第16話 真夜中の厩舎で
孤児院の二階から外を見ていると、正面玄関の前に馬車が止まって、中から女の子が降りてきた。階段を駆け上がる軽い足音が聴こえてくる。
「お姉さま!」
キティが腕の中に飛び込んできた。
信じられない!あの青ひげ紳士の館を生きて出てこれたなんて。
「ああ、キティ!無事だったのね!ずっと心配してたのよ。ごめんなさいね、あなたを守る約束だったのに」
部屋の戸口にエドワードが立っていた。彼がキティを助け出してくれたのだ。戸籍の年齢をいじって、法律上、結婚を不可能にしてしまった。ついにレオ・カーンリーの家にも近衛隊が入り、殺人鬼は逮捕されたのだ。
「エドワード、どうやってお礼をしたらいいのか、わからないわ。どれだけ感謝してるか、あなたにはわからないでしょう」
キティに部屋を与え、寝室で二人っきりになると、私はすぐにお礼を言った。
「妻の親族を見殺しにすることなどできない。それが僕の責任だ」
それでも、恥やプライドなど投げ捨てて、ひざまずきたい気分だった。彼のしてくれたことを忘れたくなかったのだ。
「キティは宮廷に置いていいのね?」
急に不安におそわれて確認した。
「チェスターのところには帰せないんです。兄はまた、はした金でキティを身元の怪しい男のところにやってしまうだろうから」
「もちろん、好きなだけキティを泊めてやるといい。キティは宮廷の一員なんだ」
エドワードが
「あなたって、本当に優しい、高潔な方なのね」
そう、初めて会った時と、彼の印象はずいぶんと変わってしまった。あのパーティーの夜、失礼きわまりない、思いやりに欠けた男だ、と思ったものだ。でも、エドワードはそんなんじゃなかった。気高い心を持つ人だ。レベッカや私のような女にはつりあわない。
「孤児院をつくったとか?」
エドワードがたずねる。
真剣な顔でこちらを見てくるので、ドキッとした。また怒らせたのではないかと思って。
でも、この活動をやめたくなかった。子どもや病人を通りに放り出すことなんてできない。
だから確固とした口調で答えたのだ。
「ええ、人の役に立つのが好きなんです。それに、親のない子どもたちなんて、黙って見てられませんから」
その夜も、ベッドに一人きりで寝ていた。一人っきりのベッドは肌寒い。エドワードはどこに行ったのだろうか?また、あの肖像画の裏の隠し部屋?他の女のところだろうか?私と一緒に寝るのが、そんなにも嫌なのだろうか?彼は、わたしに触れようともしない。
夫がどこに行ったのか、私は知らなかった。知らないから、勝手に一人で苦しんでいたのだ。
エドワードはその晩、眠れずに宮殿の外を歩いていた。日中の妻の様子を
それに孤児院について話した時の、控えめ、かつ揺るぎない口調。あれは思いやりと信念をもつ女だ。
だが、クリステンは以前からあのような女だったろうか……?
真夜中の厩舎は馬の匂いがした。巨大な馬たちが、横に並んで鼻息あらく眠っている。
少女が地べたに座っていた。シルバーブロンドの髪、透き通った、きめ細かい肌。月明かりにすみれ色の瞳が見えた。
「クリステン?」
驚いて声をかける。
妻は二人の寝室で寝ているはずなのに。
そうだった。クリステンの無防備な寝姿の誘惑を断ち切ってここに来たのだ。
少女が振り返った。なるほど、キティはクリステンに瓜二つだ。
「やあ、キティ。眠れなかったのかい?」
できるだけ親しみやすい声を出す。キティに怖がってほしくなかった。
「ええ、昼間ここの馬をちらりと見たの。それで気になって眠れなくなってしまったわ。馬って美しい生き物だけど、何かが足りないわ」
キティが早口で言う。
「何かが足りないってどこが?」
はからずも、キティの発言に興味をもった。
それにしても、この子はよく喋る。昼間会った時は、人見知りして、ほとんど何も喋らなかったのに。もしかしたら、キティは夢遊病なのかもしれない。
「それがわからないのよ。でもね、よく夢を見るの。奇妙な、迷路みたいな夢。何回も見たわ。翼が生えた馬がやってきて、私を塔の上に連れていくの。そこで誰かが助けを待っているのよ。もう少しで救えそうなのにね、毎回翼のない天使に邪魔されてしまうわ」
キティはそれだけ話すと、カクリと眠ってしまった。エドワードをキティを抱え、宮殿へと戻っていった。妻の眠る、宮殿へと……
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