見下ろしていた。門の外で待っているはずだったのに、なぜ?

「私、今からタクトのところへ行くんだ。ジョシュアは……」

「だめだ」

 低い声で、ジョシュアは愛矢の言葉をさえぎった。

「おまえをタクトのところへは行かせない」


 2


「どうして?」

 愛矢は身を固くした。

 ――まさか、この人は敵だったのか?

 ジョシュアは愛矢に顔を近付けて来た。

「何をたくらんでいる?」

「え?」

「おまえは本当にドクターの知り合いなのか? アイリーンもタクトも、おまえがだましていいようにしてるんじゃ……」

「だましているって、どういうこと?」

「ドクターを助けると言って、本当は危害を加えるつもりなんじゃないのか」

 愛矢は驚いて首を振った。

「違うよ! どうしてわたしが父さんを。わたしだって、父さんを助けに来たのに」

「父さん?」

 ジョシュアは目を見開いた。

「ドクターの娘? おまえが?」

「そうだよ」

「……あり得ない。ドクターがアメリカにいた時も、先月日本に行った時も、一度も会わなかったし、ドクターから聞いたこともない」

「父さんはなるべくよその人に、わたしの存在を知られないようにしていたんだ。信じてもらえないかもしれないけど……先輩は、タクトはわたしのことちゃんと話したんでしょ?」

「おまえに超能力で線をつないでもらったから、タクトはおれたちと話せるようになったと言っていた。そんな力があるなら、タクトを操ることだって可能だろう。おまえはタクトを捕らえている連中の仲間ではないのか?」

「そんな……!」

(愛矢)

 切迫した雰囲気の中に、不似合いに明るい声が響いた。

(心の準備は出来てるか?)

 愛矢には古藤の冗談に対応している余裕はなかった。

(だめだ、先輩! ジョシュアが……)

(どうした?)

(わたしのこと疑って、引き止めてるんだ! 今飛んだら、わたしの力じゃないってわかってしまう)

(ジョシュア……。気持ちはわかるが、出来れば信用してもらいたいな)

 古藤は愛矢とジョシュアの両方に聞こえるようにテレパシーを送って来た。

「タクト、おまえはこいつにだまされている」

(だまされてない。……おれのことは信用してるのか)

「当たり前だ。おまえとは日本で何度も会った。ドクターの助手だ。こいつはおかしな力を持っていて、ドクターの娘だなんてでたらめを言う。まどわされてはだめだ、タクト」

(まどわされてない。おれを信用してくれるなら言うよ。愛矢にはおれをまどわすほどの力なんてない。これはおれの力なんだ)

 古藤は愛矢をジョシュアから引き離し、自分のもとへ呼び寄せた。


 3


 次の瞬間、愛矢がいたのは、かなり立派な部屋の中だった。ベッドやソファーが置かれ、テーブルにはお茶とケーキまで載っている。やあと手を上げた古藤は、縛られてもおらず元気そのもので、愛矢はほっとして力が抜けた。

「ずれなくて良かったよ。すぐにでも出られるが、まずは人のいる場所へ飛ぼう」

 古藤は再会を喜ぶでもなく、さっと愛矢の手を取り、空間を超えた。

 当然のことながら、宙に現れた二人を見ると、屋敷の人々は目を丸くした。それを楽しむかのように、古藤は次々と別の人間のいる場所へ移動する。何もここまで、と愛矢は思ったが、古藤のことだ、何か考えがあるのだろう。

 最後に出たのは、屋敷の門の外だった。息をつく間もなく、邸内から大勢の男たちがこちらに向かって駆けて来る。あれだけ派手にやったのだから当然のことだが。

「おまえたち……」

 中でも一番偉そうな男が日本語で言い、古藤と愛矢を見比べた。

「日本から強力な助っ人が来てくれたんだ」

 古藤が得意そうに愛矢を指差した。

「アイリーンをどこへやった」

 相手はひるまない。その様子から、愛矢は彼がアイリーンの父親なのだと察した。

「アイリーンを渡せ! さもないと……」

 続きを言う代わりに、男は懐から取り出した拳銃を二人に向けた。

 古藤は動じる様子もなく、にやっと笑った。

「そんなもんでビビると思ってるのか? おれには見慣れてるおもちゃだぜ。それに、おれたちを殺せば、アイリーンは二度とあんたのもとには返らないことになるが、いいのかな?」

 何だか本当の誘拐犯みたいなせりふだ。堂々としている古藤の陰に隠れているのでは、愛矢が強力な助っ人だと言っても説得力がなさ過ぎる。

 その時、門の方から声が響いた。

「やめて、パパ!」

 アイリーンだった。古藤が呼び寄せたのだろうか。日本語のわからない彼女は、愛矢たちが危ないと思ったのだろう。花壇の陰から飛び出し、目に涙をためて父親を見上げた。

 だが、父親が見返したのは、娘の顔ではなかった。彼の視線はアイリーンの後ろに向けられていた。アイリーンを守るようにすっくと立つ――ジョシュアの姿に。

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