性癖

「なあ、清水は全裸の女と下着姿の女の子やったら、どっちが興奮する?」


「そら、下着姿やろ」


「…即答やな」


 40歳の誕生日。


 独身貴族の生活を彩るイベントなどなかなか無いが、斉藤が結婚披露宴に誘ってくれたお礼も兼ねて、清水は自分の誕生日に斉藤を飲みに誘ったのだった。


 居酒屋の個室で、バカバカしい話でもして、斉藤の気晴らしになればいい。


 清水はそれくらいの気持ちだったのだが、斉藤は新婚生活に色々戸惑いがあるらしく、話は斉藤の新婚生活のお悩み相談の様になっていた。


「で? 下着姿がどないしたんや?」


「そう、それな。俺、嫁さんと一緒に生活する様になって、夜も一緒に寝るんやけど、何故か最近アレが立たん様になってしもたんよ」


「何やそれ。いきなり倦怠期か?」


「いやいや、そう言う事や無いと思うんやけどな。なんちゅーか、嫁と風呂に入ったりするのも、最初は興奮したんやけど、毎日裸を見てるうちに、何か慣れてもうたというか…、何か興奮せん様になってもうた気がしてな」


「あ〜、なるほどな。俺も昔、初めて付き合った彼女と同棲した時に、そんなんあった気がするわ」


「やっぱりそうなんや? 俺、嫁さんが初めて付き合った彼女やったし、結婚するまで一緒に住んでなかったから、こういうのは経験豊富な清水に相談するのがええと思ってな」


「経験豊富て…、まぁ、ええけど」


 斉藤の言う『経験豊富』というのは、清水がこれまで絶え間なく彼女がいた事を指している様で、確かに清水はそのうちの数人と同棲した事もあり、疑似的な結婚生活をしていたノウハウを持っているのではと想像している様だった。


「で、清水はそういう時、どうやって回復させたん?」


「せやなぁ…、最初の彼女ん時は、結局その後別れてもうたから、あんまり参考にならん気がするで」


「え…、そうなんや。俺、まだ嫁と別れたないで」


「そないな事言うても俺、お前の性癖とか知らんしなぁ」

(別に知りたくも無いけどな)


「そうか…、いや、実はさっき俺が清水に訊いたやつやねんけどな?」


「ああ、全裸か下着姿かってやつな」


「そう。俺な、多分全裸はアカンと思うねん」


「どういう事や?」


「いや、女は全裸でいるべきやないと思うって事やねんけどな」


「…まあ、うん。で?」


「例えば、嫁が普通に服着てエプロンして、料理作ってる時とかは、何か知らんけど、その後ろ姿にムラムラしたりするんよ」


(何を言い出すんやコイツは…、まあ、でも…)

「うん。まあ、分かるわ。それで?」


「それで、後ろから抱き着いてイチャイチャしたりするんやけどな」


「おお、エエやんか。後ろからっていうのがまたエエやんか」


「せやろ? でな、ソファに一緒に並んでテレビとか見るやん?」


「おお」


「で、横並びになると、何でか知らんけど、ムラムラが冷めてまうんよ」


「なるほど。分からん」


「いや、分かるやろ? 分からんか?」


「いや、だって、せっかく隣に座ってるんやから、オッパイが腕に当たったりして、ムラムラを継続したらええんちゃうんか?」


「いや、それが何でか落ち着いてまうんやけど、これって俺がおかしいんか?」


(おかしいやろ…。けど、もう少し聞いてみんと分からんか)


「いや、それはきっと、お前の性癖が邪魔をしてるんやろ。さっきの後ろ姿でムラムラできるのに、横に座ったら治まってまうって事は、何か根本的な原因がある筈やと思うで。他に斉藤がムラムラするのはどんな時なんや?」


「他には…、せやなぁ…。例えば、嫁がちょっと短いスカートとか履いてる時はムラムラするで」


「おお、なるほどな。それは生足が見えてる状態でか?」


「そうそう。生足が見えてないとアカンな」


「なるほどな。何か分かって来た気がするな」


「お、原因が分かったんか?」


「まあ、仮説やけどな」


「仮説でええから、教えてくれよ」


「斉藤、お前、嫁さんと結婚する前、エロ動画みまくってなかったか?」


「え? …まあ、見てたけど。と、時々やで? 見まくってた訳ちゃうで?」


「ええねん。男やねんから、それはええねん」


「そ、そうか? 嫁には言うなよ?」


「言わんわ、そんな事。でな、お前は多分、女が恥じらう姿が出てくるやつばっかり見てたんちゃうかと思う訳よ」


「…おいおい、何で分かるねん。お前、俺の事ストーカーしてないやろな?」


「するかアホ。でな、お前の嫁さんってまだ若いやろ? 確か10歳位離れてなかったか?」


「おお、嫁まだ29やで」


「29歳でお前が初めての男やってんから、付き合いだした頃はさぞかし恥じらいもあったやろう」


「そりゃぁ、まあ、そうやな」


「で、付き合いが長くなるにつれてある程度は慣れたやろけど、一緒に住んでなかったから、お前らは会う度に『一番ええ状態の自分』を見せ合ってきた訳や」


「…なるほど。確かにそうかも知れんな」


「で、嫁さんはお前に一番色っぽい姿を演出してきたやろし、お前はそれに応えてホテルでせっせと頑張ってこれた訳や」


「なるほど」


「で、その時って恥じらう彼女の服を脱がせていったり、で、脱がせる度に更に恥じらう彼女の姿が目の前にあって、それが更にお前を奮い立たせてたんやと思うねん」


「…おお、思い出してきたわ。確かにそうや。あれは最高に可愛いかったで」


「せやろ? で結論を言うとやな」


 斉藤は話の核心が迫っている気がして、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 そんな斉藤を見ながら、清水は安心させる様に表情をやわらげて口を開いた。


「つまりお前は、セックスに興奮するんやなくて、その前のプロセスに興奮する性癖なんやって事や」


「…なるほど、確かにそうかも知れん…」


「で、結婚して一緒に住む様になったから、嫁さんはある意味腹を括ったんやろな」


「ど…、どうゆう事や?」


「つまり、すっぴんの顔を見せる事やら自宅で全裸を見せる事やら、他にも色々、だらしない姿を見せる事をや」


「…なるほど。確かに、最初は色々驚いたな。マジもんのすっぴんは結婚するまで見た事無かったしな…」


「ああ、で、嫁さんがそうして全てをさらけ出してる姿に、セックスの前のプロセスにしか興奮できんお前は、ムラムラできん様になったんちゃうかって話や」


 清水が言い終えた後、少しの沈黙があった。


 斉藤はこれまでの色々なシチュエーションを思い出しているのか、黙ったまま宙を見つめていた。


 それをじっと見ていた清水だったが、ふと斉藤の目が正気に戻る様に変わるのが分かった。


「なあ清水。俺はこれから、どうしたらええと思う?」


「知らんがな。けど、結婚生活に影響するようなら、お前の性癖をどないかせんといかんやろな」


「そうか…、それは治るもんなんやろか?」


「さぁ…、それが無理なら、嫁さんに頼んでセクシーな格好とかしてもろたらエエんとちゃうか?」


「そうか…、そないな事、嫁と話せる気ぃせえへんけど…」


「ほたら、ビデオBOXかどっかでお前の性癖を満足させるのを見まくって、それを脳裏に焼き付けとくとかしたらどうや? ほんで、嫁との本番の時は頭の中でそのムービーを再生して頑張るとかしたらエエやろ」


「…なるほど。それはエエかも知れんな」


「…ほな、この話はこれくらいでええか?」


「ああ、ありがとうな。めっちゃ参考になったわ」


 ホッと肩を撫で下ろした二人は、既にぬるくなったビールジョッキを飲み干して一息ついた。


「なぁ、ところでさぁ」


 と斉藤が口を開いた。


「何や?」

 と清水が斉藤を見返すと、斉藤はまるで清水を憐れむ様な顔で、こう言った。


「女にモテるお前でも、色々苦労してきたんやなぁ」


「そらそうやろ。モテようがモテまいが、同じ人間やで」


「そらそうか!」


 と声を上げてハハハと笑う斉藤の顔には、どこか晴れ晴れとしたものがあった。


 どうやら悩みは解決したらしい。


 居酒屋の個室で四十路男が二人、今日もバカバカしい会話をしている。


 そんな大阪の夜が、今日も更けていくのだった。

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