副読本

「なあ、自分の娘から『赤ちゃんってどうやってできるん?』って聞かれたら、お前やったらどう答える?」


「なんやいきなり。なんで独身の俺にそんな事聞くねん」


 増田と山本は高校時代のクラスメイトで、同じ美術部の部員でもあった。


 増田は大学を出た後に広告代理店に就職し、イラスト作成や写真の加工などを行う技術スタッフとして活躍していた。


 一方、山本は大学進学に失敗し、インテリア関連の専門学校に入ってから、卒業後は専門学校の教師として働く事になった。


 増田は職場恋愛の末に結婚し、今では一児の父だ。


 山本は専門学校の卒業生と数人関係を持った事はあるものの、決まった相手と交際する事もなく、いまだに独身生活を続けていた。


 二人は今年で40歳。


 大阪の阿部野にある画材ショップで偶然出会った二人は、用事を済ませた後に、新世界の串カツ屋で食事をする事にしたのだった。


「いやいや、このテーマに独身も何も無いやろ。全ての大人が抱く、永遠のテーマやと思うで」


「何やそれ。…まぁ、分からんでも無いけど」


「せやろ? で、まだ小学3年の娘が、嫁にそんな質問をしてきたらしくてな。嫁は『もう少し大人になったら教えてあげる』って回答を保留しよったんよ」


「なるほど。まぁ、妥当な対応やろな」


「まぁそやねんけどな? けど、もし俺が娘に同じ質問されたら、どう答えるのがエエんかと思って、今の内に答えを準備しときたいんよな」


「なるほどな。…まぁ、一般的には『コウノトリが運んでくる』って答えるのがセオリーなんやろけど、それじゃアカンのか?」


「山本…、お前の常識は、まだ昭和に生きてるんか?」


「どういう意味やねん?」


「今の小学生を舐めたらアカンで。そんな謎の回答しようもんなら、すぐにインターネットで調べようとするからな」


「なるほど…。けど、インターネットで調べれるんやったら、子供の作り方かてインターネットで調べるんとちゃうんか?」


「それな。ウチは娘のパソコンのインターネットのアクセス制限を厳しめに設定してるから、多分アダルトな情報にはアクセス出来ん筈なんよ」


「なるほど。って事は、娘はインターネットで分かる範囲の事は既に調べてて、それでも分からんから聞いてきたって考えた方が良さそうやな」


「…なるほど確かに。その可能性はあるな」


「アクセス制限かけても、保健体育みたいなサイトなら見れるんちゃうんか?」


「…さぁ、どうやろか…」


「ちょっと試しに調べてみるか」


「どうやって?」


「いや、このスマホでアクセス制限掛けて試してみるんよ」


「なるほど、ちょっと試してくれるか」


「ちょっと待ってや…、えーと、これをこうして…、よし、設定でけた」


「で、『赤ちゃんの作り方』で検索したらどんなん出てくる?」


「今打ち込んでるからちょっと待ってや。えーと…、作り方っと」


 山本のスマホ画面には、文部科学省が推奨している事を示すアイコンがあるサイトの検索結果が並んでいた。


「なるほど、文科省の推奨するサイトしか見れん様になるんやな。とりあえず、一番上から見てみるか」


 そう言って検索結果の一番上に表示されたサイトにアクセスし、表示された画面をしばらく見つめていた二人は、やがて顔を上げると、顔を見合わせて口を開いた。


「何これ、エッロ!」


「…思った以上にエロいなコレ。ホンマに文部科学省が推奨しとるんかコレ?」


「…学校の保健体育の副読本として、実際に使われとるみたいやな」


「マジか…」


「もしこれをウチの娘が見てたとしたら…、俺はコレ以上何を言う事があるんや?」


「せやな。これ以上は、ただの猥談にしかならんと思うで」


「おいおい、勘弁してくれよ。まだ9歳の娘と、何で猥談せなアカンねん」


「それはもはや、犯罪の匂いしかせんな」


「ホンマやで。娘と猥談とか、嫁が知ったら発狂もんやわ」


「せやな。もはや事件やな」


「…なあ、山本…」


「なんや?」


「この副読本、そこらのエロ本よりえげつないと思わん?」


「…確かに」


「…今、ウチの嫁、生理中やねん」


「…お前、まさか…」


「…いや、別に変な意味やないで? 変な意味や無いけど、この副読本はエロ過ぎやろ」


「…それは分からんでも無いけど、せやかて、これでエエ歳したオッサンが興奮するか普通?」


「いやいや、別に興奮してないで!」


「いやいや、じゃあ何でお前の嫁が生理中とかいう情報が公開されとんねん?」


「いやいや、それはお前…、嫁も大変やなぁってだけで」


「それは分かるけど、俺がお前のヨメさんの生理周期を知ったところで、何も出来んやろ」


「…増田、お前この後ヒマ?」


「何や突然? …まぁ、ヒマやけど」


「この後、飛田新地行かん?」


「はぁ? お前やっぱり興奮しとるんやんか」


「いやいや、そうやなくて! ただちょっと、こういう事は女性の意見も聞くべきやろ?」


「…なるほど。確かに、それは一理あるな」


「せやろ? せやろ? って事で、今から行こうや」


「…お前、めちゃめちゃ風俗行きたいだけやんか」


「そんなんエエねん! お前は行くんか行かんのか、どっちやねん?」


「…いや、やめとくわ」


「ええ〜? 何でなん? 行こうや〜! めっちゃエエ娘おるでホンマに!」


「めちゃめちゃグイグイ来るやんお前。娘の事とかどうでも良くなってるやん」


「エエねん! そんなん考えたらアカンって!」


「…お前の嫁は、お前が風俗行った事を知っても許してくれるんか?」


「……それは……内緒で」


「…なんや、アカンのやん。ほんだら、やめといた方がエエんちゃうん?」


「…せやな。嫁の顔を思い出したら、何か萎えてしもたわ」


「…お前、嫁さんが聞いたらブチ切れるぞソレ」


「…怖い事言うなや」


「…怖いんやな。嫁さんが」


「…エエなぁ、お前。まだ独身で」


「何やそれ」


「…まぁ、独身にはこの気持ちは分からんか…」


「何やねんそれ? 何かムカつくなぁ」


「エエねん。もうエエねん」


「そうか。ほな、そろそろ会計するか」


「そやな。帰ろかな。愛する家族がおる我が家に」


「そうや、そうせぇ。それが妻子持ちのあるべき姿や」


「はいはい、スミマセ〜ン、お会計」


 二人は会計を済ませ、店を出たところで別れる事にした。


 増田が近鉄阿部野橋駅方向に向かうのを見ながら、山本は動物園前駅の方に向かって歩き出した。


 歩きながら山本は、


(そういえば、飛田新地とかぜんぜん行ってないなぁ。最近の風俗ってどんな感じなんやろ?)


 などと考えてしまい、興味本位で飛田新地に向かって歩を進めていた。


 飛田新地までは歩いて10分もかからない。


 西成の怪しげな街並みを横目に歩きながら、飛田新地のアーチが近づいて来るのが見える。


 アーチをくぐれば、その先は妖艶な雰囲気が漂う風俗街、飛田新地だ。


 山本は、店の前で手招きする中年女が指差す先に、着飾った若い女が座敷に座っているのを見つけていた。


 この遊郭独特の雰囲気に、心なしかソワソワしてしまう自分が、どこか滑稽で、山本は自嘲気味にハハハと笑った。


 そして、飛田新地を更に奥へと進むと、帰宅した筈の増田が、鼻の下を伸ばして奥の店の中に入って行くのが見えた。


(あいつ…、結局行くんやないかい)


 自分もそこに居るだけに、増田をバカには出来ないと思いつつ、


「まったく、男ってやつは…」


 と山本は呟きながら、結局、隣の店へと入って行くのだった…


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