沸騰する祭×去らない熱

あめはしつつじ

祭りの後。永遠の一人。

 万物は水。

 万物は火。

 万物は流転する。




 彼の母親の腹の中。水が、湧いた。

 そこに、私は耳をあてた。

 こぽこぽと、音がする。

 腹に触れている、頬は熱さを感じた。

 沸騰している。

 そう、思った。

「ねえ、冷たいわ」

 彼の母親は、そう言った。

 私は慌てて、顔を上げた。

 人の、皮膚に。

 触れるのが、数百年ぶりだったので、

 うっかりとしていた。

 温もり。を感じていたたはずの、耳と頬。

 手で覆い、触れてみた。

 けれど、やっぱり。

 私の手は、温もりを感じなかったし。

 耳と頬も、温もりを感じなかった。


 彼が産まれた。

 夏、だったと思う。

 私が。人の家に居られるのは、

 夏の間だけであるから。

 彼を見て、真っ赤だから、赤ん坊と、

 いうのだと、今更ながら、気がついた。

 彼を冷ますため。彼を洗うため。

 産婆が、たらいに溜めた水を、

 彼にかけていく。

 水はたちどころに沸騰し、

 産湯となっていく。

 産婆の顔が、赤くなって、青くなって、

「奥方様。水が、水が足りませぬ。この子は、

 このまま。火になってしまいまする」

 彼の母親は、落ち着いた様子で、私に、

「あなた。この子を抱いてくださらない?」

 私は、かっかと燃えるような赤子を。

 胸に、抱いた。

 赤子の熱い血潮が、私に流れこんでくる。

 気がした。

 彼と私とが、繋がり。

 母と子とは、このようなものかと、思った。

「たわけ、抱きすぎじゃ。

 おお、こんなに冷たくなりおって」

 産婆に彼を取り上げられ、ああ、そうだ。

 私は母になれない。

 人と、繋がれど。

 私は、人に、与えることができない。

 私は、他を、奪って、奪って。

 彼を抱いたのは、これ、一度きりだった。


 人というのは、早いもの。

 まして。彼は殊更、早かった。

 立ち、歩き、駆けはじめる。

 よく、喧嘩をする子だった。

 子、だと思っていたのに。すぐ大人になり。

 彼の冠。


 日々、良く、田畑を耕し。

 村一番の稼ぎ頭になった。

 何度目かの夏が、また来た。

 そして、田畑の収穫を終えた、秋。

 彼は、母親と似た、隣村の女を妻にした。

 彼の婚。


 彼が結婚し、次の夏。

 水争いで、隣村と衝突し。

 諍いから、喧嘩になった。

 石が、こつんと、頭にあたっただけ。

 一月の間は、何もなかった。

 二月経つと、彼は、妻に、

「どうも最近、頭が病めて病めて」

 と言うように。

 彼が、私のところに来たのは。

 稲刈りと稲架掛けの終わった、翌々日。

 私は、彼が痛がる頭に、ただ手当てをした。

「ああ、冷たい。気持ちがいい」

 翌朝。彼は冷たくなっていた。

 彼の葬。


 彼は死んだ。

 けれど、彼は、終わらない。

 人の一生は、冠と婚と葬と。

 そして、祭と。


 彼が留守にした体を、水をなみなみと張った、大きな大きな、鍋に入れる。

 息を止めている、彼の体から、その全身から、いくつもの気泡が、ふつふつ、ふくふく、と水面へと、のぼる。

 彼の体で沸いている鍋の上。端と端とを渡すように、せいろが、架けられる。

 せいろの中、野菜、卵、ちまきなどが蒸され、村の人たちにわたる。わいわいと、箸と箸と、賑やかに。

 彼が蒸した料理を、彼を囲んで食べる。

 家族とは、火族であり、同じ料理を食べること。

 彼の祭。


 彼をにえとした、あえは終わり。

 名々が各々の家へと、帰っていく。

 私は、彼の家、彼の妻の家にも。

 彼の母親の家にも帰らなかった。

 夏が、終わるから。

 私は、彼の煮えた、彼のいた方へ。

 鍋を見ると、底。

 水も彼も、跡形もなく。

 私は鍋の中をそっと撫でる。

 私には、冷たいがわからない。

 けれどこの、金物の硬さから、きっと。

 これは、冷たいのでしょう。

 夏は、終わり。秋。

 人は、去っていく熱。

 けれど、また。どこからか、来たる熱。

 水行末。火行末。諸行無常。

 流転する、熱。

 私は、流れない。

 私は、転せない。

 私は、去らない熱。

 私に熱。常に私。

 誰にも、私の熱は、渡らない。

 季節は、巡る。

 贄饗祭にいなえさいは終わり、冬。

 そして、春。

 新苗祭にいなえさい

 村の女は、種籾たねもみを水につける。

 彼の、妻の、腹に。

 こん、こん、と、水が湧いた。

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沸騰する祭×去らない熱 あめはしつつじ @amehashi_224

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